土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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26年前の卒業生
             26年前の卒業生が来てくれた

 土筆通信はずっと送っているが来てくれたのは20年ぶりになるだろうか。41歳になると言う。20代前半で自動車教習所の指導員になり、現在は同教習所の教官。実技を含めて全般を教える。
 彼が塾生だったころとは、塾の周辺は全く変わってしまったが教室の雰囲気は変わっていない。彼は教室中を見まわしながらしきりに懐かしがった。塾で学んだことでは作文、文章教室が一番心に残っているし役立っていると彼は言う。彼の在塾していた時が塾生は一番多かった。この学年は5中、清瀬中、新座6中と学校もいくつかにまたがっていたが26名もいて、2つのクラスに分けてはいたがそれでも教室はいっぱいだった。このクラスの子どもたちは、土筆通信にも、私の本にも何回も登場した子どもたちで、塾とのつながりも最も多い。何せ、小学3・4年生から中3まで過ごした子が最も多かったからだ。中でも訪ねて来てくれたY君の想い出は多い。それこそ本が1冊書けるほどある。拙著の中からさわりの部分をいくつか紹介しよう。

 Y君(拙著の中では本名で登場する)との愉快な出会い
 
 「…Y君との出会いは実に愉快だ。彼の遊び仲間だったS君をはじめ何人かの子ども達9が3年生の時から塾に入っていて、この子どもたちが家の近くの空き地に古材を使って基地を作ったという。日曜日のある日、わらしはその基地を見学に出かけた。その折、Y君に出会ったのだ。Y君はその時のことを作文に書いている。
 「…変なおじさんが、ぼくたちの基地に来た.みんなが、先生と呼んでいる。えっ?このおじさんが先生か?」
この出会いがきっかけだった。間もなく彼は土筆塾に入ってきた。と言っても、彼の言葉を借りれば勉強がしたかったわけではないらしい。「おじさんが気に行った」誌、何よりもS君達から聞く塾での遊びが魅力的だったようだ。初めの頃は授業をよくサボった。(中略)このY君が変わり始めたのは5年生になったころだ。新年の最初の作文で、彼はこう書いた。
 今年こそ/土筆塾を一度も休まないぞ/今年こそ人にしんらいされる人間になるぞ/僕の心はそれだけでいっぱいです。(『学び創り遊ぶ』より)

 「Y君は中学三年の二学期、まわりが受験一色になり、子どもと親、教師の三者面談が行われ、受験する学校が振り分けられる頃、一時少し荒れた。三者面談でどんなことがあったか彼は語らなかったが、私はおよそ察しがついた。ある日、彼は私の授業の折、授業に全く集中せずおしゃべりを繰り返し、座っていた席の後ろの羽目板をわざとらしくたたいた。授業妨害ともとれる行為だった。私は本気で怒鳴りつけた。初めてのことだった。
 「学校で何があったかは知らない。だが皆に迷惑をかけるようなことはするな。きみとは長い付き合いだ。おれがどんなことを許さない人間か分かっているだろう。よくないことは良くないのだ。いうことが聞けないと言うなら外へ出ろ!」
 教室はシーンとなった。彼は黙って席を立って外へ出て行った。私は彼が決して土筆塾から離れて行かないと言う自信があった。それだけの関係をつくってきたという自信だ。だから気にはなったがそのまま授業を続けた。授業が終わるとY君は黙って教室に入ってきた。外で待っていたようだ。彼は「ごめんなさい」と言った。私は嬉しかった。
 彼を怒鳴りつけたのは後にも先にもこの一回だけだった。私はそのまま彼を受け入れた。
 
 土筆通信が300号を迎えた時だった。彼は高校3年生の頃だったろうか。こんなメッセージを送ってくれた。
「俺は今までの人生の半分近く土筆塾にいたわけだけど、最近は基地を作って遊ぶ子や竹鉄砲、パチンコなどで遊ぶ子も見なくなってきて残念だが、土筆だけは昔と変わらないし、変わってほしくない。
 帰りたい/帰れない/少年と呼ばれた日々に/戻りたい/戻れない/はざまで叫ぶ俺がいる/そろそろ時代が動いてきた/危機感を感じ始めている/たとえ川の水が上から下へしか流れて行かないとしても/ただ黙って眺めているだけが我々の使命ではないはずだ/土屋先生、あなたに会えてよかった 
(『生きる力と優しさと』より)

 この学年は、高校卒業後も、同期会と称して何回か塾に集まった。この同期会の世話役は、だれが決めたわけでもなかったがY君だった。実に面倒見にいい、心やさしい青年になっていた。同期会が深夜に及んだときなどは、女の子も含めて一人一人を愛車で家まで送り届けた。
 昨年、中国上海在住のI君が、中国人の愛妻と幼い子どもを連れて訪ねてくれたが彼もこの学年の仲間だったし、今も土筆通信を読んでくれている獣医師として動物病院で働く双子の母親H子さんも、民医連の病院で働くY子さんも、同じく土筆通信読者のN子さんも、私の義母がショートスティでお世話になっている、特別養護老人ホームの大黒柱になっているS君も、みんなこの学年の仲間だ。まだまだ年賀状のやり取りなどでつながっている子は何人もいる。
 かつての仲間たちを話題に、私が卓球コーチで出かける時間ぎりぎりまで話は弾んだ。帰りぎわ、Y君は言った。「みんな離れ離れだし、仕事も持っているから難しいけれど、今度集まる機会を考えるよ。別なところでもいいけれどやっぱりこの教室がいいな」。
ちなみに、彼は私が土筆通信と一緒に同封しておいた「戦争法廃止2000万」署名用紙を、びっしりと書き込んでもってきてくれた。拙著『命ある限り、この一筋の道を』を3冊、そして沢山のカンパもいただいた。

 これらの子どもたちは塾の財産であり、私のかけがえのない財産でもある。
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by tsukushi--juku | 2016-01-16 12:09 | Comments(0)