土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

暑かった夏もおわった
今年の夏は随分あちこち出かけた。下田の田舎に2回、大島、筑波山、そして締めくくりが青森だ。ブログの更新が遅れ遅れになったが、せっかく書き溜めてあるのだから前回に続いて子どもたちのことを載せる。

    

   土筆で学んだ子ども達その後

 土筆塾で学んだ子どもたちのその後については『生きる力と優しさと』(毎日新聞社)の中で「卒業生その後」として書いた。今回はこの本で書いた子ども達以後を中心にということになる。土筆で学んだ子どもたちは高校生になり、大学生になり、あるいは社会人として働き始めても、ずっとつながりをもち続けている子も多い。土筆通信を読み続けている子もいる。ここでは何人かを紹介するにとどめたい。

年賀状を通して、土筆塾で学んだ子らを思う

今年も、たくさんの年賀状を書き、たくさんの年賀状をもらった。私にとって年賀状は、人とのつながりを感じながら、心にエネルギーをもらうことのできるいい栄養剤だ。とりわけかつての土筆塾生のその後を知ることが出来るのは、今年もしっかりやろうという思いを改めて強くするいい機会になっている。一枚一枚年賀状の言葉を読みながら、塾生だった頃を思い浮かべニヤニヤしたり、ウンウンとうなずいたり、結構楽しい時間を過ごす。
 たとえば次のような年賀状をくれたO君。
 彼は両親の都合で中2の終わりに北海道に引っ越した。高校を卒業すると、大工になることを目指した。今彼は岩見沢市で大工として歩み始めている。
 彼は小学二年の頃から土筆に通った。その頃彼の書いた作文だ。


えのみでっぽう(三年生)

きょう先生がえのみでっぽうをくれた。それで、うちあいをしようと先生にいったのに先生はだらしがないよ。ふくがよごれるとか、あたるといたいとかいってちっともやらない。ぼくは自分でおなかにあててみた。なにがいたい!ありんこにかまれたようなもんだった。
 中学のときはこんな作文も書いた。

はぶき      (中学2年)

ぼくの学校には『はぶき』が多い。はぶきとは、はぶくという意味で、言ってしまえばそいつをみんなで嫌ってしまうことだ。はぶきをやる連中は大体決まっていて学年でも比較的目だっているほうで、成績はパッとしない。遊ぶことが大好きと言う特徴がある。
 何よりも、その連中と友好関係を結ぶのは難しい。思っていることをそのまま言ってしまえばらくだが、言ってしまうと怒るときもある。周りに合わせていかないと、自分がはぶかれる。周りが一人をはぶくとみんながはぶくのだ。ぼくもその連中の一人だが、ぼくははぶきに関してはあんまりみんなに合わせない。ぼくははぶかれているやつが別に嫌いではないからだ。しかし、ほかの友達は、はぶかないとこんどは自分がはぶかれるのだから、それが嫌で周りにあわせる。けれど僕は違う。そいつが嫌いではないから当たり前のことだがなかなか難しいから困る。ぼくがはぶきにあわせないから、はじめはいやな目で見られた。今でははぶいている連中も「オレたちがはぶいても、ついてこない」と考えているようだ。
 ぼくが人をはぶかないのはもう一つ理由がある。それは前、ぼくがはぶかれたことがあるからだ。はぶかれると当然今までの友達がいなくなるのだから、休み時間は一人ぼっち。話し方だってすごく冷たくなる。まさに中学生活が終わるのだ。本当に怖かった。昨日までジャレあっていたのがいきなり嫌われるのだから、こわい。
 こんなのはなくなればいい。

 次のような年賀状をくれたIさんは4年制の大学を出てさらに保育の専門学校に2年通って、保育士になった子だ。
 「保育園を異動になり、2歳児クラスの担任としてがんばっています。子どもたちのエネルギーに圧倒されながらも少しずつ面白さを感じられるようになり、今後が楽しみです。」
彼女の小学生の頃の作文も一つ紹介しよう。



 ラクガキ(六年生)

私はラクガキが大好きだ。特に女の子を書くのが好きだ。画用紙にきちっとした絵を描くよりかたくるしくない。ちょっと書いてドバッーと消してしまえばいいんだ。マンガの影響が強い。
 それにラクガキは思うままにかける。別に限界と言うものがない。ちょっといい気分にもなれる。ラクガキといっても種類がある。大きく分けると絵、文、文字だ。そのなかでも絵は楽しい。空想もかける。積み重ねて書いていくと絵もどんどん上達していくんだ。自分の個性的な面も出るし、いろいろ表現が出来るんだ。分は絵とは違うが、思ったままをかける。その反対におもっていないこと、つまりウソもかける。ウソは楽しく面白い。また、そのウソのなかに自分がいるんだよ、と言う気持ちもわく。文字を使った一種の遊びだ。文字は、自分が探し求めていた言葉、うったえたいことなどが表現できる。自分が考えた文字をどこかに書くと満足感が満ちる。
 ラクガキと言うと大人はいやがる。だけどラクガキは子どもにとっては〝いいもの〟なんじゃないかな。ラクガキは一種のいたずらだと思う。子どもといたずらは切っても切りはなせないものだ。
 だから私はラクガキ=いたずらが大好きだ。

 保育士になった彼女、毎日子どもたちとどんな遊びをしているのだろう。

 昨年暮、私は『前立腺癌』の診断を受けた。日常生活には何の差しさわりもない元気さだし、別に知らせる必要もないことなのでごくわずかの人しか知らせていないが、そのことを聞いた子どもたちから私の病気を気遣う年賀状も届いた。Yさんの年賀状。

 「先生お元気とばかり思っていたら、母から病気のことを聞きました。先生のパワーで病気に勝ってください。いつも明るい笑顔で周りの人を元気にしてくれる先生だから。
 私も今年はたくさんのことに挑戦していけるような1年にしたいです。」
4年制の大学の法学部を卒業した彼女は一大転換、ケーキ職人の道を選んで今学校に通う。間もなくその道に踏み出すだろう。彼女も小学三年生の頃から通ったから、土筆にはその足跡がたくさん残されている。

   電車の中で      (中学2年)

江古田に行く電車に乗った。
 向かい合った席に、幼稚園の年長くらいの女の子と、その母親らしい人が座っていた。女の子はきちっとした服装に手さげカバンを持っていた。私はその雰囲気から、「あっ」と思った。
 以前テレビで、有名小学校にわが子を入れるために、一生懸命なある家族を映していた。毎日毎日、幼稚園から帰ると遊ぶ暇もなく塾に通い、子どもは割りと楽しそうだったけれど、親は『面接のときの親の服装も見られる』だとか、そういう話ばかりほかの親と話していた。そんな内容のテレビだったが、それをふっと思い出したのだ。
 案の定、前の座席に座っている母親が、子どもに掛け算の九九を言わせたり、算数の文章題を出したりしていた。
 その女の子は「あとなんこの駅?」とか「何分いるの?」とか聞いていた。
 その親子の降りた駅には、ほかにもたくさん、そういう感じの親子がいた。テレビに映し出されていた親は、私立小学校に入れる理由を「立派な人になってほしいから」と言っていたが、この人たちもそうなのだろうか?
 人それぞれ考え方はあると思うけれど、無邪気に塾に通う幼稚園の子どもたちが、なんだかかわいそうに思えた。子どもたちはどのくらいまで自分の状況を知っているのだろうか?きっと、この子たちは小学校高学年になっても、なぜこういう学校に通っているのか疑問を持つこともないだろう、と私は思う。
 もし私が小さい頃に親の考えだけで、こういう学校に入れられていたとしたら・・・私は嫌だ!

また彼女は土筆塾卒業に当たってこんな感想文を残した。

土筆は生活の一部だった     (1998年)

 土筆塾についての感想、といっても私にはとても一言ではいえない。なぜなら、七年間通っていると土筆は生活の一部だったからだ。雨の日も、雪の日も疲れている日も、土筆に行った。行きたくない日なんてなかった。
 土屋先生と米山先生が声をかけて迎えてくれる教室は、とても良かった。どんな話も聞ついて。学校では話してくれないことばかりだった。
 いろいろな話を聞いてきたことが、何かについて考える時とてもためになったし、私がたくさん物を考えるようになったきっかけだったと思う。
 土筆のみんなも、いろいろな人がいてとても楽しかった。私にとって土筆は、自分の居られる数少ない場所の一つだったと思う。そんな場所を作ってくれた土屋先生、米山先生、そして友達たちに感謝したい。七年間、ありがとうございました。

 Aさんも私の体を気遣って、年賀状をくれた一人だ。
 いつも塾や生徒のためにがんばっている先生ですが、今年はゆっくり休む時間を作って、おいてくれ相談にも乗ってくれた。そしていろいろな話をしてくれた。政治についてや将来に身体だいじにしてください。
 彼女もたくさんの足跡を残しているが、書き出せばきりがない。卒業にあたって残してくれた感想文の一部を紹介するにとどめよう。
 「・・・子どもの頃の遊びをあなどってはならない。真の意味で遊べない人間は学べない人間になる。中途半端に遊びをやり過ごすといつまだたってもそれをやり、どうしょうもなくなる。」
 
いただいた年賀状を見ながらこうしてつづっていると、後から後から塾に通っていた頃の子どもたちの姿が浮かんでくる。次回も少し書いてみたい。


    
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# by tsukushi--juku | 2007-08-30 13:27 | Comments(0)
猛暑の日々がつづきますね
おふくろの100歳を祝って下田に帰ったり、孫たちに会いに大島にいったりと家を空ける日がつづいた。明日から8月後期の授業。孫立ちの写真もたくさん撮ったが、ブログに載せる方法がまだよく分からない。なんとも頼りないことだがしばらく堅苦しい、文字だけだ。前回に引き続き卒業生立ちの感想文を載せる。なお、2日前、卒業生から電話があった。「結婚式に是非出席してほしい、スピーチも頼む」とのこと。毎年誰かがこうした嬉しい招待をしてくれる。

     塾卒業に当たって    (2003年)

 初めて塾に行ったときのことを思い出す。私は、塾にドアが二つあることに気づいた。どっちから入っていいのかわからず、しばらくうろうろして私は玄関のほうから入ることにした。インターホンを押せばよかったのだが、それに気づかず、いきなりドアに手をかけてあけようとした。しかし、このドアをあけるにはこつがあった。ガチャガチャやっている私に気づき、土屋先生がドアをあけてくれた。第一印象は、まさしくおじいちゃん。じーっと見上げている私を見て先生は笑いだした。後から聞いたのだが、塾の入り口は別だった。こんなこともあって、先生にとって私の印象はつよかったのだと思う。小学二年のことである。
 ところで、塾では授業の始まる前や後に、ベーゴマやビーダマで遊ぶことがよくあった。普通の塾では、まずないことだろう。
 また、この塾では作文の授業があった。これも普通の塾にはないことだ。書く内容は自由、書きたいように書いて先生にみせると三塁打とか、ホームランなどの評価とコメントがつく。小学四・五・六そして中学と学年が上がっていくにつれ、書く内容も社会や政治のことが増えていく。それもこの塾のおかげだと思う。国語の授業で、先生はたまに新聞の記事を持ってきて読んでくれるが、そうしたことから、新聞や、ニュースに興味を持つようになったのだと思う。
 また、先生の話からいろいろな本に出会った。もともと本好きだった私は、気に入った本にであうたびに本屋に行った。
 新聞や本を多く読むとたくさんの言葉や表現の仕方を知ることができる。その作者の考えもわかる。いろんな人の考え方を知るとやがて自分の考えを持てるようになる。これは、土筆で学んだとても大切なことだ。
 米山先生、先生にもお世話になった。私は中三になって個人授業(数学)を受けたが、先生のおもしろい話、おバカな話で授業が終わることもあったが、そこから学ぶことも多かった。
 本当にここ土筆塾はもう一つの家のような存在である。私が大人になっても訪ねたい場所だ。

