土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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国会が開会した
                通常国会が開会した

 昨年末の、衆議院選挙後の通常国会が開会した。6月24日までの論戦が注目される。
 私たちの生活も未来も、すべて政治によって決定づけられる。無関心ではいられない。集団的自衛権・国の安全保障はどうなるのか。消費税率引き上げ問題はどうなるのか、社会保障の切り捨て、大企業への減税、軍事費の増大、「残業代ゼロ」、労働者派遣法改悪、ブラック企業問題などなどは、どうなっていくのか、TPP問題、沖縄基地問題は・・・。問題は山積している。
 閣僚19人中、15名が、日本の最大の極右団体『日本会議』につらなる安倍内閣のもとでの、国会論戦だ。
 今国会の私の大きな関心事の一つに、政党助成金問題がある。政治の劣化、堕落につながるこの問題を、私は土筆通信を通して何回となく発信してきた。企業献金や政党助成金は、政党の健全さ、政党の国民との結びつきのいわば試金石と言っていいからだ。政党助成金は、国民と深く結びついた政党か、税金で賄われる政党かを映し出す鏡だ。
 インターネットで「政党助成金」を検索すると、共産党からの情報がほとんど。政党の中で政党助成金を、憲法違反として受け取りを拒否しているのが共産党だけと言うのだから、他の政党は目をつぶって、触れようとしないと言うことなのだろう。
 インターネットで調べていると、今国会に共産党が「政党助成法」廃止法案を提出したという。先の総選挙で21名の衆議院議員を当選させ、予算を伴わない議案の提出権を得た共産党が、さっそく国会に提出した法案だ。各党は政党助成金を受け取り続け、それに頼って成り立っている訳だから、どう反応するか見ものだ。議会勢力の上ではとても「廃止」は無理だろうが国民的運動、世論の高まりが決め手となるだろう。
 政党助成金については次々と新しい事実が明らかになっている。例えば2013年の参議院選挙(補選を含む)で当選した自民党参議院議員66人のうち43人が、自民党本部から受け取った政党助成金を「選挙資金」の名目で自分宛てに寄付していたことが分かったという。そのお手盛りの総額は3億4400万円を超える。この金、つまり国民の税金で選挙活動をするわけだが、受け取った本人がどう使ったかはチェックされないと言うのだ。このお手盛り政党助成金を自分に寄付した議員名も、すべて明らかにされているが(「しんぶん赤旗」)ここでは数人の例にとどめる。古川俊冶参議院議員(埼玉)は受け取った1900万円のうち1000万円を自分に寄付。残り900万円を「人権費」に支出。宮本周司議員、577万5850円を自分に寄付、残りを「基金」としてプールしている。後は武見敬三議員(東京)1000万円。森雅子議員(福島)1000万円、丸川珠代議員(東京)1000万円などなどだ。
 何度も指摘しておくが政党助成金は国民から集めた税金。つまり「あなたの税金」が支持する党かどうかにかかわりなく、こうした形で使われているのだ。
 政党助成金は、まさに「ぬれ手に粟」のつかみ金。だから政党助成金目当てに、申請時期の、各年の年末から新年にかけて、政策も理念も抜きの離合集散、くっついたり離れたりの新党づくりが繰り返されている。2010年以降だけ見ても、2011年、「大地・真民主党」、012年、「新党きずな」「生活の党」、013年「結いの党」、014年「生活の党と山本太郎と仲間たち」、015年「日本を元気にする会」「太陽の党」といった具合だ。
 先に朝日新聞が、015年の各党の政党助成金 受取額の試算を報道した。
*自民党 170億4900万円 *民主党 76億6800万円、*公明党 29億5200万円、*維新の党 26億6400万円、*次世代の党 5億6100万円、*社民党 4億7000万円、*生活の党と山本太郎となかまたち 3億3000万円、*日本を元気にする会 1億1900万円、*新党改革 1億400万円、*太陽の党 9300万円。(共産党は受け取りを拒否)

