2015年 01月 05日
2015年出発にあたって
2015年の出発にあたって
今年の子どもたちへの年賀状は次のような言葉にした。 新年おめでとう。 自分と 自分のまわりを しっかりと見つめて 命令されなくても 号令をかけられなくても 自分で学び 自分で考え 自分の道をきりひらこうね。 今、塾生は低学年が主流だ。1年生、2年生、3年生。それに高学年が少々。 中学生は1年生がこれも少しだ。低学年は作文が主体だ。低学年の子どもたちとはとにかく楽しく勉強したい。学ぶことが好きになってほしい。自分でしっかりと考える子になってほしい。それが私の願いだ。高学年の子どもたちには本や新聞を読んで、視野を広げてほしい。どちらかと言うと覚えるだけの勉強になりがちで、周りを見つめたり、自分と向き合って考えたりすることが少ないように思うのだ。 そんなことを思っての年賀状だ。 早々に、子どもたちからの年賀状も届いた。「まわりしょうぎをがんばります。」と言うのもあった。「今年も作文がんばります」と言うのもあった。「今年もよい作文をたくさん書きます」と言うのもあった。それぞれの思いで今年も楽しく過ごしたい。 塾の前には、アパートがある。小学校にも上がらない、小さい子が何人もいて、私ともいい「友だち」だ。暮れに我が家の前でおこなう恒例の餅つき、今年もこの子どもたちは何人も参加した。その子どもたちからも年賀状が来た。(もちろん親が書いたものだが)このアパートには1年生の塾生もいて、もちろん餅つきにも来た。この子は学校がある日は、出かける前に「土筆さーん」と大声で呼ぶ。私が顔を出すと「安心する」と言うのだ。 塾生が多かったころの土筆塾も、その周りも、今はすっかり様変わりしたが、やはり楽しい、充実した日々であることに変わりはない。この子たちのためにも、現役を続けなければと思う。 大人に向けて私の年賀状は次のように書いた。 新年おめでとうございます 身は歳を重ねても 心は青春 人々の幸せと希望の持てる未来のために生きる ぼくはまだ その役割を終えてはいない そんなつもりで 今年も生きていきます 土筆通信を読んでくださっている方、友人、知人に向けて書いた年賀状だ。ちょっと気負い過ぎているかなとは思う。それでも私の中では当たり前の思いだ。 私は今年81歳になる。中学高校大学を含めて、同期生は沢山亡くなった。昨年暮れには中学・高校時代の友達が亡くなった。昨年11月、中学の、最後の同期会があって出席したが、沢山の同期生が亡くなっていたり、病気で体調を崩していたりしているということも多かった。81歳と言えばそれも不思議ではない。まして現役で仕事をしているなどと言う人は少ないだろう。健康な人でも、もうほとんどの人が、個人の趣味に、老後の楽しみや生きがいを求めて毎日を送っていると言っても言い過ぎではあるまい。 確かにもう引退と言う年齢なのだ。そんな年齢になる私が、こんな文言の年賀状を書くと言うのは気負い過ぎと言うことなのかもしれない。だが、私自身は決して気負っているわけでも強がりを言っているわけでもない。 山村の貧乏百姓の三男坊として育った私が、無理を承知で大学に進んだのは「貧しさ」の根源を知り、その貧しさからの解放を願ってのことだったし、大学の四年間を通して、そのために生きようと決意してからは、職業は幾つか変わったが、一筋の道を60年間貫き通してきたのだから、80歳であろうがそれ以上であろうが、頭と手足が動く間は、引退などと言うことはあり得ない。 この歳になっても、海外旅行をしたこともなく、国内の観光名所を巡り歩いたこともない。つまらない生き方かもしれないが、私は生涯を「人々の幸せと子どもたちを含めて希望の持てる未来のために」生き続けたいと思う。特に安倍政権が悪政をほしいままにしている時、黙っているわけにはいかないのだ。 私は、今は政治分野で仕事をしているわけではないし、安倍政権の暴走政治の全体に対して充分な見識や意見を持っているわけでもない。だから全分野について発言できるわけではないが、部分的ではあっても精いっぱいの発言をしていきたいと思う。 安倍政権が狙っている「憲法改正」(改悪)は、日本の未来を「戦争する国」にする極めて危険な道。安倍政権の19人の閣僚のうち15人は、かつての侵略戦争を美化し、「アジア解放のための正義の戦争」と唱える日本最大の右翼勢力、靖国派や「日本会議」に連なる「日本会議国会議員懇談会」のメンバーであり、自民党だけでなく、民主党や維新の会のメンバーなど多くの議員を抱える議員集団だ。「慰安婦問題」「ヘイトスピーチ問題」、最近の地方議会や、教科書問題を巡る右翼的潮流の総元締めでもある。 こうした潮流に厳しい監視の目を向けていかなければならない。 今、私の関心の一つに、例えば日本に米軍基地は必要か、とりわけ沖縄の基地は必要か、という問題がある。1014年度だけ見ても日本にある米軍基地関係の、日本負担額は6739億円。その中には「思いやり予算」と言う、日米安保条約上の負担義務のない費用まで入っている。日米同盟があるから日本は守られているとか、「抑止力」だとか,あたりまえのように報道されているが、今まで在日米軍が何をしてきたか、朝鮮戦争、べトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、そしてアフガンへの侵攻。米軍が引き起こしまたは関与した戦争の、基地ではあっても、日本を守るためのものではなかった。 沖縄県民は先の知事選挙で、そして今回の総選挙で基地押しつけを拒否した。沖縄だけではない日本全体の米軍基地の存続を、今見つめなおさなければならない。ましてや日本国民が苦しんでいる時、膨大な費用を米軍のために負担する必要がどこにあるのか。 米軍基地存続問題だけではない。安倍政権はその米軍とともに海外での戦争に参加しようとさえしている。集団的自衛権行使の問題は切迫して来ている。 こうした安倍政権、自民党の勢力を支えてきた選挙制度の在り方も私の中では大きな関心事だ。比例区での自民党の得票率は33%、この計算でいけば得票議席は175程度。ところが小選挙区295の75%232議席を自民党が得て、議員数の上で圧勝したのは小選挙区制と言う大政党が有利な選挙制度にある。小選挙区制は1選挙区で一人しか当選できない、たくさんの「死票」が出るなどの問題も含めて、民意をゆがめる最悪の選挙制度だ。自民党議員の数を選挙制度が保障し、その台所を「政党助成金」が保障する。大政党にとっては「笑いが止まらぬ」制度が、巧妙に張り巡らされている。「小選挙区制と政党助成金」、私にとっては今年の大きな関心事だ。 もうひとつ、安倍政権のメディア、マスコミ取り込みの問題があるがここではこれ以上触れない。 いずれにしても、今年は日本の未来のにとって重大な「岐路」となるだろう。その時々、必要な発言をしていきたいと思う。(土筆通信の一部)
by tsukushi--juku
| 2015-01-05 17:07
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