    土筆塾は僕を大きく変えた    (2001年)

 土筆塾に通い始めて四年がたった。オレが入塾した動機は「姉、弟が入っているし、塾はいんないと俺の成績も下がる一方だしなぁ」ぐらいの“のり”だった。最初オレは土筆に対して何の期待も不安も持っていなかった。友達のSがいたし、知り合いも多かったので、楽しければそれでいいと思っていた。三年間を振り返って今思えば、オレは、大きくとても大きく変わった。身長は少ししか変わっていないのに、なんというか、性格自体がもう別人になった。
 オレはただ一般論的に「土筆がいい塾だ!」と言いたくはない。オレ自身にとって、この塾がどのように良かったのか、きちんとした思いを伝えたいだけなのだ。
 だからオレはこれから書くこの文章を、整理せずに感情のままに正直に書くことにする。なぜオレが土筆塾のことを書くのにこんなに悩むのかといえば、普段土筆のことを考えなくても、そこに土筆があって当たり前で、何の違和感もないところだったからだろう。普段何気なく過ごしている人生を語ることぐらい難しいことはないのと同じようなものだ。使いふるされた言葉だが、土筆塾はオレの生活では当たり前の空間であり、場所であり、時には疲れていて面倒だったりしたが、そこに行けば待っていてくれる先生がいて、友達がいるのだった。
 土筆塾には二人の先生がいた。塾長の土屋先生と、米山先生だ。二人とも実際、ずい分オレの力になってくれた。二人を比べることはできないが土屋先生の方は教育方針が明確だった。オレにはまだ「人間性」という言葉から十分意味を得ることはできないが、それはオレがまだ子どもであるからで、これからそれを考えていくことになるだろう。友達にはいろいろな塾に誘われた。正直気持ちがなびくこともあった。しかし、オレは土筆塾以外の塾はとても入る勇気がなかった。今オレが土筆塾を辞めたら一体誰が勉強以外のことを教えてくれる?一体誰が成績以外の、数字以外の自分を評価してくれる?オレは学問もきちんと修めてきたがオレがこの土筆塾で学んだことは中学という一番自分が変われる時期に、とても大きな影響を受けたということだった。だって、明らかにオレやSと学校の他の友達とは違うのだ。別にどっちが優れているとか、どっちが正しいとか言うことではないが、確かに違うのだ。
 オレたちは学校や社会(多くは学校だったが)に不満や不安を抱いた。生きるうえで必要なこと、それは疑問を抱くこと、意見が言えること、物を見る目を持つこと、だが、この三つが今の中学生には足りない、足りなすぎる。差し出された規則に縛りつけられ、何の疑問も持たずに従う友達。話すことと言えば日常目にし、耳にする「出来事」ばかりで、自分の考えをきちっと言えない友達。表面的なことばかり気にして本質を問うことのできない友達。だが、オレたちはそんな人間にならずにすんだ。オレの言い方は他人を軽蔑しているように聞こえるかもしれないがそうではない。疑問を持ったり意見を持ったり考えたりできなかったら、かわいそうだと言っているのだ。
 今、中学生たちに生きる意味やものの道理を問いかけた時、答えられる人が何人いるだろう?オレだって答えられるとは言えないが、考え続けている。高校生活は中学の三年間のようにのんべんだらりと過ごすつもりはない。しかし、中学時代疑問を持ったり、考えたり、意見や考えをもたなかった人は、高校生活もその延長になってしまうのではないかなぁ。
 土筆はオレに「考えろ」と刺激を与えてくれた。それは二人の先生に言えることだ。米山先生は教師や学校体制の問題を鋭く指摘し、批判し、気づかせてくれたし、土屋先生は自分の生き様を通してオレたちに考えて生きることの大切さを示してくれた。そして、政治や社会の出来事に関心を持つよう言って聞かせてくれた。それらが、ただ、人生楽しければいいのだという、今までの考えに終止符をうってくれたのだ。
 確かに、友達と議論したり、間違いを指摘したりされたり意見を交し合うのは面倒だしイライラする時もある。しかし、オレはとても意味のある時間を土筆で得たし、SやTとの間で共有した。オレは土筆に影響されやすい、といったらそうかもしれない。親にもよく言われた。去年の卒業式のとき、誰に言われたわけでもないが、「君が代」斉唱のときオレは立たなかったし、森首相のことも批判していたし、教師や学校のこともずい分批判した。でもそれはどうしてかというと、土筆塾にそれだけの説得力があり、共感できることがあったということだ。
 オレは、中学三年間で土筆を卒業することに未練はない。自分が好きな自分をつくれたのも土筆が結構力を貸してくれたし、本当に「考え」をもてる人間になれた。これからの高校生活は土筆なしで、土筆と同じくらい自分で自分を大きくする、そんな時になるだろう。それができると、自分を信じているからおれはこの土筆を未練なく卒業できるのだ。確かに別れは悲しい。オレは北の国に引っ越していくからなおさらだ。しかし、別に一生あえないわけではないし、これからオレの人生を作り上げていくわけだから、悲しみばかり引きずりたくない。オレの文章でオレの思いが伝わったかどうかあやしいが、土筆がとても優れた塾だということはオレの言葉として残しておきたい。
 楽に生きてゆくことができる先進国の人間が生き方について考えない、なんて思ったらもったいない。それを子どもたちに気づかせてくれる場所や人が、今、必要なのだと思う。オレにとって土筆は本当の塾だった。土筆塾、土屋先生や米山先生に会えたことがオレにとっては意味のあることであり、大切なことであった。 
 たかだか週、四、五時間あるだけなのに、こんなにも影響された土筆塾。片や、一日の大半を過ごしてきた学校の影響力のなさ。ここまで大っぴらに批判してもしょうがない。オレにとっての土筆塾を定義するなら「考える時間と考える必要性を教えてくれ、手助けをしてくれた場所」といえる。よくわからない文章になったけれど、オレにとっての土筆塾はこんなところだ。実際通ってみたほうが分かりやすいけれど、今、いえることは「土筆に通ってよかった」ということだけだ。
 長い間ありがとうございました。
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# by tsukushi--juku | 2007-08-19 15:28 | Comments(0)
土筆塾の子どもたち
参議院選挙が終わった。自公が惨敗、民主が躍進、共産党、社民党がそれぞれ議席を減らした。自公政権が不信任に近い状態で後退したことは歓迎するが、民主党が憲法、消費税についてどう出てくるか。憲法改正の土俵に乗るとすればそれは裏切り行為になるだろう。ぶれの激しい民主党のでかたを見守りたい。目先の風潮に振り回されないで、正論を掲げてこれからも発言を続けるつもりだ。
ブログの更新が遅れた。土筆で育った子ども達について書きとめておきたい。

         土筆塾の子どもたち  

 学びも遊びも含めて、子どもたちは土筆塾を『心を解放して安心していられる場』として過ごした。土筆の子どもたちは、小学生のころから中学卒業まで何年もかよう子も多かったが、そうした子も含めて中学卒業時には必ず「感想文」を残した。それは、子どもたちにとって土筆塾とは何であったのかが様々な形で書かれていて面白い。いくつか紹介してみたい。

      土筆塾で学んだこと        (2005年)

 何から書き始めればよいかわからないけれど、私はこの塾に入って約八年になります。小学二年生から中学三年まで、土筆塾でさまざまなことを学んできました。
 小学校低学年では、文を書くこと『作文』を習いました。その当時思っていたこと、考えていたことを、土屋先生は自由に書かせてくれました。『作文』の授業を毎週とても楽しみにしていたことをよく憶えています。土筆塾で学んだことの一つに『文を書く』ということがあります。私は作文が好きになりました。
 小学校高学年からは土屋先生と米山先生、二人の授業がありました。米山先生はどんな質問をしても一つ一つ丁寧に教えてくれました。土屋先生の授業、国語では多くの小説や新聞の記事などを読み、その内容や関連している事柄について考えました。
 今、思い返すと、『戦争』をテーマとした内容が多かったように思います。土筆塾に入って学んだことの二つ目に『戦争を繰り返してはいけない』ということがあります。このことに関してはほかの塾では教えてくれない部分なので、本当に特別な授業だなと思っています。平和の尊さ、戦争の恐怖、日の丸・君が代を押し付ける国政、地雷を踏んだ人……土屋先生は多くのことを語り、私に平和の大切さを教えてくれました。
 土筆塾で学んだ三つ目に『本を読む』ということがあります。国語の授業で、文章を読むことで私は読書が好きになっていきました。
 八年間に私はたくさんたくさん学び、考え、悩みました。そういうことの積み重ねで人は成長していくんだと思います。
土屋先生と米山先生には本当に多くのことを学んだと思います。今まで習ったことや、経験してきたことを生かせるよう高校三年間を充実したものにしたいです。
 今まで本当にありがとうございました。

      土筆塾        (2005年)
                      
初めてこの名前を聞いたのはいつだったろう。兄が通っていて、僕もつられて入ったのが入会理由だった。三年生だった。
 何でも兄と一緒が良かった。塾に出会えたのもそこからだろう。僕は二歳上の兄のクラスへ作文を書きに行き、そこでよく遊んでもらっていた。ベーゴマ、竹鉄砲合戦、将棋にトランプ、竹とんぼ、またマンガを描くのを手伝ったりしていた。年上の人たちと遊んでもらい、とても楽しかった。
 やがて、兄やその同じ学年で親しくしてくれた人たちは中学生になった。
 中学の文章の時間は、時間帯が小学生と異なり、別々になる。つまり兄たちと遊べなくなったのだ。小学生は5・6年合同で、知っている人は同学年の佐藤ぐらいだった。なんだか寂しくなってうちとけられないでいた。だから佐藤とベーゴマをやっていた。ベーゴマは大人数が楽しい。弾いて、弾かれ、外に飛び出し、出されて。先生を入れても3人だ。これではつまらない。6年生を巻き込んで、その時間帯のみんなでやった。ベーゴマを通じてすごく仲良くなれた。
 中学になると、次第に忙しくなった。勉強も小学生と比べものにならないほど難しかった。それでもついていけたのは米山先生の分かりやすく面白い授業があったからだと思っている。知識が豊富でどんな話題でも分かる面白い先生だ。学校にあんな先生がいたらなぁと思う。
 国語は土屋先生。小学校ではまったく、また中学でもほとんど習うことのなかった世の中の風潮に流されない、批判力、世の中を見る力、などを養わせてもらった。土筆にはいらなければ今の世の中を思うこととか、自分の考えを持つこととか、生まれなかったと思う。
 土筆塾には本当に感謝している。こんな塾が日本に、いや世界に二つとあるものか!
 土筆っ子だったということに誇りをもってこれからの日々をすごして行きたい。僕にいろんなものをくれた土筆塾だが、奪われたものもある。正確には土屋先生にだ。それは将棋への自信。僕は兄弟にも学校友達にも負けたことはなかった。だが先生には何度やっても、飛車、角抜いても6枚落ちでも、中学生になっても一度も勝てなかった。これは唯一悔しい思い出だ。
 僕をいろいろな面で成長させてくれた土筆塾は生涯忘れることはないだろう。そんな土筆塾よ、ありがとう。そしてさようなら。
      
     卒業に当たって    (2004年)  
                
