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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

森友学園
            森友学園、籠池さんへ

 森友学園、籠池さん、私はあなたの歴史観、国家観、教育観、あなたの思想とは360度違うけれど、あなたの証人喚問での発言は「本物だな」と思いましたよ。あなたが言った[神風が吹いた]「大きな力が働いたと思う」という発言、安倍昭恵夫人が人払いした二人だけの場で「安倍晋三からです」と100万円をくださったという発言、その通りですよね。
 あなたと安倍首相は歴史観も、国家観も共通していたから、あなたは心から尊敬し、信頼していた。まあ、同志だったんですよね。だから色々便宜を図り、力も貸してくれた。あなたにとってまさに神風だった。だからこそ、園児に「安倍首相頑張れ、安倍首相頑張れ」などと唱和させ、「安保法制成立よかったです」などと一生懸命激励し、応援したいたんですよね。
 「安倍晋三記念小学校」なんて思いついたのも、安倍夫人に小学校名誉校長をお願いしたのも、あなたの安倍首相への信頼のあらわれだった。そうしたあなたの信頼にこたえてくれた、100万円の寄付はそのあらわれだった。あなたは「大変名誉」なこととしてありがたく頂いた、そう言うことだったんですよね。
 ところが、9憶56000万円の国有地が、8億円以上値引きされての払い下げ疑惑が発覚してから、今回の疑惑の数々が表面化すると、安倍首相の態度が豹変し、あなたや奥さんを悪者として描き出そうとした。夫人とあなたの奥さんの親密だった関係も、手のひらを返すように変わった。「裏切られた」、あなたも、あなたの奥さんも強くそう思ったのは当然ですよね。
 あなたは、権力が身を守るためには、平気でウソをつき、証拠をことごとく隠ぺいし、さらには同志でさえ平気で切り捨てる「トカゲのしっぽ切り」は常套手段だということを甘く見ていた。それはあなたの正直さでもあってかもしれないけれど、大変な誤算だったんですよ。あなたもトカゲのしっぽ、次にはあなたと安倍夫人を結ぶ、ファックスで回答をくれた「昭恵夫人つき「秘書」(経産省の公務員)」もトカゲのしっぽとして、責任をおしつけられ、切り捨てられるということになるかもしれませんよ。権力は保身のためには手段を選びません。
 あなたも、あなたの奥さんも腹をくくって、まだ語っていない事実とありったけの思いを、マスコミを通して、国民に発信したらどうですか。
それがあなたの「愛国心」ですよ。国の不正・腐敗をただす、たった一つの道だと思って、勇気を持って発信してください。
もう一度念のために言いますが、私はあなたの思想、あなたの国家観、歴史観、教育観には反対です。もちろん安倍首相の国家観、教育観、思想そのものにも反対です。日本会議の様々な活動も許せないと思っています。
 しかし、安倍首相に裏切られた、あなたの悔しさと怒りは、充分に理解できます。
どうぞ、勇気を持って思いのたけを語ってください。(3月27日
# by tsukushi--juku | 2017-03-29 15:17
私の故郷
              私の故郷・限界集落
                        

 私の故郷は、現在では下田市下大沢。私の子どもの頃は、静岡県賀茂郡稲生沢村下大沢で、温泉で知られた「蓮台寺」から3,40分ほど登った山の上の、36戸の集落だった。2010年に103歳で亡くなったおふくろが90歳前後に詠んだ短歌に、