私はかつて、選挙で政党を選ぶ基準として次のように書いた。
「全国の隅々に、党員と党組織を持ち、市民・住民と深く結び付きながら日常的に活動している党であるかどうか。また、労働、農業漁業、医療、子ども・教育、文化・芸術、学者・研究者・知識人などなど、各分野に党員と党組織を持ち、日常的に、系統的に活動している党であるかどうかということ。自らの活動を通して自前で党財政を確保・確立している党であるかどうかということ、企業・団体からの政治献金(パーティ券などの事実上の政治献金を含む)や国民の税金をもとにした政党助成金頼みの政党では、本来の近代政党とはいえない」。
企業からの献金や政党助成金の「ぬれ手に粟」の税金頼み。そんな政党が、真に国民・市民の声を基本に据えた政治を行うことができるだろうか。

今国会の一つの関心事として、書き留めておきたい。

 
 
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by tsukushi--juku | 2015-01-30 15:04 | Comments(0)
朝鮮人の友人
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)。「朝鮮・韓国人は出ていけ」「殺せ」など聞くに堪えない差別的言動が勢いを増し、大きな社会問題になっている。今、私はヘイトスピーチについて書くことはしないが、ふと、私の親しかった朝鮮人の友人のことを思い出した。彼はもう亡くなっているが私に大きな影響を与えた友人であり、今も私の心の中に生き続けている。彼について土筆通信に雑文を書いているので、再録してみたいと思う。
 

 1994年、土筆通信371号から10回にわたって、私は「日記としで綴るわが青春の断面」と言う文章を連載した。その3回目、土筆通信373号に「朝鮮人の友人」と言う文章を載せている。そのまま再録してみたい。
 
                   朝鮮人の友人

 雑誌「日本の子ども」に勤めだした頃、(*大学を卒業して1年間、私は児童文学者古田足日氏の紹介で、「日本の子ども」編集部に勤務した。)私は学生時代、兄弟で住んでいた杉並のアパートを出て、渋谷区代々木八幡の、国道沿いにある3畳1間と言うアパートの1室に住んでいた。古いアパートで、夏の夜などは南京虫にせめられた。布団の周りに新聞紙を敷きつめて寝るのだが、夜中になるとその新聞紙の上を走るカサカサというかすかな音がする。あわててとび起きて、電気をつけて南京虫退治に這いまわったものだ。
 私には大学時代から親しくしていた朝鮮人の友人がいた。この友人がある夜、アパートの部屋に突然転がり込んできて、数か月一緒に暮らしたが、彼が転がり込んできた夜のことを雑文に書いている。