思いおこせば、4年前小学6年生の3学期、友人のk君に連れられてここ、土筆塾に来た。(k君はその後引っ越していったが)初めての授業は算数。今は新しい家が建ってなくなってしまったアパートの教室で授業を受けた。土屋先生の授業は実にわかりやすく、また面白くて、学校の勉強よりも楽しかった。
 その後、作文と国語の授業を受けた。作文は、最初見知らぬ後輩とともにやっていたのでなじめなかったが、「ベーゴマ」のおかげで彼らとも話ができるようになった。国語は楽しく漢字の勉強をしていたのを覚えている。
 6年生になった春。このとき算数の担当が米山先生に代わった。土屋先生とはまた違った感じだったが、的確でわかりやすく、また時々「雑学」も教えてくれるので、面白い授業だった。
 それからいろいろ大変なこともあったりしたが、何とか中学卒業までここで勉強ができた。ここでの授業は楽しかったし、学校では得られないような授業もした。その多くは戦争に関係したことについてだ。ぼくはこの塾に来てからこういった関係のニュースに目を向けるようになった。新聞も読み始めた。おかげで、戦争の悲惨さを改めて実感することができたし、今の日本の現状も知ることができた。この塾に来なければ、新聞なんて読まなかったろうし、ニュースも、「そんなことがあるんだ」くらいにしか認識しなかったろう。
 ほかにも思い出はいっぱいある。竹でっぽうで遊んだり、焼き物を作ったり、餅つきの会に参加したりと、たった4年間とは言え、とてもすばらしいところだった。本当に、この塾には感謝している。もうここにこなくなるのは、とても寂しい。もう一度あの時に戻れたらとさえ思う。
 土屋先生、米山先生そして一緒に学んだ仲間たちに感謝の気持ちを伝えたい。
 ありがとう、土筆塾。

 土筆塾を卒業するにあたって   (2003年)

 僕が入塾したのは、小学四年のときだ。初めての授業は作文だった。『土屋先生誕生日おめでとう!』という作文を書いて、ホームランをもらった。それから約五年間、塾でたくさんのことを学んだ。
 僕は土筆塾に入って変わった。一番大きいのは社会や政治などについて興味を持つようになったことだ。国語や作文の時間などを通して、先生が社会や政治のなどの問題について話してくれる。政治を批判するいろいろな話、教育の話、戦争の話などさまざまだ。こんな話を聞いているとありがたいことに嫌でも新聞が目に付くようになる。そして、新聞を読むようになると、今度は「自分の考え」というものがすこしずつではあるが持てるようになるのだ。これは大人になるために必要な力であり、そういった力を土筆塾で学べたことに感謝したい。土筆は知識だけでなく、その人自身をも育ててくれる、特別な塾だと思う。  
 土筆塾にはもう一つ特別なものがある。それは先生と生徒との仲がとてもいいということだ。話すときに敬語など使うことはまずない。逆に冗談をいいあうほどで一緒に遊ぶこともある。塾生同士の仲もいい。土筆塾はとても雰囲気がいいのだ。だから塾に通う毎日が楽しかった。「いやだなぁ」と思ったことは一度もない。これは僕だけでなくて、ほとんどの卒業生が思ったことだろう。それだけ土筆塾は愛されているのだ。僕はこの塾に五年間通いつづけられたことを誇りに思う。
 土筆塾は僕を本当に大きく成長させてくれた。今までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

 土筆の作文・最後    (2003年)

 土筆で書く作文が最後だ。私は小学三年から中学三年までずっと土筆に入っていた。なかでも作文は小三からずっとやっている。特に与えられた題について書くというのではなく、気ままにいろいろと書いてきた。だが、もうそれが最後となる。まだ実感はない。だが、最後の作文なので一つ面白かった授業のことについて書こうと思う。
 中三の初めごろだったろうか。塾の国語の授業で森鴎外の『高瀬舟』をやったのが今でも印象に残っている。そのころ、私は近代文学に興味がなかった。それまで読んだ作品といえば夏目漱石の『坊ちゃん』ぐらいだった。だが『坊ちゃん』も「なかなか面白かったなぁ」程度だった。だけど『高瀬舟』をやったときは面白かったし、考えさせられた。弟の死をめぐる“安楽死”の話だ。また読みたいなぁと思ったし、他の近代文学の有名な作家たちの作品も読みたいと思うようになった。その後、私はしばらく入院することがあったが、入院中に再び『坊ちゃん』を読んだり、芥川龍之介の『羅生門』や、『芋粥』を読んだりした。樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』も読もうと思ったが歴史的仮名づかいだったので読んでいない。だけど、いつか読みたい。
 こんなふうになったのはやっぱり土筆にいっていたからだと思う。
 本だけではなく、政治のことに関心を持ったり、新聞を読むようになったりしたのも土筆に通ったからだと思う。七年間長かったと言えば長かったし・・・でも、やっぱり早かったのかなあ?他の学校の人とも小学校からずっと一緒だし、いろいろ楽しかった。米山先生とは中学になってから授業を受けたけれど面白い話とか画集を貸してもらったとか、うれしかった。
 土屋先生、米山先生そしてみんな、いままでありがとうございました。
                     ( 次回に続く)
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# by tsukushi--juku | 2007-07-30 19:16 | Comments(0)
参議院選挙だ
 ぼやいてはいられない。やるべきことはみんなやろう。争点は多いが俺にとっての争点は憲法九条改悪阻止。次々明らかになった自民党の泣き所、政治と金。消費税増税を含む一連の増税問題だ。これらは政党間の姿勢の違いをはっきりさせている。憲法では自・公・民は同じ土俵だ。社民党さんよ、護憲を言うならなぜ民主党候補を推薦するんだ?金の問題は自民の恥部。増税では公明党さんよ、おたくは定率減税廃止の旗振りをした張本人。さて怒りの一票は……。
 せっせと手紙を書いていたら、コツコツとドアをたたく音。開けたら「せんせーい」近所の子ども達だ。そういえばこの子たち、七夕の日、笹につけた短冊に「天の川でおよぎたい」とかいていたっけ。まるで友達のようにやってくる。

     (前回の続き)
  
   
       君が代の歌       (中学2年)

 三月十九日、卒業式がある。僕の学校では曲だけだと思うが君が代が流れる。昨年の卒業式で大人は立って下を向いていたが、なかには歌う人もいた。
僕は立たなかった。それは君が代が好きじゃなく嫌いだからだ。天皇なんてどうでもいいと思っている。天皇は国の象徴だそうだけれど、僕は中学のころまで天皇を知らなかった。
この前まで君が代は国歌じゃなかったのに、国歌にしたとたん、おとなは歌う義務があるとかなんとか言っている。僕の中学では君が代はまだ勉強していないが、三年になったら多分、何かで歌わされるだろう。例えば音楽の時間だ。でも、いくら先生に歌えと言われても僕は歌うつもりはない。すごくうるさく言われても、校長に呼び出されておこられても担任に怒られても、その教室から出て行き、授業は受けないつもりだ。人に言われてもぼくは歌わないつもりだ。もしも「全員、歌わなければ内申に書くぞ」と言われても、僕は歌わない。人に「なんで歌わないの、内申点落ちたらヤバイよ」と言われたら「君が代がきらいだから」と答えるつもりだ。君が代がきらいでもそう言えず歌っていたら、世の中、意思のない人間になってしまう。
もしも僕の考えが変わらなければ、人のことは気にせず自分を信じて「君が代は歌わない、勉強しない、信じない」の三つを守っていこうと思う。

     「君が代」斉唱について       (中学2年)

 三月十九日に卒業式がある。昨日リハーサルをしたのだが、はじめの言葉のなかに「これからは君が代の歌詞つきで流すので、歌える方は歌ってください」というような言葉が入っていた。でもリハーサルの時は君が代の斉唱をしなかったのでよかったが、私は少しとまどってしまった。なぜなら、今まで君が代斉唱で立ったことはなかったが、歌詞まで流れると言うし、友達もすわる人なんかいないからだ。私一人座っていることが今の私にできるだろうか? もともと、人に意見を言ったり抗議したりすることが苦手でおくびょうな私が、本当にできるのか。もし座っていたら、みんなそれをどう受け止めるだろうか?みんなはこの歌をどう受け止めるんだろうか。そんなことを考えると、こわい。あとで何か言われるのもいやだし・・・。
 でも、君が代を国家と認めるのは、それ以上にいやだ。卒業式にどうしたらいいのだろう。もう少し私の心に勇気があれば、心が強ければこんなに迷わずにいられるだろうにと思うと、自分の弱さがとてもいやになってくる。


     女性暴行事件に思う      (中学2年)

 沖縄の北谷町で米兵による女性暴行事件があった。このことは新聞やテレビなどで大きく報道された。テレビでは沖縄の人びとにインタビューしていた。そのなかで「本当に頭にきますよ。こういう事件が起きるたびに思うんですよねぇ。早く米軍基地がなくならないかなぁってね」と話していた。僕もそう思った。
 僕たちは沖縄に住んでいないから、こういう事件が起きても真剣に考えようとはしない。でも、沖縄の人びとにとってはものすごく深刻な問題なんだと思う。
 先生が話していたが、このあいだの日米首脳会談で、小泉首相はアメリカに対して抗議をしなかったらしい。僕は、これが一国の首相がやることか!と思った。
 こう考えると沖縄の人びとが怒る気持ちが少しわかった。
 沖縄は日本の領土である。にもかかわらず米軍の基地が存在するというのは、おかしいことだと思う。日本も安保条約地位協定などという変な決まりのせいで、米兵をたい捕することができなかった。なぜ、戦後半世紀以上にもなるのにこんな決まりを結んでいるのだろう。こんな決まりを結んでいる必要があるのだろうか。

      子どもは物じゃない       (中学1年)

 このごろ、ニュースや新聞などで、“子ども虐待”などがよく取り上げられる。例えば夕飯をつまみ食いしたからといって、ポットの熱湯を頭にかけたなどだ。親の言い分は〝しつけ〟ということの様だが、ぼくはこれをただの言いわけだと思う。
 しつけだったら何をしてもいいのか。これはまちがっている。ぼくは、親から虐待を受けた子がかわいそうでしょうがない。その子は一生、心に傷が残るだろう。(死んでしまった子だっているのだ。)
 僕は、子どもが怒られるようなことをしても、多少はしかたがないだろうと思う。しつけにしても、限度というものがある。それをわかってほしいと思う。 
 このごろ親たちは、子どもを「物」のようにあつかっていると思う。こう言うことをしたら子どもが傷ついたり死んだりするということが、どうして分からないのだろう。皆んな、もっと子どもを大事にしろ!

