土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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私は国民学校一年生
                私は国民学校1年生

 昭和16年12月8日、日本が太平洋戦争に突入した時、私は国民学校1年生だった。
昨日、11月24日の新聞報道で、『国民学校1年生の会』が戦争法の廃止を求める声明を発表したことを知った。『国民学校1年生の会』が、作家の大江健三郎さんや、故作家の井上ひさしさんたちによって立ちあげられ、活動していることは、以前、やはり新聞報道で知っていた。「俺も国民学校1年生だったな」とその時思ったものだった。
 報道によれば声明では、戦争法を「違憲・違法」であるとし、オール日本の真に民主的な政府を実現して、日本国憲法の5原則を誠実に履行させると結んでいるようだ。
 私を含めて国民学校1年生は、戦時中、天皇制軍国主義の教育のもとで、天皇のために死ぬことを教えられて、小学生活の大半を過ごした。まさに暗黒の時代だった。
 だが同時に、私たちは戦後誕生したばかりの新制中学で、「あたらしい憲法のはなし」(文部省発行)を学んで育った世代でもあった。民主主義への最初の歩みを始めた世代だ。
「…そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかし皆さんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえていけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」(「あたらしい憲法のはなし」18ページ)
こんな憲法は現実にあわない。だから改正しなければならない。と主張する人たちがいる。だが、こう主張する連中こそ、日本国法を実現させるための努力をないがしろにし、既成事実を次々と作りだし、憲法は現実にあわないと安保法制を強行し、日本を戦争する国にしてきた張本人たちではないか。
戦争と言わず、テロとの戦いと言わず、およそ軍事力による解決などあり得ない。アメリカに追従して沖縄だけでなく、日本本土にもまた戦力を展開することをもくろむ安倍政権への、抗議の声明と心するがいい。『国民学校1年生の会』の声明こそが真理だ。
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by tsukushi--juku | 2015-11-25 21:18 | Comments(0)
軍事力の行使で平和はもたらされない
   軍事力の行使では、平和はもたらされない

フランス・パリで同時多発テロが起こった。テロはどのような理由があっても許せない。事件の詳しいことは報道に任せるが、フランスが近年中東アフリカで軍事介入を強めている。そのなかで起こったことは確かなようだ。
 軍事介入はテロを引き起こし、テロの拡大はさらなる軍事介入を引き起こす。これは今回だけではない。アメリカは14年8月にイラク北部で、翌年9月にはシリア領内で空爆を繰り返してきた。病院施設への空爆は、多くの病院関係者、患者を殺傷した。まだ、記憶に新しい。米軍主体の空爆はすでに8000回に及ぶという。大国の度重なる軍事介入、軍事力の行使はテロを一層拡大させてきた。軍事介入とテロ、その連鎖の中には平和はない。
軍事力を「抑止力」とする安倍政権の道は、決して平和につながる道ではない。安保法制=戦争法の先に平和はない。日本は、今こそ憲法の「平和主義」の旗を高く掲げるべきなのだ。

「…日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われら安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは全世界の国民が、ふとしく恐怖と欠乏から免れ平和の内に生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」(憲法前文)

 現実的ではない、というかもしれない。だがこれこそが真理なのだ。日本が、世界が平和に生きて行く何よりの保障なのだと私は信じる。
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by tsukushi--juku | 2015-11-20 22:21 | Comments(0)
くるみ
 自然薯掘りは私の秋の楽しみだが、なかなか時間が取れない。先日、自然薯探しに散歩を兼ねて林をまわった。 自然薯は12月になるとつるが飛んで、見つけられなくなるから、今のうちに印をつけておくのだ。林をまわっているときクルミがたくさん落ちているところを見つけた。拾ってきて水洗いし天日で乾かしてておいたが、子どもたちに食べさせてやった。殻を金づちでわるのだがまだ子どもたちにはできない。その日作文の時間だったが、子どもが次のような作文を書いた