老人の住む家多し近所なり幼児の声に聞き耳を立つ

というのがあるが、もうその頃から、ほぼ限界集落に近かった。また、おふくろが詠んだ俳句に、

 イノシシの足跡残す芋畑

というのもあるように、当時からイノシシが出没し、畑や竹林のタケノコをあさりまくる「イノシシ天国」だった。
 現在はさらに、「限界集落」は進行し、イノシシ、シカ、サルが人家の近くまで出没する。家数も20数戸ほどに減り、子どもは全くいない。60代が最も若いという老人だけの集落になっている。(*もっとも、今は集落に登る途中に何軒かの家がたち、山の上の集落にも空家を買い求めて移り住んでいる、若い夫婦がいるが)私などたまに帰っても、こちらから訪ねて行かない限り、人に出会うこともない。
 それでも私はこの集落が好きだ。18歳で高校を卒業するまで、ここで生まれ育った、懐かしい、懐かしい故郷だ。おそらくどんな人でも生まれ育った故郷は、たとえどんなに不便で貧しくても、懐かしく思わない人はいないだろう。
 故郷を思い浮かべる時、私は思う。「東日本大震災」で故郷を追われた人達、とりわけ福島原発事故のため故郷を追われ、帰ることもできなくなった人達を思う。その地で生まれ育ち、何十年もその地で生きてきた人たちの無念さを思う。仮設住宅の入居期限は3月末まで。「住宅支援打ち切り」を新聞紙上で目にする。対象者は約一万世帯(約26000人)という。「自宅に住めないのは私たちのせいじゃない」故郷を追われ、住むところを奪われる人たちの声が痛々しい。また福島を追われ、やむなく移り住んだ地で、子どもへの「いじめ」が報道もされた。残念でならない。
「限界集落」になったとはいえ、故郷を懐かしく思う時、福島の原発事故に追われた人達を忘れてはならないと思う。(土筆通信111425号の一部)
# by tsukushi--juku | 2017-02-25 12:12
新年おめでとうございます
       年頭に当たって
                                2017年 元旦    土筆塾 土屋春雄

 今年は83歳になります。子どもたちの数も少なくなって、わずかな国民年金と、わずかな塾収入に支えられての生活になりますが、この子どもたちとその親たち、ずっとつながり続けてくれる卒業生やその親たち、そして全国に散在する土筆通信読者のみなさんや知人友人たちを心の財産として、暴走を続ける安倍政権に抗して、今年も頑張ります。
 もはや、単なる「保守」政治ではありません。戦前志向の「右翼政治」としかいいようがない安倍政権です。

 沖縄を含む日本国土の軍事化。5兆一千億と年々膨れ上がる軍事費。着々と作られつつある戦争法の遂行体制。
 けずられていく社会保障費。
 国の根幹を突き崩すTPP。
 日本の未来の担い手となる若者や子どもたちへの冷たい仕打ち。
 どんどん広がっていく格差社会。
 はてはギャンブル(カジノ)までを国策とする恥ずべき政治。
 どれ一つとっても大企業とアメリカ追従につながる「大暴走」。
 許すわけにはいきません。
 国民・市民の、草の根からの運動の広がりを軸に、野党共闘の構築、これ以外に道は開かれません。
 83歳。「身は老いたりとも、心は青春」の気概を持って、2017年を生き続けます。今年もご支援、ご指導をよろしくお願いします。
# by tsukushi--juku | 2017-01-01 11:16
カストロ死
              フィデル・カストロの死と私の青春

 十一月二十五日、キューバ革命の父、偉大なフィデル・カストロの死が 報じられた。
カストロの死は私の青春と重なる。

  青春時代に書いた私の拙い詩だ。

    来週まで待ってろよ

  「全県活動者会議、日曜日午前一〇時より午後八時まで」
  茶封筒のなかの一枚の紙片

  とたん
  心臓に幕
  またか
  先週は細胞会議
  先々週は地区選対会議
 まったくついてねぇな

 だが待てよ、何とか口実を見つけて
 私的な用事じゃまずい
 サークルの学習会があるってことにしようか
 それとも組合の仕事があるってことがよさそうだ
 
 そしておれはその日
 療養中の恋人に逢いにいくこと
 彼女のやつ待っているだろうな
 もう二週間も逢っていないからな

 おれはその日を設計する
 すべてがバラ色だ 胸が膨れる温かく
 勘弁してくれよ 党をさらりと脇へのけ
 おれは密かにニヤリと笑う

 夕食時だ いつもの癖
 夕刊に目を落とす
 勢いよく目に飛び込んだ活字
 アメリカ、カリブ海 海上封鎖!