 子どもたちの作文は、親を含む大人たちへの問いかけでもある。「あなたは一人の人間として、社会の中でどのような役割を担い、どのような責任を持ちながら、どのように生き、または生きようとしているのか」子どもたちは、そう問いかけているのだ。今、子どもを語るとき、大人自身の生き方をあいまいにすることは出来ない、私はそう思っている。
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# by tsukushi--juku | 2007-07-16 18:39 | Comments(0)
政治への発言
国会が閉会していよいよ参議院選挙に突入ということになる。今日「最近のボヤキ」という雑文を書いた。
         最近のボヤキ

国会が閉会になって、参議院選挙に突入しようとしているのに、どうも元気が出ない。安倍政権のどれ一つとっても腹立たしいことばかり、その腹立ちを随分発信してきたつもりだが、何か、から回りしているのか大した反応もないし、このまま選挙に突入すると、根っこは同じの2大政党の中で、あっちに行ったりこっちに行ったり、ということになりそうな気がして、元気が出ないのかもしれない。物事を系統的に見る、関連付けて見る。そうした思考力は、子どもだけではない大人こそ失っているのかもしれない。
政治と金という問題一つみても繰り返し、繰り返し、もう自民党政治の恥部として長年問題視されてきた。そのたびに、自粛だ、法改正だとザル法を作り、言い逃れてきた。企業献金を自粛するからと、その代わりの金をせしめるために「政党助成法」を作り国民の税金を議員の頭数で山分けし(共産党だけ受け取りを拒否しているが)、今国会でも松岡農水相の自殺など政治と金をめぐって次々不正が発覚すると「政治資金規正法改正」などとまたまたザル法を強行採決して切り抜けようとした。どころがどうだ。またまた松岡に代わって任命された赤城農水相の問題が浮上した。これだけでも、もう改定した「政治資金規正法」が何の役にも立たないザル法であることがはっきりしたではないか。今回強行採決で成立した、安倍政権目玉の法律は、どれ一つとして、国民にとっては「百害あって一利なし」という代物だ。今、国民の不安と怒りを買っている「年金」問題でも、本来なら怒りが爆発してもいい問題。(国民よ、なんておとなしいんだ!)憲法「改正」問題も、教育問題も、安部政権の狙いは、系統的に物をみていくならもはや疑う余地のないほど戦前回帰の方向だ。安倍政権の「美しい国」の正体はこんなものだ。政権党はもちろんだが、戦前、戦後の政治の歩みを歴史的に見るなら、くっついたり離れたりの寄せ集め党がまた、正義にも真実にもかなったものではないことも明らかではないか。2大政党と言う、マスコミが鳴り物入りで作り出している流れも、似たり寄ったりだ。
一人でぼやいたところでどうしょうもないが、ぼやきたくもなる、というのが正直な心境だ。ごめんなさい。でも参議院選挙だものね、がんばらなくっちゃ。

 私がぼやいているようではなんとも情けない。土筆塾の子どもたちの政治への発言のほうがほうが昔も今も健在だ。 
              政治・社会への発言

    なにがダメなんだ       (中学3年)

 選択国語で、「青年の主張」という作文を書いた。
 先生が「自分の思っていることを書きなさい」といったので、おれは政治のことを書いた。内容は、小泉首相への批判的内容だった。おれは、その作文を先生に出した。  
 そしたら「ダメです」と言われた。「どうしてですか?」と言い返したら、「あなたにとって、政治のことはむずかしいからダメです」と言われた。
 「はぁ?・・・なんだ、この先生」。どなりつけてやりたい気持ちになったが、がまんした。
 しかし、どうしておれに政治のことがむずかしいんだよ。なめんなよ。まぁ、おれはこの先生に嫌われているからこう言うことを言われたと思うが、許せない、と思った。
 「あなたにとって、政治のことはむずかしいから」と言う理由で「ダメだ」と言われたのは本当に頭にきた。

 土筆の子どもたちは社会や政治のことについても、積極的に発言する。それは十年前も五年前もそうだった。もちろん今もそうだ。年代はまちまちだが、次に子どもたちの作文を紹介する。

イラク戦争反対        (中学三年)

 今、イラク問題が世界の話題の中心になっている。アメリカ側は、テロとの戦いだと主張しているが、多くの人々が、石油が目的だといい議論を巻き起こしている。アメリカの中でも、一般市民から戦争反対の声が上がり始めた。
 僕たちが受験勉強をしている間に、世界各地で反対運動がもり上がり始めた。反対する声はかなり大きくなった。攻撃をしかけようとする米英、それに賛成するのは数少ない国だ。
 これで戦争はしなくなるだろう、と思っていたが実際は違った。米英は全く考えを改めず、いまだに武力攻撃をする構えだ。世界の人々が、世界の多くの国々が反対しているのに、それらは全く無視だ。 
 イラクも戦争をすることは望んでいない。望んでいるのは、たったの数十ヵ国。それらの国の中でも多くの一般市民は反対の意思をしめしている。こんなにも反対の声が上がっているのに、なぜ戦争をやめさせることができないのだろうか?
反対運動やデモの力は、そんなに弱いのか。
 反対運動が無意味だとは思わない。戦争がおこるのをくい止め、遅らせているのは反対運動によるものだ。
 しかし、そうすることはできても米英の意思を変えるまでには至らない。結局はブッシュとブレア両首脳を中心とする政治家たちによって米国も英国も動かされてしまっている。
 ブッシュ大統領の行動はあまりにも身勝手だ。アメリカ国民の意思を無視し、大統領という地位を利用し、自分の考えだけで国を動かそうとしている。英国のブレア首相も同様だ。これが民主主義の国だろうか。どこが国民主権なのか。なぜ、このような国が世界で最も強い力を持っているのだろうか。
 この前、米英が新たな動きに出た。「フセインをとるか、われわれをとるか、どっちだ?」と迫った。自国の強大な軍事力、権力を利用し、国をあげての脅しにかかった。これが米英の国を代表する人たちによる行動だと考えるとあきれてしまう。子どもにあきれられる大人も大したもんだ。
 このまま事態がすすめば、必ずといっていいほど、戦争は起こってしまうだろう。第三次世界大戦にまで発展するかも知れない。そうしたら、悲しいことに,日本は米英の味方をすることになるのだ。
 太平洋戦争以後も、朝鮮戦争やベトナム戦争があった。まだ戦争の時代は終わっていない。現代でも戦争時代の終わりは見えない。いつになったら終わるのだろうか。
 しかし、ただぼんやり思うのではなく、戦争時代をおわらせるために、自分たちで行動を起こすことが大切だ。そうして本当の民主主義を作りあげなければならない、と、思う。


日本社会について       (中学3年)

 人と人とのふれあいが少なく何か得をすることがないと何もしない人が激増している。家族以外の人とのふれ合いが少なくなっている。 
 さらに何か得をすることがないと、必要以上の労力を使いたがらない。これは日本の現代社会の特徴である。
 社会をひっくり返さない限りこれは変わらないだろう。
 また、マスコミに誘導されやすい。これは弱点中の弱点である。なんとなく、もっともらしい意見を書き、あらゆるメディアから情報を流せば自分の意見より、そっちの意見を優先させてしまう。
 こうしてみると“核”よりもマスコミの方が恐ろしくなってくる。

   靖国問題        (中学2年)

 小泉首相は、八月十三日に靖国神社に参拝した。この問題については、随分前から世界各国から批判されていた。特に中国・韓国。十三日のテレビで小泉首相が靖国神社を参拝していたのを見て驚いた。十五日ではなかったが、どっちにしろ参拝したのだ。
小泉首相が参拝する前に、私の友達が遊んでいる時に聞いてきた。「小泉さんの靖国神社参拝のこと、賛成?反対?」私はもちろん「反対」と言ったがその友達はとてもビックリしていた。この友達は小泉首相が好きらしい。そして、その友達は「靖国神社には、戦争で亡くなった方がまつられているのに、どうして他の国から反対されるのだろう?変だと思う。」と言ってきたので、私は聞いてみた。「あそこは戦争で亡くなった人だけまつっているんじゃないよ。戦争犯罪人もまつっているんだけど、知ってた?」「えっ!」と友達は驚いていた。
やっぱりその友達は靖国神社についてあまり知らず、小泉ファンとして小泉さんが批判されるのが嫌だったのだろう。
 こういうふうに、好きだからとかで選挙で投票したりするのは、やめたほうが良いと思う。それに、この友達に「もっと新聞を読め!」と言いたい。(次回に続く)
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# by tsukushi--juku | 2007-07-08 22:23 | Comments(0)
学校とのかかわりの中で
学校とのかかわりの中で
 
 学校は子どもたちが一日の大半を過ごすところだ。それだけに学力の習得はもちろん、よかれ悪しかれ学校が子どもたちに与える影響は極めて大きい。
 学校の日常の中で、子どもたちはどんな体験をし、何を感じ何を考えて日々を送っているのだろうか。子どもたちの作文を通してその一端を紹介してみたい。

    第一次給食大戦争      (中学3年)

 わがクラスは、給食のときに戦争になる。特にゼリーなどの個別に分けられるものではなく、御飯のような目分量で分けるものは、タイムサービス品に群がるおばさんたちのようだ。
 これは数日前の出来事だ。この日はピラフが大量に余った。まだ挨拶もしないのに、何人かがターゲットを狙って警戒していた。そして「いただきます」の言葉。それとほとんど同時に、何人かの男子が我先にとコーンピラフに向かった。が、距離の近いほかの男子に、コーンピラフをすくうためのしゃもじをとられてしまったのだ。
 しかし、彼はしゃもじを使うなんて頭にないようだ。近くにあった平たい皿をつかってピラフをすくったのだ。この行動はさすがにぼくも驚いた。ここまで頭が働くとは!ものすごく食べ物への執着が強いのだろう。
 この戦いは、今も続いている。彼らの戦いは給食がなくなるまで終わらないだろう。

    暑い            (中学2年)

 今年の夏は、異常な暑さになりそうだ。ここ最近とても暑い。この暑さで熱中症になって何人も死んだそうだ。
 うちの学校のうちのクラスでは、一日三人も早退した。教室はクーラーなんてものはないし、かろうじてふつうサイズの扇風機が一台上のほうについているだけだから無理もない。教室の中は地獄の暑さだ。
 授業も、この暑さでみんなぐったり、だからあまり進まない。こんな状況下で唯一の救いはプールのある日だけだ。とても気持ちよくてみんなはしゃぎまわる。
 音楽の授業もいい。クーラーがあるのはこの授業だけなのだから。音楽の先生は「みんなが服装をきちんとして、姿勢をちゃんとしなければクーラーはつけない」といってくる。学年一授業態度が悪いうちのクラスも、これには一致団結だ。必死になって服装や姿勢をよくする。
 暑くて暑くてこんな感じだが、それでも今日は大分涼しく過ごしやすかった。八月から九月にかけてどんな暑さになるだろう。

    クラスのきらわれもの       (中学1年) 

 ぼくのクラスに、Aさんと言うみんなからきらわれている女子がいる。どういうふうにきらわれているかと言うと、例えば「わぁ、くるなよ、ブス」「どっかいけぇ」などといわれているのだ。しかし、これは男子の例で、女子はといえば彼女が通った後、イヤーな顔をする。男子も女子もどっちもどっちといった感じだ。
 ぼくは、彼女がなぜきらわれているのかはよく知らない。だれかがいうには「ブスだから」「不潔だから」だそうだ。そんなバカな!とぼくは思う。ブスの女子なら校内探してもたくさんいる。美人よりブスのほうが多いくらいだ。
 ぼくは彼女とは今年初めてクラスが一緒になった。ぼくは人を差別するのはきらいなので、彼女を普通に見ていたが、次第にぼくは彼女がきらいになった。最近では「わーよるなよ、ブス」「こっちくるな、バカ」などと言う言葉を平気で連発するようになった。
 掃除の時間に男子がきゃぁきゃぁ言ってふざけていた。だれかにタッチされては、それをまただれかにつける。これを繰り返しているのだ。何をつけているのかと言うと例の「A菌」だ。だれかがAに触られたらしい。そしてその菌回しがぼくにも回ってきた。(こんなことで菌が回るわけがない。実にくだらん)ぼくは今までそう考えてきた。しかし、ぼくのとった行動は違った。「うぎゃー」と言って近くの人にタッチして、その菌回しのグループに入ってしまった。ぼくは完全に人を差別する人間になってしまったのだ。
 なぜAを嫌わなくてはならないのか・・・それは自分のためなのだ。Aをきらわないと「お前、Aが好きなんだろう」と言われるからだ。そしてしまいには自分もきらわれてしまう。
 ぼくは自分のためにAを仲間はずれにしたり、悪態をついたりしてしまったのだ。
 ぼくのクラスも、ぼくも、このままでいいのだろうか・・・。

     先生と生徒         (中学2年)

