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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

8月15日を思う
                   8月15日を思う

 8月15日、終戦記念日を、私は大島で迎えた。大島の山の中のログハウスだから、新聞はなかった。テレビのニュースは見たが、熱心に見たわけではない。
 16日に帰ってきて、久しぶりに新聞を読み、安倍首相の「戦没者追悼」の式辞を読んだ。「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊、今その御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」とあった。まるで祖国と家族を守るために戦い、命を落としたと言わんばかりだ。「歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら…」ともあった。歴史に謙虚に向き合うというなら、あの戦争が無謀な侵略戦争であり、祖国を無残にぶち壊し、異郷で多くの日本国民を死に追いやり、また、戦火によって日本国民310万の尊い命を死に至らしめ、さらにアジアの人々2000万人の命を奪ったことに対して、深く謝罪する言葉こそがなければならない。
 あの戦争を、正義の聖戦と位置づけ、戦犯合祀の靖国神社に玉ぐし料を奉納する(本心は参拝したいのだ)安倍首相であってみれば、どんなに「平和への誓い」を口にし、「世界の恒久平和に貢献し」、「万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現」を口にしようと何ともそらぞらしい。
 8月15日の、終戦を伝える新聞は、戦争に駆り出された元兵士たちの生々しい記録を報道している。
「…後ろ手に縛られた30歳前後の中国人男性が一人、正座させられた。裸足に目隠し、前日襲った農村から連行した捕虜だ。並んだ順に一人ずつ、銃剣でつくよう命令された。……口答えは一切許されない。誰かのミスで、理由も告げられず、初年兵全員が殴られる。常にビクつき、服従する。「善悪も何も考える余裕がなくなる、体験者しかわからないが、それが軍隊」「突け!」。号令にはじかれたように、思い切って手を伸ばす。服の上から、右胸にすっと刃が入った。素早く抜くと、血の染みが服ににじんだ。捕虜は声もあげなかった。気が動転しそこからの記憶はない。2日後、捕虜の首が宿営地の出入り口に置かれていた。」埼玉県に住む、88歳になるかつての陸軍初年兵の証言だ。(朝日新聞)
また、歌集「小さな抵抗殺戮を拒んだ日本兵を読む」(渡部良三」の中に、こんな歌があることも「しんぶん赤旗」で読んだ。*「捕虜殺すは天皇の命令」の大音声眼するどき教官は立つ*縛られる捕虜も殺せぬ意気地なし国賊なりとつばをあびさる*あらがわず否まず戦友ら演習の藁人形刺す如く突く。中国河北省の駐屯部隊に配属された筆者の痛恨の歌だ。戦争とは殺すこと。人間の尊厳も、人格も否定し、倫理観も失った殺戮者にしてしまう、それが軍隊、それが戦争だ。

 「…44年10月。フィリッピン・レイテ島で米軍の攻撃を受けた。水陸両用の戦車が押し寄せ、逃げ遅れた仲間は、火炎放射器で焼かれた。艦砲射撃で上半身と下半身が裂ける者がいる。補給が乏しく飢餓にも襲われた。山中を逃げながら、ヘビ、トカゲ、野鳥をそのまま食べ、木の根元の新芽や皮、それもない日は、口につばがたまるのを待って飲みこんだ。可愛がっていた馬も食べた」。93歳になるもと砲兵の証言だ。(朝日新聞)
  広島・長崎の原爆、東京大空襲。沖縄戦、日本全土を焼き尽くした戦火、書き連ねればきりがない。
あの戦争は、何だったのか。日本を守るためでも、家族を守るためでもない、まさに無謀な侵略戦争であり、戦争犯罪の以外の何物でもなかった。敗戦は侵略戦争への断罪であったのだ。
 その厳しい反省の上に平和憲法は成立した。安倍首相が式辞で述べた「今を生きる世代、そして、あすを生きる世代のために、国の未来を切り開いてまいります」というなら、何よりも戦争放棄を高らかにうたった憲法を守り、憲法を生かし、憲法に基づいた日本をつくることに力を尽くすべきなのだ。
ところが安倍首相の目指す「未来」は全くその逆ではないか。「特別秘密保護法」しかり、「集団的自衛権行使容認」しかりだ。安倍政権が目指すすべての政策は、一つの方向につながり合って、戦争する国へ向かって暴走している。今回の式辞の文言、先の広島、長崎の原爆記念式典での挨拶、あちこちで行う歯の浮くような言葉の数々。なんとそらぞらしいことか。

8月15日前後の新聞は「戦争はいやだ、人を殺すことも、殺されることもごめんだ」「平和を願う。二度と戦争はしてほしくない」という声にあふれている。おそらく戦争に賛成し、日本を戦争する国にしてもよいと答える人は一人もいないだろう。
だが、それで戦争を防ぎ、平和を維持し続けることができるわけではない。戦争は、ある日突然始まるわけではないのだ。戦争する国に向かっての準備は、一つ一つ積み上げられ、気がついた時は、殺し、殺される戦争に足を突っ込み、抜き差しならない現場に立たされてしまう。平和を願うとか、戦争には反対だというなら、戦争に向かう一つ一つのたくらみを見抜き、それをひとつひとつ潰していくよう努力しなければならない。平和は、願いや祈りでとどまるもなではない。戦いとるものだ。
今、私たち一人一人は何をしなければならないのか、日本の歴史的転換となった8月15日の意味を、改めて問いかけたい。
by tsukushi--juku | 2014-08-17 10:15