 「コツコツ」とドアをたたく音で、目を覚ました。時計を見ると午前4時。誰だろう今ごろ。始発電車にはまだ間がある。と言ってアパートの人達はまだ寝静まっているはずだ。とにかく、私は「ハイ」と言って丹前を引っ掛けてドアを開けた。
 まるで死人のような青白い顔、Kだ。Kは私の親しい朝鮮人の友人だ。
「どうしたんだ、今ごろ」
「いやあ、ひどい目に遭ったよ」
 彼は部屋の中に落ち着くと話し始めた。「あれからさ」、と言うのはその日の夕方、職場からの帰りに駅で待っていたという彼に会って、荻窪まで行くという彼に電車賃30円をやったのだ。
「荻窪へ行ったわけよ。ところが訪ねたやつがいない。下宿の人に聞いてみたけど、さあね、という始末さ。仕方がねぇんで、また来るからもし帰ってきたら、どこにも行かないように伝えてほしいと頼んで、さて、どこで時間をつぶそうかと迷ったよ。文なしさ。仕方がねえから3・4軒本屋をぶらついて10時過ぎもう一度行ったんだ。いねぇ、まだ帰っていないと言うんだ。それでまた駅まで引き返したさ、駅まで20分もあるんだぜ。そこでまた時間つぶしさ。しょうがないから改札口に突っ立ってたよ。イライラしながら30分。それから駅の周りをぶらついた…。もう終電近くなっていた。帰るにも金はないし、帰りようがねぇ。何としても奴に会って金を借りなきゃあ。それでまた行ったさ。ダメだ、とうとう奴は帰らなかった。ええぃ、ってヤケクソさ、それでここまで歩いてきたわけだ。」
 そこで話を切ると、彼は私の目の前に握りこぶしを突きだした。血が出ていた。もっとも血は凍りついて固まっていたのだが、彼はまた話を続けた。「これ、」と言って握り拳をもう一度突き出して「辻強盗、こんな言いかたおかしいかな、とにかく遭ったんだ。蚕糸試験場の辺りだったかな。一人の若い男が金を出せときやがった。何にもねえってポケットをひっくり返してやったさ。そしたら、そのジャンバー置いていけと来た。こりゃあ俺のじゃねぇ、友達のだ、こいつを取られたんじゃたまらねぇと思ったさ。と言ってどうしたらいいか…。ふと気がつくと相手はオーバーを着ている。それに皮靴だ。よし、と思ったよ。おれはジャンバーに運動靴だ、身軽だ、これなら逃げきれると思った。おれはいきなり相手の顔面を殴りつけた。アッと後ろにのけぞったんで、一目散さ。殴った時相手の歯に当たったんだ。」
 彼はまた握りこぶしを見た。
「とにかく寒い。首をちぢめて歩いて来たので首が痛くって…。ひどい目に遭ったよ」
 私はただあきれてしまった。
「バカだなぁ。警察でも駆け込んで事情を話して金でも借りればいいんだ。構うもんか、おれだったらその手だ」
「あとが面倒だからよ。日本人ならとにかく。」
 もう朝方だったが、とにかく一つ布団に二人で寝た。
 私が起きた時、彼はぐっすり眠っていた。青白い顔だった。その顔を見ながら私はやりきれない寂しさに襲われた。金だ、問題はこれだ。だが私の手元には職場に行く定期券のほかは一銭の金もなかった。彼にやるどころかその日の昼飯代をどうするか、まぁ、おれの方は何とかなる。こんな生活には慣れきっているはずなのにやりきれなく寂しかった。
 私は自分の丹前を彼の上にそっとかけて、何も食わずに出勤した。」

 とにかくその頃の私は(友達も含めてだが)ひどく貧しかった。

 この朝戦人の友達については、その後次のような詩を書いている。

  朝鮮人のあいつ

あいつ今ごろどこで空気を吸っているか/おやじとおふくろの血のにじむ暮らしの中で大学の門をくぐって/その日から俺の心臓にぶら下がって離れなかったあいつ/今、どこで空気を吸っているか/傾いたアパートの6畳の部屋に南京虫と同居して/俺にマルクス、レーニンを語り続けたあいつ/今どこで空気を吸っているか/金が続かなくなって3年で大学を中退して/翌日から画報屋のタコ部屋に住み込んで/搾られた血の代償を要求したばっかりに3カ月でたたきだされ/俺の部屋に転がり込んできたあいつ/今、メシはたらふく食っているか/それからというもの/パチンコ屋に10日、土方を1カ月/今度は大阪に高跳びして鉄屑屋で2カ月/あっちこっち根なし草になってしまったあいつ/今、どこのせんべい布団にくるまっているか/その後の手紙によれば/大阪の飯場を転々/挙句の果ては紀州熊野川の山奥で/酒とケンカと宗教に良心を奪われまいと/必死でおのれと戦いながら土方仕事に明け暮れているという/あいつ、その後どこへ流れていったか/それっきり消息がなく数カ月も経ったのに/あいつ、今どこで空気を吸っているか。

 私の「日本の子ども編集部」の仕事は1年で終わった。神戸に教師の口が見つかったからだ。大学時代の教授の推薦だった。

 以上が土筆通信373号の文章だ。20代前半の頃の文章だから全くの「雑文」だが読んでいただけたらありがたい。
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by tsukushi--juku | 2015-01-15 11:22 | Comments(0)
2015年出発にあたって
             2015年の出発にあたって
 今年の子どもたちへの年賀状は次のような言葉にした。