 数学の時間に、O君が先生の注意も聞かずにしゃべっていた。先生はO君のところへ行き何度か注意した。最後にO君の頬を一発たたいた。O君は怒って、先生の腹を二、三回ひざでけった。
クラスのみんなや私は、「やめなよ」と注意したが、O君は先生の言葉に反発し続けた。その後、何人かの男子と女子が止めに入った。何とかやりあいは止めたが、二人のにらみ合いは止まらなかった。
 O君は職員室に連れて行かれた。その後、クラスは他の学年の人たちでいっぱいになり、O君の話題でいっぱいだった。
 O君は前々からよく注意されていたが、私もその先生はあまり好きではない。いまだに生徒の名前も覚えていないし、授業で質問しても「そう聞かれても困るんだよね」と言って流されてしまう。それに、黒板に書いていることがいつも違っている。一度や二度ではない。授業のたびに、多いときには五ヵ所以上も間違える。これではわからない人たちが余計わからなくなる。O君もO君だ。やりたくないのなら、外へでも何でも行っていればいい。周りの人が迷惑することはしてほしくない。O君とは班が一緒だが私は注意も出来ない。自分の意見をはっきり言うKちゃんを見習いたいと思う。

    歴史の授業         (中学2年)

 この間の歴史の授業のとき、歴史の先生がA君に質問した。
「おい、A。お前漠然的に考えて、戦争反対か?」 (今は日清、日露戦争の勉強をやっている。)
「反対です。」
「じゃあ、なんで当時の人は戦争に賛成する人が多かったんだ?」
「・・・? わかりません。」
「じゃあ、例えばお前の友達のBとCが他の国の人に銃を突きつけられたら、お前どうする?」
「・・・うーん、戦う。」
「それって防衛戦争じゃん? お前さっき戦争反対って言ったじゃん。いってることとちがうじゃん。」
「えっと・・・うーん・・・」
 A君はかなり困っていた。
 その時、先生は「悩んでくれてありがとうな」とニャッと笑って
「さっきA君は友達が殺されそうになったら、戦うっていったけど、今の憲法では戦争を二度としないと言っている。武器も持たない、軍隊も持たない・・・。でももし他の国が戦争を仕掛けたらどうすんの?さっきA君に聞いたみたいに、BとCが敵に殺されそうになったらどうする?武器も使えねぇんだぜ、おい、D、どうする?」
 などの質問をいろいろな人に浴びせ、その結果『侵略戦争はダメだけれど、防衛戦争はよい』と言う結果になった。聞かれたほとんどの人が、そう答えた。
 先生は満足そうに、
「じゃあ、憲法9条、変えればいい」
と言った。そして、質問した生徒たちに、
「憲法、変えればいいか?」
と問い、生徒たちは先生に同意した。
 まったくもってこの先生はバカではないかと私は思った。戦後60年近く日本に戦争がなかったのは、この憲法のおかげではないか。生徒が答えられないような質問をし、自分の意見に同意させた。
私は侵略戦争だとか、防衛戦争だとか、よいとか悪いとか言いたいんじゃなくて、どっちの戦争にせよ憎しみを生むだけだと思った。

いじめ、教師の暴力あるいは言葉の暴力などなど、この種の作文は多い。それだけ学校現場が、子どもたちにとって安心していられる場所ではなくなってきていると言うことでもあるだろう。授業そのものも子どもたちをひきつける魅力を失っている、そんな感じがしてならない。まして右の作文のような授業が行われているとしたら軽く見過ごせることではあるまい。

  私も受験生      (中学3年)

 私も、とうとう三年生になり、周囲からは「受験生」なんて呼ばれる立場になった。進路のことも考えなくてはならない。将来なりたいものはたくさんあるけれど、高校は普通科で受けたいなあ、なんて思っている。どこを受けるかはまだ考え中だが、高校に行きたいのは変わらないから、今のところ勉強を頑張るしかない。
 偏差値という一つの目安がなくなり、よく「内申、内申」と叫ばれるようになった。三年生になり、ほとんどの人が内申を気にするようになったのか、委員、係り決めの時、よく手が挙がった。特に、委員会の方だ。あんまりこんな言い方はしたくないが、委員になる人って、ちゃんと仕事を責任もってやってくれるだろうか?二年生の時、委員になったのはよかったけれど、仕事を最後まで責任をもってやっているようには見えない人がいたから、そう思うのだ。他のクラスの人といっしょに委員になる約束をしていたりする人もいる。役員をやっていないからというわけじゃないけれど、普段の生活と勉強を頑張り当日の実力で受験するしかないけれど、やっぱり、こんなの変なのかな?
 たしかに、英語や数学は文法や、公式を覚えそれから問題を解く。応用力をつけ受験する高校の傾向の問題を解く、というようになっている。
 これが、本当の教育か疑問だが、そんな変な流れが変えられないまま、とうとう私もそのレールに乗った。この変な流れは当分変わらない、と思うから、これに乗ったまま受験という一つのハードルに進んでいく。
 だけど、受験バカなんていわれたくないから、テストにはあまり関係ないけれど、今問題になっていることや、社会的なこと、政治的なことも理解するようにしている。こんなことはないと思うけれど、変なレールに乗せられて教育を受けた私たちが、未来の官僚になったとき、こんな日本を変えられるか?と問われて本当に変えられるかどうか自信はない。
 このごろ、いろんな授業で「忘れ物をしたら10点引く」だの、「自分から応えないと点数をあげないぞ」だのと先生が言う。点数点数とテストならしょうがないけれど普段の授業で言われても困る。授業ってそういうものじゃないと、私は思う。点がほしいから、点を引かれたくないから、一生懸命授業を受ける。先生にとってはまじめに授業を受けるようになるから良いかもしれないけれど、逆に、どうして授業を受けているのか根本的なことがわからなくなってしまう。そして、点数がどうのこうのといわない先生の授業では、とことんふざけている。
 これでは、先生が生徒をダメにしているようなものではないか。それなのに、点がどうのこうのと言う先生は「授業は心と愛」なんていっている。バカみたい。
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# by tsukushi--juku | 2007-07-02 11:47 | Comments(0)
普段着の子どもたち
6月は日本の政治がめまぐるしく動いた。政権与党の数を頼んでの暴挙につぐ暴挙。”数だけが物を言うんだこの国は”といったところ。どう観ても現政権の目指す方向は国民と子℃も達にとってきわめて危険な方向に急速に動いている。もうすぐ参議院選挙。国民の一票に期待するしかない。
前回に引き続き作文を通しての『普段着の子ども達』を書き留めておく。
  地域社会のなかで

    なぜ捨てるのかな?    (5年生)

「また捨ててある」
 カンや紙くずが、いっぱい道に捨ててある。すぐそこにゴミ箱があるのに。そう思いながら、わたしはゴミ箱に捨てる。それからまた歩く。少し歩いただけでもゴミはいっぱい転がっている。またゴミ、まったく!
 すぐそこにゴミ箱があるのに。そう思いまたそれを拾い、ゴミ箱に捨てる。毎日その繰り返しだ。私はゴミ拾いじゃないぞ、と思う。
 でもつい最近までゴミ拾いはしていなかった。この前、おじさんがゴミ拾いをしているのを見て、私もやることにしたのだ。でも本当はやりたくない仕事だ。
 公園の前を通った。子ねこがいた。毛が汚かったから捨てねこだと思った。ねこまで捨てていく。まったく、ねこはゴミと違うぞ!ねこはもちろんゴミも捨ててはいけないんだ!
 今、環境問題があることを知っていながら、こういうことをやるなんて・・・。自分ひとりぐらいいいや、なんて思っている人が多いからこういうゴミ捨ても多くなる。また、ねこだってそうだ。ねこを飼うんなら最後まで責任を持って飼え。一人一人がこういうことはいけないな、と思えば、ゴミ捨てや捨てねこはなくなるとわたしは思う。

いじめを見た     (6年生)

 商店街の自動販売機の前で、高校生たちのいじめを見た。女子高校生が六人。5人対1人。
最初はみんなで話しているのかと思った。だけどだんだん様子が変わってきた。その道を通る人が少なくなると、一人の女の子に五人で話しかける。なんだろう?私とSさんは、様子が変わったことに気づいて、さりげなく近づいてみた。あっ、一人の女の子がいじめられている!
 みんなで、周りを囲んで「おら、おら」とか、「てめぇ」とか言っていた。ある女の子はタバコをすっている。ある子は厚化粧している。本当に高校生?と思ったとき、一人の女の子が言った。「ゴミ箱に顔突っ込め」。
 えっ、まじ?
でもいわれた子は気が弱かったみたいで、すぐ言われたとおりにした。あさったり顔突っ込んだり・・・。周りに大人もいたが、見てみぬ振り。そんなのってある?
いじめている子は笑っていた。
 これで終わりかと思ったら次はジュース。またみんなで囲んで、「てめぇ、ジュース買えよ。」とか、「買わなかったらどうなると思う?」とか・・・。その子はお金を出す。また二、三人よってきてその子たちの分も買っている。もうお金がなさそう。
 いじめをとめたい。とめてやりたい!そう思った。でも六年生二人と高校生五人じゃ話しにならない。大人は見てみぬ振り。
 私とSさんはその場から離れた。いったいこのイジメ、誰が止めるの?本当に私たち、にげてよかったのかな・・・。

    電車の中で    (中学2年)

江古田に行く電車に乗った。向かい合った席に、幼稚園の年長くらいの子と、その母親らしい人が座っていた。女の子はきちっとした服装に手さげカバンを持っていた。
私はその雰囲気から「あっ」と思った。以前、テレビで有名小学校にわが子を入れるために一生懸命な、ある家族を映していた。毎日毎日、幼稚園から帰ると遊ぶ暇もなく塾に通う。子どもは割りと楽しそうだったけれど、親は「面接の時の親の服装も見られる」だとか、そういう話ばかり、ほかの親と話していた。そんな内容のテレビだったがそれをふと思い出したのだ。
案の定、前の席に座っている母親が、子どもに掛け算の九九を言わせたり、算数の文章題を出したりしていた。その女の子は「あとなんこの駅?」とか、「何分いるの?」とか聞いていた。
その親子の降りた駅には、ほかにもたくさんそういう感じの親子がいた。テレビで映し出されていた親は、私立小学校に入れる理由を「立派な人になってほしいから」と言っていたが、この人たちもそうだろうか?
人それぞれ考え方はあると思うけれど、無邪気に塾に通う幼稚園の子どもたちが、なんだかかわいそうに思えた。子どもたちはどのくらいまで自分の状況を知っているのだろうか?きっと、この子たちは小学校高学年になっても、なぜこういう学校に通っているのか疑問を持つこともないだろう、と私は思う。
もし私が、小さいころに親の考えだけでこういう学校に入れられていたとしたら・・・私は嫌だ!

