土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

<   2016年 07月 ( 1 )   > この月の画像一覧
つくしっ子とつくしさん
 『つくしっ子とつくしさん』

 今回、佐々木友子さんと共著で『つくしっ子とつくしさん』(龍書房)を出版した。佐々木さんの発案で、自費出版と言うことで300冊発行したが、またたく間になくなって、もう手元に数冊しか残っていない。
 佐々木さんは65歳の土筆塾生。3年ほど前になるが、不思議な出会いだった。
 彼女の近くの文房具店主から、私の著書『子を思う』を借りて読んでくれたというのがきっかけらしい。佐々木さんから、突然電話をいただいて、訪ねて来てくれてたが、その後、長文のお手紙をいただいた。
 本の中では、佐々木さんが「まえがきに代えて」として、当時私が土筆通信に書いた文章を引用し「出会い」について詳しく書いている。少し長くなるが紹介してみたい。

  思いがけない出会い

 先日、突然電話をいただいた。全く面識のない方からだった。「近所のよく行く文房具店の主人にお借りした先生のご本を読んで、ひどく感動した。他の本も読みたくて出版社にも問い合わせたがもうないとのこと、もしお手元にあるようだったらお借りしたい」と言った内容の電話だった。
 文房具店というのは、塾で必要な文具を買っている店、本を出版した折、買っていただいたことがあったが、多分『子を思う』だった。その本を借りて読んだということのようだ。手元にあるから一度いらっしゃってくださいということで電話は切ったが、2・3日して訪ねてきてくれた。
 話していて分かったが、その方が勤務していたところで一緒だったという方が、土筆塾の卒業生の母親だった。ごく親しいおつきあいをしているという。塾生だった子どものこともよく知っているという。話も弾んだ。1時間半ほど話して、私の出版した本や小冊子を抱えて帰って行ったが、その方から長文のお手紙が届いた。今年職場を定年退職したというこの方の、残された人生に立ち向かう姿勢をつづった手紙を、私一人のものとしてとどめておくのは惜しい、そんな気がして土筆通信の場を借りて読者のみなさんにお伝えしたいと思う。(この方は東日本大震災で被害にあった陸前高田出身。)長文なので、多少省かせていただくが、お許し願いたい。