 畜生、やりゃがったな
 暴れ出す心臓
 一字一句見のがすな
 ワニザメどものやり口を

 おれはまっしぐら一秒とはかからぬ
 キューバは近い
    フィデルよ フィデルよ
     キューバの同志たち
    
    だがその時だ おれの横っ面ぴしゃりとたたくやつ
    目の前に突き付けられた銃口
    おれは動けぬ ガラガラと崩れる内部
    ええい どうしたらいいんだ

    じっと見つめる黒眼
    あなたは細胞長よ 任務を果たさなくちゃいけないわ
    私たちの愛は党と共に輝く
    そう教えてくれたのはあなたよ、いいわ、待ってるから

    ぐるぐる回りゃがるぜ
    キューバが 党が 彼女が
    おれは沈黙
    長い時との戦い

    よし、崩れた設計図は
    もう組み立てまい
    来週まで
       待ってろよ

 長い療養所暮らしだった恋人は退院し、私たちは結婚した。あれから五一年、私は八二歳になり、昨年『命ある限り、この一筋の道を』を書いた。妻も白髪になり、やや、背も曲がって年老いた。だが、妻は、一〇月二二日沖縄・東村高江、米軍オスプレイ建設工事強行に反対する人達を支援するために、沖縄に行った。
 私たちはまだ元気だ。
 
# by tsukushi--juku | 2016-12-04 21:34
秋は私の季節
                      秋は私の季節

 秋は私の季節だ。栗を拾い、ギンナンヲ拾い(採るといった方がいいかな)自然薯を掘る。
 まず栗拾い。先週9月14日、、卓球に出かけたが、早目に家を出て寄り道して栗を拾った。誰も拾わないところだから大量に落ちていて、拾いきれないほど。あまり時間もなかったからその日は途中で引き上げ、今週また立ち寄った。何本も木があるから、この日も大量に拾う。
 拾った栗は自然のものだからやや小粒だが、それでも結構な粒だ。栗ごはんで食べ、ゆでて食べ、娘家族、友人、知人、子どもたち、近所の方たちにもあげて、堪能した。
 ギンナンはまだ少し早い。10月に入るだろう。近くに米軍大和通信所があって、周辺に銀杏並木があり、沢山のギンナンが採れた。大木によじ登り、ビニルの袋に入れて袋ごと木から落としたものだが、今は枝が切られて登れなくなり、ギンナンもならなくなった。あとは林のはずれにあるぼくだけの『穴場』。誰も拾わないから毎年大量に拾う。銀杏の大木のわきにある木に登って、竹竿で落として採る。何回も出駆けて大量に収獲する。
 バケツに水を張って2~3日漬けておくと皮がふやける。ゴム手袋を使って処理するが水に漬けた関係か 匂いもさほど気にならない。
 あとは天日干しして、ギンナンばさみで傷をつけ、厚手の封筒に入れて電子レンジで40秒ほど、チンする。見事なエメラルドグリーン、モチモチと美味しい。ギンナンご飯にもする。もちろん、娘家族、塾の子どもたち、知人友人、近所の方たち、あちこち配る。
ギンナンが終わると11月、12月は自然薯掘りだ。掘れる所はずいぶん減ったが、清瀬には、まだ下刈もされない林がいくらかはあり、そこが自然薯掘りの『穴場』だ。毎年掘っているから、沢山掘るということはなくなったが、それでも10本近くは掘るだろう。1㍍はどの上物も掘るが、自然の山芋だから枝別れしたのも、曲がりくねったものもある。すべて上物と言うわけにはいかないが、食べる分には味が落ちるわけではない。上物は薄皮を削ってすりおろすと餅のようで、箸でまるごとスポッと持ち上がる。
 だし汁で相当薄め、とろろご飯でも食べるが、我が家ではおつゆがわりにすする。箸でちぎってだんご汁のようにおつゆに浮かして食べることもあり、甘辛く煮付けて食べることもある。千切りにして鰹節を振りかけても食べる。
 娘家族もみな好きだ。そうあちこちというわけにはいかないが、少しは友人、近所の方にも上げる。
 自然相手のこうした趣味もいいものだ。何せ、山育ちの私だから子どもの頃から自然は遊びの場でもあり、生活の場でもあった。
時間がたっぷりあるわけではないから、暇を見つけてということになるが、秋は自然を相手に、少し贅沢な趣味を楽しみたい。
# by tsukushi--juku | 2016-09-22 12:39