   近くの本屋    (中学2年)

 つい最近、私の家の近くの本屋がつぶれてしまった。その本屋は、近辺に三つの支店があるが、その三つともつぶれてしまった。私の家の近くにはその本屋しかなく、後は駅前にある本屋と駅の向こう側、少し歩いたところにあるが、その本屋がつぶれたことでとても不便になってしまった。
私は、しょっちゅう本屋を利用するので、とても困った。本はよく買うし暇つぶしの時間にはもってこいの場所だったし、待ち合わせにも最適のところだった。私の周りには本屋でマンガをよく買う人が多いので、まさかこの本や、それも私が一番よく利用している本屋が、つぶれるとは思わなかった。
やっぱり、この不況の時代に、例外はないのかもしれない。

   ゴミを拾うおじさん    (6年生)

学校へ行くとき、いつもゴミを拾いながら歩いているおじさんがいる。家の前の道路から、気象衛星センターまでの間でいつも見かけるので、きっと気象衛星センターの人だと思う。
この間、おじさんがゴミ拾いを始める最初の動作を見た。そのおじさんは、カバンから、おもむろにゴミ袋とカンゴミばさみを取り出して、燃えるゴミ燃えないゴミを別々にして拾っている。
私はいつも、そのおじさんを歩きながら追い越すのがとても悪いような気がする。きっと追い越していく人みんながそう思っているに違いない。
朝おじさんを見かけると、いつも心がすっとするけれど、少し胸がチクッとする。私だって勇気があればできることだ。
おじさんの通った後の道はとてもきれいだ。

親         (中学3年)

どうも最近の親はおかしなところがある。それは自分の子どもにOO君とか、OOちゃんなどと「君」「ちゃん」付けして呼ぶことだ。俺の親なんかは、どこの誰と話そうと「君」など付けたことはない。俺はそれでいいと思っている。「君」など付けられては恥ずかしいくらいだ。
また、自分の子どもを叱らない親がいる。
家の近くに中学2年のバスケットボール部に入っている男の子がいるのだが、その子が家でバスケットボールをつく。それが響いてとてもうるさい。夜になってもそれをやっている。それなのにそこの親は注意ひとつしない。その家の父親は中学の先生をしているのだ。どういう家なんだ、とこちらがとまどいを感じる。親が何も言わなければ、その子はそれをいいことだと思ってしまわないか?
子どもにも責任はあるが、怒ったり注意したりしない親も親だ。子どもは親を選べないのだから、もうちょっと、「親なんだぞ」と言うところがほしい。
   
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# by tsukushi--juku | 2007-06-27 22:11 | Comments(0)
子どもたちの日常
前回に引き続いて子どもたちの日常を作文を通して紹介します。
     
   家庭で、地域で、学校で

ここに一郎、二郎、三郎、四郎の四人兄弟がいる。いずれも塾生だ。それぞれが書く兄弟の姿や、家庭での生活が面白い。

 お兄ちゃんのこと    (3年生・四郎)

 二郎お兄ちゃんは、いつもかくれてゲームをしている。ゲームをしていい日は日曜日だけなのに、父ちゃんと、父ちゃんのねぇちゃんがいない日なら、学校から帰ってから何時間もゲームをしている。
ぼくが、学童から早く帰ってきて、お兄ちゃんに「ゲームやらせて」と言うと「ちょっと待ってて、まだぜんぜんやっていないから」と、ウソをつく。
ぼくはそんな兄ちゃんがきらいだ。

   わがまま四郎     (二郎・中学2年生)

 最近、四郎はわんぱく坊主になった。人間は不思議なものだ。保育園のころはいじめられていたのに、小学校に入ったらいじめ返している。最近では5年生も泣かしたらしい。早くもほかの子の親から危険度Aクラスとして、一目置かれる存在になっている。
 四郎はわんぱくのほかにわがままと言う特性も持っている。「いいの!チャンネルはこのままなの!」とテレビを独占する。ぼくは怒るが、おばぁちゃん、お父さんほか大人はそろって甘やかす。
 このままでは四郎は、高校生ぐらいになると、何をやらかすか心配だ。四郎のわがままを、今からでも直してやる!

   四郎、ついに不良     (二郎・中学2年生)

 最近、四郎は荒れている。兄貴、親、家族友達、だれかれに関係なく
「あぁん、けんか売ってんのかぁ?このやろう!」
と言う。人が来ても挨拶もしない。テレビのチャンネルを変えると、殴るけるの暴力を振るう。おじいちゃんに
「死ね、このボケ爺!」などと言うし、我が家の台風の目だ。しかも自称不良を名乗っている、とんでもないやつだ。
 四郎が行儀よくするのは、お年玉をもらうときだけだ。まったくわががままにもほどがある。

    家のなまけ者     (三郎・5年生)

 ぼくの家にはなまけ者がいる。なまけ者、おなじみの二郎兄ちゃんだ。はっきり言って、二郎兄ちゃんは弟と同じ程度の仕事をやっている。今月、自分の仕事(牛小屋の仕事)をした回数はなんと一回だ。
 ぼくは、米とぎを今月十二回やって、一郎兄ちゃんは、牛小屋の手伝いをやりすぎて何回かわからないほどだ。ぼくははげしく怒っている。二郎兄ちゃんはたったそれだけの仕事で、ばぁちゃんからお小遣いを千円ももらっている。ぼくが、
「二郎兄ちゃん、仕事してよ!」
と強く言うと、話題をそらしてほかの話へと移り、ごまかされうまく交わされる。
 二郎兄ちゃんの戦術はまだある。それは、かぁちゃんに、「布団を敷いて」といわれたら、まずじゃんけんをして、片付けと布団を敷く人を分ける。(ぼくはいつも片づけだ)二郎兄ちゃんは布団敷きなのに何にもしないでかぁちゃんがやってくれるのを待つのだ。これには驚いた。
 二郎兄ちゃんは頭がいい。いろんな手を使ってこれからも仕事をしないだろう。
 ぼくはおばぁちゃんに、お小遣いのことを抗議するつもりだ。

    牛舎の手伝い     (一郎・中学二年生)

 最近家のおかぁさんは忙しいらしい。何でも新しい資格を取るために、毎日勉強会に行かなくてはいけないらしいのだ。これでは牛舎の仕事が出来ない。と言うことで、ぼくと二郎が牛舎を手伝うことになった。
 前から手伝ってはいたのだが、ぼくが手伝うのは夜だけで、朝はやらなかったし、担当はエサ作りだけだった。二郎は牛舎の仕事はおろか、手伝う仕事の量は三郎にも劣っていた。
 今回は夏休みの週間。お母さんの仕事だったエサ配りをプラスして、一日一人100円、と言う話だった。ぼくは喜んでOKした。なぜなら、夏休みはどうせ暇だし一ヶ月の小遣い2000円に対して3400円もお金が入ることになるからだ。
 しかし、そんなに甘くはなかった。朝は8時にたたき起こされ、お母さんがいないので朝食の用意までしなくてはいけない。おまけに今まで2000円だった小遣いが、こんど手伝い料が入るというので1000円に減らされてしまった。もう一つおまけに、二郎は塾に行くというわけで、ほとんど仕事をしない。今日などは、びしょぬれになって仕事をして帰ってみると、二郎がラーメンをすすりながらテレビを見ていた。こんな不公平な話はない
 そこで、今夜、お母さんに手伝い料を一日150円に値上げしてもらおうと思う。

    おばあちゃんの退院     (一郎・中学3年)

 ようやくおばあちゃんが退院した。今までお母さんが病院にいくので、ぼくは牛舎の仕事をやったり、おばあちゃんが手術する日は病院にいって何時間も待ったりと、いろいろ大変だった。
 しかし、一番大変だったのは、おじいちゃんだったろう。朝おきても誰もお茶を入れてくれず、誰も話し相手がいない。平日の昼など、さぞかし暇をもてあましていたことだろう。そのせいか、いつもイライラし、ぼくたちはよく怒られていたが。また、一番つらかったのもおじいちゃんだろう。
おばあちゃんが入院してからおじいちゃんはタバコをすっぱりやめたのだ。普段ぼくが何度も「タバコは体に悪いからやめろ」といっているのに「悪くなるのは俺だから、別にいいだろう」と必ず言い返していたおじいちゃんだった。それが、タバコをやめたのだ。タバコをやめるのはかなりきついと聞くのに。「おじいちゃんはおばあちゃんを愛しているんだなぁ」とぼくは思った。
それにしても病気が治ってよかった。あすは寿司パーティだ!

    味噌汁      (二郎・中学二年)

 今日は母ちゃんがいなかったので、晩御飯は簡単なもので済ませた。そうしたら、弟の三郎が味噌汁を作ったのだ。「ぼく、味噌汁作れるんだ」と。
 そういって作った三郎の味噌汁は、具がなかった。「うまい」と三郎は言ったが、一郎兄貴は「まずい、食えたもんじゃねぇ」と文句を言って、けんかになった。ぼくはその場で「まあまだな」と言ったが、あんなものまずいに決まっている。しかもうすい。しかし、一生懸命作ったものに「まずい」はひどい。
 人間多少は気を使って生きていくべきだとぼくは思う。

*この兄弟の家は清瀬でも数少ない酪農農家だ。30頭近い牛を飼っている。

 ほかの子どもたちの作文を紹介する。

    アオダイショウ、大暴走      (5年生)

 今日朝早く父と兄とぼくで金山緑地公園に行った。着いてから少し寝転がっていたら、木の周りにおじさんがいたので、ぼくも行ってみた。木を見ると木の上にアオダイショウがいた。アオダイショウは結構大きかった。さっそく僕は兄を呼んだ。
 タモを持って捕まえようとした。だけどヘビは木の上をすいすい移動した。
 5分ぐらいたったときヘビは疲れたのか止まった。ぼくと兄はそのチャンスをねらってそのアオダイショウを捕まえた。ぼくは父のところへ持っていこうとしたけれど、体が大きいので持ち運べない。兄にもてつだってもらった。
 運ぼうとするとアオダイショウが暴れる。父のところまでやっと運んで、袋の中に入れた。けれどすぐ出てくる。アオダイショウの暴走は止まらなかった。捕まえようとするとかみついてくるのでそのままにらんでいた。その瞬間、アオダイショウは草むらに逃げ出した。兄がしっぽの先をつかんだけれどおとなしくならない。そこへおじさんが来てアオダイショウを草むらからだしてくれた。
 それからぼくらはアオダイショウを水の中に逃がして、泳ぐのを見た。
 やっとアオダイショウの大暴走が終わった。

    ぼくの家の魚たち      (5年生)

 ぼくの家では魚を飼っている。メダカ9ひき、カワバタコロモ3ビキ、フナ1匹だ。当然エサもいっぱいいる。だから金山緑地公園からアカ虫を捕ってくる。
アカ虫40匹を全部水そうに入れた。するとまずメダカが食べ、とりのがしたのをカワバタコロモが食べる。ソシテあまったのが下へ落ちてくるとフナが全部食べる。だから、あまることは当然ない。
 毎日三回はエサをやらなければならないから、大変だ。でも魚がエサを食べる瞬間がおもしろい。

    レコード        (中学二年)

 最近は、CDと言う、実に便利なものが出来ている。レコードよりも小さく、多くの音が入り、しかも音がいいというものだ。
 ぼくはある意味ではオーデオマニア。でもCDは、とか、デジタルレコードは、アナログは、などと言うことをぐだぐだ言うつもりはない。レコードが300枚以上あり、カートリッジが20個以上ある一般の家は少ないだろう。そこら辺の電気屋にもそうはないはずだ。ぼくの家にはそれがある。
 それは買ったものもあれば、粗大ゴミ置き場から拾ってきたものもある。
 あちこちにある粗大ゴミ置き場。そこには見るからに使えそうなレコードやプレヤーがたくさん捨ててある。普通の人は見向きもしないだろう。しかし、そこへぼくは出かけていくというわけだ。
古い自転車に乗って、前には黒い大きなカゴ、後ろにも白い大きな大きなカゴ。頭は蜂の巣のような、ねぐせのひどい髪。服は毎日着ていそうな汚い服、足は素足で夏も冬もサンダル。顔はそこそこ黄色人種のような色で、眉毛が薄い。両手は油汚れのひどい軍手をして、右手にはモンキーペンチ、左手にはスパナを持つ。それがぼくの姿だ。ぼくは毎日粗大ゴミをあさる。レコードだろうとオープンデッキだろうと、Lカセットデッキだろうと、使えるものは使えるのだ。
 最近の人は新しいものに頼りすぎる。金持ちだから?これが出たから買おう。ハイ、一万円。・・・とすぐ金が出てしまう。これはいけない、すぐやめろ!ぼくの家なんか、貧乏と言うんじゃないが赤字で、買うことなんてとてもとても・・・手が出ない。そんなわけで、古いものももったいなく、捨てることが出来ないのだ。
 拾ってきたものを修理し、掃除も終わり接続して、そのステレオでぼくはのんびり音楽を聴いている。