 「……お借りした2冊の本はそれぞれ数日おいて一気に読ませていただきました。中断するのが惜しくて…。S君の作文を最初に読んだ時には(*『生きる力と優しさと』の冒頭の記事の中の戸田(仮名)君(戸打君は本名宍戸出君。元、埼玉県労連事務局長)の作文、信じられず、涙がこぼれました。お母さんが土筆通信を拾って土筆塾を訪ねたのがきっかけとのこと、きっと神様が救ってくれたのでしょう。先生との出会いがなかったら彼の現在はなかったかも…。Sさん〈戸田君のお母さん〉とは職場の組合活動で知り合い、古い付き合いです。今でもたまに会ったり電話で話したりします。子どもは本来正義感が強く、優しい心を持っています。私の子どもの頃を思い出すとそうだったので…。大人になって白と黒の間にグレーゾーンというのがあると知り、時々何が良くて何が悪いのか判断に迷うことがあります。迷った時は世間の流れに惑わされずに大変でも自分に心地よい生き方を選ぶようにしています。
 私は昨年三月に、定年を迎えたら帰郷して実家のそばに買った土地に終の住居を建て、喫茶店をやるつもりで、実現寸前でした。ところがあの東日本大震災で、実家はあとかたもなくなり、何もかも流されてしまい、いつ帰れるとも知れません。関わってくれていた建築士さんは、当日消防団員として、海に近い国道で、避難者の誘導中に津波に流されて、帰らぬ人となりました。家ができて店を開いたら、来てくれると言っていたし、「一生のつき合いになる」と言われていました。たった一年半の付き合いで終わりました。当初私は「何さ、一生のつき合いと言っていたのにこのウソつき!」と亡き人をなじっていましたが、これが人の一生だったんですね。恋人がいると嬉しそうに写真を見せてくれたことありました。二月二十四日に母が急死したので葬儀のため帰省しました。そして三月三日にその人と会って、住居建築の最終打ち合わせをして、ランチを御馳走して、翌日契約書の写しを届けてくれたのが最期になりました。こうして書いていると涙がこぼれます。たった一人の死が一年半たった今でも悲しくて、悔しいです。といってもそんな人がいたから、何十・何百の命が助かったのかもしれません。
 それからの私は生きる張合いもなく、もうどうでもいいや、なんて投げやりになりましたが、四月のある日、元職場の利用者だった人のお母さんにさそわれて「9条の会」のコンサートに行きました。沢山の演奏を聴き、私の好きな「コンドルはとんでゆく」など心にしみる曲をいっぱい聴きました。……こうした交流があってその後も近場でコンサートがあれば聴きに行くようになりました。
 帰ろうとしていた実家がなくなり、帰郷をあきらめてこちらでのんびり暮らすのも一つの方法でしょう。でも、父母は亡くなっても姉妹がいる。甥や姪もいる。帰郷の思いは強いのです。今、帰郷する気になったのはこちらで出来た友人、知人を私の故郷に招きたい、と思うようになったからです。そしてこれらの人達に自然豊かな私の故郷を「第二の故郷」と思ってもらえたら嬉しいと考えるようになりました。震災後に、そんな新しい出会いが増えています。やはり私は帰郷して、予定通り、今度は実家を再建したいと考えています。
 そのためには新たな土地探しです。復興を待つつもりでいましたが、それではいつになるか分かりません。自分で動かないと先に進めませんので、一年ぶりに帰省します。
 今年までの3年間は私にとって最悪で、自分の命があるのが奇跡です。あまり遅くない時期に絶対帰郷しようと思っています。後半生の夢は喫茶、ギャラリー、教室をするつもりでした。今は赤ちゃんから高齢者まで憩える場を作りたい。子どもたちも放課後やってきて宿題をするとか、たとえ一人でも安心して過ごせる場を提供出来たらいいなって…。老後の私の人生設計、気楽にやることができたらと思っています。
 生まれたときから借間生活、中一の時やっと実家が建ちました。上京してからも社員寮やアパートなどを転々としました。六十一年生きてきて我が家と呼べる住まいにいられたのが二十五年。これからは自分なりに理想的な終の棲家を夢見ていました。土地を買うとなると資金が余分にかかる。建物を、涙をのんで縮小しなければならない。欲はかかず身の丈に合わせて、命ある限り夢を実現させるつもりです。先生、ギネスブックに載るくらい長生きして、遊びに来てください。先生よりも十七歳も若いのに、私の方が老けて見えると思いました。……こんな手紙を切りもなく書きました。土筆塾は今の子どもたちにとってはなくてはならない存在だと思います…。」

 かなり割愛させていただいたが、初対面の方からこのような長文のお手紙をいただいたのは珍しい。人にはそれぞれの歩みがあり、それぞれの人生がある。お手紙を読みながら私は私の人生を振り返る。私ももうそれほど長いことは生きられまい。残された人生の設計をしなければならないのだろう。生涯現役でいたいとは思う。だが何が起こるか分からないのだ。その日その日を悔いないように生きる。その積み重ねしかないのかもしれない。
 いろいろ考えさせられたお手紙だった。
 
 この後、何回か土筆塾を訪ねて来て、佐々木さんは土筆塾生になり、文章を書く勉強を始めた。
 今回の『つくしっ子とつくしさん』は、子どもたちの作文と、佐々木さんのエッセー、それに私の「卒業生その後」などをつづったエッセー、政治への発信などを収録したものだ。
[PR]
by tsukushi--juku | 2016-07-30 19:23 | Comments(0)