         クルミと美しいカミキリムシ 
                            ( 4年生)

 今日は、サツマイモのお菓子を母が作ってくれたので、土筆へ持って行った。お菓子を先生に渡したら、先生からどっさり袋に入ったクルミをもらった。先生はトンカチでクルミをわり、実を僕に食べさせてくれた。そしてクルミには2種類あって、オニグルミとヤマグルミ。これはヤマグルミだと教えてくれた。
 その後、みんなでクルミをわってもらって食べた。
 今日作文に書くこともそのクルミに関係のあることだ。もう今の時期では全く見られないと思うが、初夏から夏の終わりにかけて活動するカミキリムシの仲間、ルリボシカミキリという虫がいる。姿は全体に宝石のように美しい。青に黒い斑点ガあり、日本カミキリの中でもひときわ美しいカミキリだ。そんなルリボシカミキリは、クルミの古木などに集まったりするらしい。(幼虫がクルミの古木で育つのかもしれない)そのため、もし夏に山でクルミがあったら、ぜひ、たちよってみたい。
 ルリボシカミキリも大変美しいが、奄美大島にはルリボシカミキリに模様が似ている、赤いカミキリムシがいるらしい。
他にもトラカミキリといって種類の多いカミキリがいる。模様がトラに似ているからこんな名がついているのだが、代表的なのはオオトラカミキリとトラフカミキリで、スズメバチにぎたいしているらしい。また、ちょっとトラとはかけはなれているトラカミキリもいる。このトラカミキリも美しい。
もうとっくに時期はすぎているカミキリムシに、あらためてみりょうされた僕は、胸がはちきれるほど
、来年の夏が待ちどおしい。
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by tsukushi--juku | 2015-11-14 21:18 | Comments(0)
政治的中立ということ
   政治的中立という言葉

 安倍政権のもと「政治的中立」とか「政治的公平」といった言葉が目に付く。この言葉、いかにももっともらしく聞こえるが、国民の政権への批判をかわす、あるいは国民の批判する力を奪う有効な手段として、自民党政権が利用してきた言葉に思えてならない。「中立」とか「公平」の基準は何か、その判断は安倍・自民党政権の手に握られる。安倍政権の、憲法をないがしろに進められているさまざまな国策を批判することは「政治的中立」に反することになるのだ。安保法制=戦争法を批判することは中立に反し、立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻そうとする主張はすべて「政治的中立」に反し「政治的公平さを欠く」と言うことになる。
 それは最近の安倍政権の動き、それにおもねる地方公共団体などの動きを見ればよくわかることだ。 
 10月29日、文部科学省が全国の高校に対して高校生の政治活動に関する「通知」を出した。通知では、高校生は休日や放課後に政治活動はできるが「違法、もしくは暴力的になる恐れが高い場合は、制限したり禁止したりする」と言う条件をつけている。「違法」ということになれば安保法に反対するデモや集会、原発への賛否まで含まれかねない。「恐れ」を判断するのは校長だ。生徒会活動や部活動も、政治にかかわる活動は禁止される。何が政治的か、判断は学校側にあり最終的には校長にある。
 そして教師には「政治的中立」が厳しく要求され、罰則まで果すと言う。
 18歳からの選挙権を与えていながら、教師からも生徒からも「批判力を奪い」、政権の思うがままに、国民をコントロールしようとする極めて危険な内容だ。
 安倍政権が国民の多数の意見を無視し、大多数の憲法学者や、歴代の内閣法制局長官、元最高裁判所長官の反対を押し切って独裁的傾向を強め、暴走している時、意に従わない人々への排除をマスコミや教育にまで広げようとしていることを決して軽く見てはならない。
 「政治的中立」というもっともらしい言葉の裏にある権力の意図をしっかりと見抜いていきたい。
  
 
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by tsukushi--juku | 2015-11-07 20:52 | Comments(0)