  家族とのかかわりの中で

    お父さん      (6年生)

 最近の女の子は、おとうさんにむかって「おやじ」とか「クソおやじ」とか言って嫌うらしい。と、お父さんがボソッと言った。そして、疑わしい目つきで私のほうを見た。
「私はそんなこと言わないよ」と言うと「まあね」そういって、すたすた行ってしまった。
 私はお父さんの言ったことについて考えてみた。確かに前よりお父さんに反抗することが多くなった。お父さんに怒られたときは、この野郎なんて思ったりするけれど、しゃべったり、ふざけたりするときは楽しい、そう思う。悲しかったり怒ったりしているときもいつでも話を聞いてくれるのはお父さんだった。ここまで立派に育ててくれたのもお父さんだ。私の一番の親友はお父さんだ。お父さん、これからも仲良く「悪ガキ大将」いっしょにやろうな。

    家を飛び出して     (6年生)

 この間、私の態度のことでお父さんと親子げんかになってしまって、家を飛び出した。「絶対帰らない」と思って出てきたのだが、歩いているうちに
どんどん涙が出てきてとまらなかった。
 全然さびしくない、悲しくない・・・と無理に強がった私は、落ち着く場所を探した。でも見つからなかった。それもそのはず、私が一番落ち着く場所は、家族がいる家なのだから。
 しばらくして、妹が探しに来た。どうやら親に頼まれたらしい。私は結局三十分もしないうちに帰った。
「何だ、もう帰って来たのか」とお父さんは笑っていた。もちろん私は謝った。でもお父さんは、私がセブンイレブンで暇つぶししていたのだと思っていたらしい。
 やっぱり、こんなに早く帰ったのは間違いだったかな。でも、もう家出なんかしたくない。大好きな家族と会えないのは、こんなにさびしいのだから。
 ニュースや新聞で、親をなくした子どもの記事をみて「かわいそう」しか思わないが、こんな大好きな家族を失うなんて私には考えられない。もっと人の気持ちを考えられるようになるべきだな、私は。

    お父さんと私     (6年生)

 六年生になって、体のことを意識するようになった私。お父さんとお風呂にも入らなくなった。成長しているのだろうか。お父さんは、ちゃんと私が意識していることを知っているから、お風呂上りに洗面所に入るときは、ノックするか一声かけてから開ける。
 お父さんから遠ざかるような気がするけれど、休みの日はいやになるほど一緒に遊ぶ。平日はあわないし、私がいやがる。大好きなお父さんなのに、なぜかいやがる。私にはそれがなぜかよくわからない。時々悩むこともあるけれど、でもやっぱりわからない。
私が意識しすぎるのだろうか。
 クラスの人に聞いてみると、私以上に意識している人がほとんどだ。私だけが意識しすぎているのではないということはわかった。
 お父さんと遠ざかっていくような私。遠ざかりたくないけれど、遠ざかってしまう。どう解釈したらいいのか・・・私には、見当もつかない。

    お母さんのおしり   (5年生)

 お母さんのパンツはぶよぶよだ。でもなぜかパンツはお母さんのおしりにぴったり入るのだ。なぜだろう、と私は考えた。
 「あっ、そうだ。お母さんのおしりがでかいからだ」
と私は思った。
 世の中には、おしりの小さい人と大きい人がいる。私は、当然のことだが小さいおしりのほうが好きだ。お母さんのおしりはあまり好きじゃない。お母さんがどんな洋服を着てもやはりおしりが目立つ。
 私は思った。「私もいずれお母さんのような、あのおしりになってしまうのだろうか?」そう思うと、頭がぐらぐらしてくる。
 でも、私はお母さんが大好きだ。いずれ、私がお母さんのおしりをちいさくするダイエットを教えてあげようと思う。

 おじいちゃんの庭    (中学2年)

 スミレにラベンダーに、ホタルブクルにサツキ。たくさんの花が、おじいちゃんの家の庭で顔をそろえるこの季節。
 私はおじいちゃんの庭に咲く花を観るのが好きだ。おじいちゃんの咲かせる花の色は実にいい。私の家にも同じ花が咲いたのに、花の色が全然違う。不思議と、おじいちゃんの花は、太陽に映える明るい色になる。きっと、一日中面倒を見ているおじいちゃんの愛情の色なんだ。
「これ、何の花?」
「ナデシコだよ」
おじいちゃんは、ぶっきらぼうに答えた後、決まってその花の説明をしてくれる。
「へえ」
おじいちゃんが真剣に話すので思わず、いつもこんな返事しか出来ない。その後、私は決まって、
「きれいだね」
と言う。するとおじいちゃんは、うれしそうに、
「そうだろう」
と言う。

     お母さんの家事放棄宣言     (中学2年)

 家のお母さんは、アニメーターだ。仕事が長引いて、夜八時、九時なんていう日がほとんどだ。そのお母さんが、いきなり、
「毎月、第四日曜日は家事をしない!」
と宣言した。
「何で?」
と聞くと、
「家の男ども(父と兄)は何もしないから・・・お母さんだって疲れているんだ!」
 確かに納得。家事放棄なんて言い出したのもわかる気がする。
 それで、毎週第四日曜日は、父と私で御飯を作ることになった。疲れているお母さんのためにも、私がしっかりしなければいけない。

 最後の作文         (中学2年)

これまで続けてきた「作文」という授業についに別れを告げるときが来た。
 これがおそらく先生に読んでいただく最後の作文になるだろう。
 まず、今回『文章教室』(作文)をやめるという理由は「勉強しなくてはいけない」ということだが、本人がそう思ったわけではない。親からの圧力である。
中2になってから、親は機嫌が悪くなるたびに(か、どうかわからないが)「文章教室をやめろ」とか、「成績が落ちても知らないぞ」とか言って、ぼくは脅され続けていた。それでも、今までどうにか我慢してきたが、ぼくの高校志望校を親に漏らしてしまったため、「それは猛烈に勉強しないと受からない」とか「今のままでは絶対に受からない」などといって、二言目には「文章教室をやめてほかの教科を取るか、土筆塾をやめてほかの塾に移るか、どっちかにしろ」と念仏のように繰り返したのだ。それでもまだ我慢してきたが、冬休み、年末年始にためこんだストレスが爆発し、異常なまでの圧力をかけてきた。
 ぼくは「中三になってから、数学をやる」と言ったのだが、親は「中二の三学期からやれ、ほかの子だってみんなやっているんだ」と繰り返し、とうとうこっちが折れざるを得なくなってしまったのだ。
 親の心配する気持ちはわからなくはないのだが、ぼくの顔を見るたびに顔をしかめて「勉強しろ」だの「教科(受講している)を変えろ」だの言われたら、どんな我慢強い人だって嫌になってしまうだろう。親は、結果として子を信じなかったのだ。
しかし、この一件で、ぼくは10のうち4ぐらいしか親は悪くないと思う。
 では誰が悪いのだろうか?それは今の世の中と言うものが悪いのだ。と、ぼくは思う。今のように親が目の色を変えて「勉強しろ」と叫ばなければならない状況になってしまったからだ。つまり、「勉強しろ」と叫んでいるのは親ではなく、親は単なる受信機なのだ。「世の中」と言うものから送られてくる電波を受けて「勉強しろ」といっているだけなのだ。しかも、「世の中」と言うのは絶対の存在だ。それに逆らうことは非常に難しい。逆らおうとすれば「世の中」の周囲の人々に「変わり者」とか「変人」などと呼ばれ、圧力をかけられ、それに同情する人まで「変わり者」になってしまう。こうなると、よっぽど意志が強くない限り、それをやめてしまう。
 その「世の中」が、誤った方向へ進むと戦争などが始まってしまったり、人が死ぬことを当たり前と思ったり、それをいいことだと思ったりする。
 ではその「世の中」を操っているのは誰か。日本の場合は、いわゆる『政界のドン』と呼ばれたりする人が中心の、「国会」と言うところだ。ところが、その国会の人々も汚職をしたりして、特に『偉い人』ほど金をたくさんもらったりしている。このままでは「国会」は日本の世の中を巻き込んで、腐ってしまうかもしれない。そんな世の中だから、親までがこんなになってしまう、ひどい状況になってしまったのではないだろうか。
 今の日本の「世の中」は、金がすべてだ。金をもらうために一生懸命になって働いたり、人のものを盗んだり、人を殺したりする。儲かるためには多少の犠牲はやむをえない、そういう「世の中」になってしまったのだ。だからぼくみたいな子どもが必死で勉強させられるのも、文部省や、学校や学習塾の陰謀なのかもしれない。その証拠か、今は「月謝の高い塾ほどいい塾だ」などといわれることが多くなるのだ。
 そんな中で土筆塾は真のいい塾だとぼくは思う。塾は土筆のように『人間塾』、つまり、それぞれの個性が生きる塾であってほしい。そして世の中も「人間が生きている」世の中になればいいと思う。
 まあ、こういうことでぼくは「文章教室」をやめて数学をやることになった。これまでいろいろな、変な文章や、バカな文章を読んでいただきどうもありがとうございました。これからも趣味と言う形で文章を書き続けていこうと思います。ほんとうにありがとうございました。

 
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# by tsukushi--juku | 2007-06-22 08:06 | Comments(0)
普段着の子ども達
普段着の子どもたちー土筆塾の作文教室―

 私は、武蔵野の面影がまだいくらか残っている東京都の北部、清瀬市の片隅で『土筆塾』いう学習塾を開いている。学習塾といってもいわゆる教育産業の一つといったものでも、また学校教育を補完する補習塾といったものでもない。私自身の教育観、教育理念に基づく我流の塾で、いわば寺子屋的私塾である。
 私は塾を開設した当初から、教科の中に『作文』と言う時間を組んで子どもたちに作文を書かせ続けてきた。2005年9月で28年目に入っている。この間、私は塾の記録として『学び創り遊ぶ』(毎日新聞社)、『心を育み心をつむぐ』(八重岳書房)、『子を思う』(ふきのとう書房)、『生きる力と優しさと』(毎日新聞社)と、4冊の本を出版したが、それぞれの本の中でも多くの作文を取り上げてきた。今回5冊目を出版するに当たり、4冊の本に載せなかったものを3、4篇と、特に4冊の本出版後に書かれた作文を中心に『普段着の子どもたち』として書きとめておきたい。
 一九八七年に出版した『学び創り遊ぶ』の中で私は次のように書いた。どの学年にかかわらず作文が好きだとして入塾して来る子は極めて少ない。作文は嫌いと言う子のほうが多い。ところが何回かやっているうちに好きになる。もっとも最初好きだといい始めるのは作文そのものよりも、作文の授業を使って行う様々な遊びからだ。遊びは主としてビーダマとかベーゴマといった伝承遊びと、竹鉄砲、パチンコ、竹とんぼなど自然を対象にした様々な手作り遊び、それに『焼き物』とか『ぞうり作り』といったものが加わる。
 これらは、子どもたちの体験を大きく広げ、生活を生き生きさせていく。これを書くことと結びつけるのは容易だ。子どもたちは、遊びを通して充実した生活を獲得し始めるとのびのびと作文を書き始める。私は赤ペンで子どもたちの作文を塗りたくる必要はまったくない。ほんの少しだけ、手助けしたり励ましたりすればいいのだ。」
 また1993年に出版した『心を育み心をつむぐ』の中でも次のように書いた。
 「ファミコンやラジコンで遊んだことや、ミニカーやビックリマンシール集めのことなどで作文を書いた子もいたが、それらの作文には発見がないし感動がないのだ。それを書く子どもたちが、その遊びを通して何かを発見したり何かに感動したりする、いわゆる『わくわくする』体験が得られないからなのかもしれない。こうした子どもたちの遊びや生活からは、発見や創造も生まれないのではないか、豊かな感性も想像力も、自らの生活を押し広げていく積極性も、思考力も育たないのではないか。
 そうした予想は当初から私のなかにはあった。だから、出来るだけそれらの遊びは奨励しないようにしてきた。(決して否定はしなかったが)そしてできるだけ自然と触れ合うこと、自然に働きかけることを、遊びの中でも手作りの中でも奨励し、授業の中でもそうした体験を数多くさせるようにしてきた。
 木にしても草花にしても虫にしても、自然は皆生き物だから決して同じではない。季節によっても異なるし種類によっても違う。人間の働きかけの方法それぞれによっても異なる。木の実一つをとっても甘いものもあればすっぱいものもある。渋いものもあれば苦いものもある。そしてその甘さ、すっぱさ、渋さ、苦さもそれぞれに異なる。そのまま口にすることができるものもあれば、手を加えなければ口にすることのできないものもある。色もにおいもみな違う。自然に材料を求める手作りや、それを使って遊ぶ遊び方だっていろいろだ。竹鉄砲、竹とんぼ、パチンコ、木刀作りなどなど、材料も作り方も遊び方もみな異なる。そうであれば当然、それらの手作りや遊びの中には発見があり、驚きがあり、感動があり、感性の様々な反応がある。想像力も思考力も働かざるを得ない。  
 人間の豊かさとは、こうした心の豊かな働きの中で育まれていくのではないだろうか。
 私は、子どもたちの生活にこうした姿勢でかかわり続けながら、好きなことを自由に作文に書かせてきた。作文を書く上で大切なのは「書くことが好きになる」ことだ。そのためには子どもが自由にのびのびと、書きたいことを書く。それを保障しなければならない。
      学校の作文

 学校の作文はつまらない。なぜか。学校では1年生のときは「いつ、どこで何をした・・」と書きなさいといわれ、2年生ぐらいになると「最初、次に、それから、終わり」と言う順に書く。5年生ぐらいになると、「原稿用紙一枚半」とか、枚数が決まっている。・・・学校の作文も自由だったらな・・・(5年生)
 学校の作文はまったくつまらない。いつも書くことが決まっていて「こう書け、ああ書け」といわれる。全然自由に書けない。先生は時々こんなことを言う。「のびのびと自由に書きましょう」。でも実際はそんな自由でのびのびなんて書けない。結局は先生に気にいられるようなウソの作文を書かなければならない。そんな作文よりも本当の作文は土筆塾で書く。そうすると自然に素直になれる。・・・学校の作文も、もっと楽しかったらいいのにな。(5年生)
 こんな中からは作文が好き、と言う子は育たないだろう。「作文はとても楽しい。思ったことを書いても、つまんないことかいても、もんくをいわれないから、楽しい。・・作文大好き。(三年生)と言う環境がなければならないのだ。
 とりわけ、小学校高学年から中学生になると、自由な表現を保障することが極めて大切になる。学校にかかわること、社会や政治にかかわることになると、たとえそれが舌足らずのものであっても、思いのままに書けるという自由が保障されなければならないのだ。
 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自らの選択する方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。(子どもの権利条約・第13条)
 ここに掲載する子どもたちの作文は、こうした土筆塾と言う環境の中で書かれた。数多い作文の中のほんの一部である


   日常生活を生き生きと

     遊びの中で

    ビーダマ   (6年生)

 塾が終わってから、みんなでビーダマをやった。あてっこだったので「なぁんだ、あてっこか、簡単だ」といってビーダマを取ってきて、われ先にと右側の場所をとった。なぜ右側に場所とったかと言うと、今日は右側の人から順番にやることになったからだ。
 みんな最初は当てられないように遠くへ飛ばす。
 ぼくのビーダマの近くにほかのビーダマが来た。ぼくは「ほら、えさがきた。」といって、次のぼくの番が来るのを、イライラしながら待っていた。どんどん来る、来る。何がって?エサだよ、エサ。1、2、3、4・・・4個もだ。
 やっと番が来たので全部当ててやった。「ざまぁみろ」と得意になった。
 でも次に当てられてしまった。ちきしょう、と思ったけれど、4個もうけたのだからまぁいいやと思った。
 それから10分ぐらいして帰ったが、ビーダマはおもしろい。なんたっておれはビーダマの天才だものな。おもしろいように当たる。

    竹鉄砲、最高!    (5年生)

 今の時季は土筆塾恒例の、竹鉄砲の時季だ。楽しくてたまらない。ぼくはこの時季が一番好きだ。
 先生の作った竹鉄砲は絶品。よく飛ぶし、いりょくはあるし、うち合うとかなり楽しい。
さっそく塾の友達とサバイバルをした。当てたり当てられたり・・・。当てるそのときの快感は、もうたまらない。また、自分の竹鉄砲が「よく飛ぶね」なんていわれたら、うれしくってたまらない。やっぱり竹鉄砲はいいなぁとつくづく思う。
楽しさ、うれしさ、ぎっしりつまったたけ鉄砲。竹鉄砲は最高!
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# by tsukushi--juku | 2007-06-16 10:25 | Comments(0)
土筆通信1000号の重み
土筆通信1000号の重み
土筆通信が1000号を超えた。
第1号が1983年4月2日となっているから、塾を始めて7年目と言うことになる。それまではガリ版刷りの、「土筆塾ニュース」と言うのを不定期で発行しているが、定期的に発行するようになったのはこの第1号からということになる。24年間で1000号になるわけだ。基本的には1つの号はB4裏表と言うことだが、B4裏表2・3枚という号もあるから枚数にしたら相当数にのぼる。第1号には「今年度は『土筆通信』を発行することにした。毎日毎日の生活の中で、また授業や子どもたちとのふれあいの中で、気づいたことや、感じたり考えたりしたことを、どんどん書いてみようと思う。どこまで長続きするか・・・父母や生徒の皆さんの、おしかり、激励をお願いしたい」と書いている。この当時はいつまで続くか自信もなかったのだろう。
 こうして出発した通信が24年間で1000号になったわけだ。
 今振り返ってみると、ここには間違いなく一つの歴史がある。それはこどもたちの日常と成長の歴史であり、親と、この小さな塾が、ともに子どもたちの成長にかかわり続けてきた歴史であり、私自身の生きてきた歴史であり、さらに言えば我が家の歴史でもある。それぞれの時代の中で、子どもたちは何を感じ考えてきたのか。それぞれの親は土筆塾とのかかわりの中で、何を感じ、何を考えてきたのか。私自身は何を学びそして何を発信し続けてきたのか。私のことに関していえばそれだけではない。私の生い立ちから始まる73歳の今にいたるまでの生き様そのものも、また、我が家の子育ても、ここには反映されているといっていい。
 さらに付け加えれば、土筆塾10周年を機に出版した本『学び創り遊ぶ』の頃から広がり始めた読者との交流が、その後の本の出版や、あちこちで講演したことなどを通してその後も増え続け、土筆通信を軸にした人の輪が広がり、土筆通信がそれらの人たちを結びつける役割を果たしてきた、そうしたことも土筆通信1000号の歴史に加えていいだろう。
 いま「草の根民主主義」と言うことが言われる。一人一人の心の中にしっかりと根付いた民主主義が求められているのだ。政治権力や政治体制の変化に振り回されて、大勢に押し流される人間ではなく、自らの意志でことのよしあしを判断し、大切なときには行動に立ち上がれる人たち、いまそれが求められている。土筆通信1000号の歩みは、ささやかではあっても『草の根民主主義』の発展に貢献してきたのではないか、そんな自負がないわけでもない。
 土筆通信の歩みに触れながら書いてみたい。1000号と言うと膨大な量だから、あくまでもその一部に触れながら、ということになる。

土筆通信に描かれた子どもたち

 まず1984年代の授業風景について触れる。4月その年学童保育に入れなかった子どもたちがそろって塾に入ってきた。その最初の授業風景だ。土筆通信は次のように書いている。

 なんと何と、大変なにぎやかさになってしまった。今年度は市の学童保育が2年生で打ち切りになったので学童に入ることのできなかった三年生が6人も入塾してきたのだ。初日、この子たちは3時40分からの授業なのに2時過ぎにやってきた。入塾のお祝いと言うわけではないが作っておいた竹とんぼを1本ずつプレゼントして外の駐車場で飛ばすことにした。「学童がなくなったし、暇だから土筆塾に入ったんだ。そうだよねぇ」と一人が言うと「そうだよ、時間がありすぎるんだもん」。みんな口々に言う。「ひまだからきたのか?でも土筆塾は勉強をするところだぞ」と僕。「知ってるよ、勉強もする遊びもする。両方で得するもん」ちゃっかりしたもんだ。大騒ぎして竹とんぼを飛ばした。
 さんざん遊んだがまだ授業には間がある。とにかくみんなを教室に入れて今度は読み聞かせをすることにした。たかしよいち作『がわっぱ』を読む。読み終わる頃学童組み以外の子もやってきた、この日病欠の1名を除いて子ツバメみたいな子どもたちが8名そろった。

   これなんだか知ってる?

 さて授業開始。席順は阿弥陀くじで決めて、神妙な顔で席に着く。僕は日曜日原っぱを歩き回って見つけたつくしを子どもたちに示し「これなんだか知ってる?」と聞く。「つくし、つくし」子どもたちはいっせいに声を張り上げる。「そうだ、つくしだね。」僕は黒板に「土筆」とかく。「つくしと言う字は、土と筆と書きます。筆と言う字はふでと読んで、お習字のとき使う筆のことです。このつくしよく見てごらん、筆に似ているでしょう?」子どもたちは「ウン、似てる」と答える。「土筆塾はこの土筆から借りた名前です。覚えておいてください。」
 こう前置きして授業に入る。今日は算数だ。2年生で習った九九をどれだけ覚えているか尋ねると、みんな知っていると言う。「じゃ、聞くよ。先生が、にさんがと言ったら6と答えてね。一人ずついくよ。ろくは、ハイ、OO君。」「48」。「よしいいぞ、しちし、ハイ、OOちゃん」「28」こうして一通り聞いてみる。ちょっとつかえた子もいたがどうやらみんな合格。そこでこの日は「分かる算数・3」を配って2桁の数に1桁の数を書ける計算を教え、やらせた。

うっかり病の人は注射!

 繰り上がりのない簡単な計算だから子どもたちはどんどんやる。ところが進めていくうちに殆どの子が「うっかり病」にかかる。32×2(ひっさん)を66とやってしまうのだ。1の位とはかけて、10の位とはたし算をしてしまう。20×3(ひっさん)を63とやってしまう子もいる。
「ほら、うっかり病だ。」などといいながら実に楽しく授業を終わった。「ハイ、今日うっかり病にかかった子は早速治療します。」そういいながら一人ずつ、つくしを注射器に見立てて注射のまねをする。「よし、これで治る」。子どもたちは面白がって手を出し、「キャッ、くすぐったい」などと大騒ぎ、1時間はひどく早かった。

 算数でも国語でも授業は子どもたちが楽しく生き生きと、主体的に取り組めるようなものでなければならない。そのためには授業そのものの、工夫も大事だが子どもたちと心の通い合う関係を作ることも極めて大切だ。そしてこの心の通い合う関係はまた、子どもたちの内面的成長に大きな影響を与えるものなのだ。
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# by tsukushi--juku | 2007-06-12 12:50 | Comments(0)