 新年おめでとう。
自分と 自分のまわりを
しっかりと見つめて
命令されなくても 号令をかけられなくても
自分で学び
自分で考え
自分の道をきりひらこうね。

 今、塾生は低学年が主流だ。1年生、2年生、3年生。それに高学年が少々。
中学生は1年生がこれも少しだ。低学年は作文が主体だ。低学年の子どもたちとはとにかく楽しく勉強したい。学ぶことが好きになってほしい。自分でしっかりと考える子になってほしい。それが私の願いだ。高学年の子どもたちには本や新聞を読んで、視野を広げてほしい。どちらかと言うと覚えるだけの勉強になりがちで、周りを見つめたり、自分と向き合って考えたりすることが少ないように思うのだ。
そんなことを思っての年賀状だ。

早々に、子どもたちからの年賀状も届いた。「まわりしょうぎをがんばります。」と言うのもあった。「今年も作文がんばります」と言うのもあった。「今年もよい作文をたくさん書きます」と言うのもあった。それぞれの思いで今年も楽しく過ごしたい。
塾の前には、アパートがある。小学校にも上がらない、小さい子が何人もいて、私ともいい「友だち」だ。暮れに我が家の前でおこなう恒例の餅つき、今年もこの子どもたちは何人も参加した。その子どもたちからも年賀状が来た。(もちろん親が書いたものだが)このアパートには1年生の塾生もいて、もちろん餅つきにも来た。この子は学校がある日は、出かける前に「土筆さーん」と大声で呼ぶ。私が顔を出すと「安心する」と言うのだ。
塾生が多かったころの土筆塾も、その周りも、今はすっかり様変わりしたが、やはり楽しい、充実した日々であることに変わりはない。この子たちのためにも、現役を続けなければと思う。

大人に向けて私の年賀状は次のように書いた。


 新年おめでとうございます
 
身は歳を重ねても
心は青春
人々の幸せと希望の持てる未来のために生きる
ぼくはまだ その役割を終えてはいない

そんなつもりで
今年も生きていきます

土筆通信を読んでくださっている方、友人、知人に向けて書いた年賀状だ。ちょっと気負い過ぎているかなとは思う。それでも私の中では当たり前の思いだ。
私は今年81歳になる。中学高校大学を含めて、同期生は沢山亡くなった。昨年暮れには中学・高校時代の友達が亡くなった。昨年11月、中学の、最後の同期会があって出席したが、沢山の同期生が亡くなっていたり、病気で体調を崩していたりしているということも多かった。81歳と言えばそれも不思議ではない。まして現役で仕事をしているなどと言う人は少ないだろう。健康な人でも、もうほとんどの人が、個人の趣味に、老後の楽しみや生きがいを求めて毎日を送っていると言っても言い過ぎではあるまい。
確かにもう引退と言う年齢なのだ。そんな年齢になる私が、こんな文言の年賀状を書くと言うのは気負い過ぎと言うことなのかもしれない。だが、私自身は決して気負っているわけでも強がりを言っているわけでもない。  
山村の貧乏百姓の三男坊として育った私が、無理を承知で大学に進んだのは「貧しさ」の根源を知り、その貧しさからの解放を願ってのことだったし、大学の四年間を通して、そのために生きようと決意してからは、職業は幾つか変わったが、一筋の道を60年間貫き通してきたのだから、80歳であろうがそれ以上であろうが、頭と手足が動く間は、引退などと言うことはあり得ない。
この歳になっても、海外旅行をしたこともなく、国内の観光名所を巡り歩いたこともない。つまらない生き方かもしれないが、私は生涯を「人々の幸せと子どもたちを含めて希望の持てる未来のために」生き続けたいと思う。特に安倍政権が悪政をほしいままにしている時、黙っているわけにはいかないのだ。
私は、今は政治分野で仕事をしているわけではないし、安倍政権の暴走政治の全体に対して充分な見識や意見を持っているわけでもない。だから全分野について発言できるわけではないが、部分的ではあっても精いっぱいの発言をしていきたいと思う。
安倍政権が狙っている「憲法改正」(改悪)は、日本の未来を「戦争する国」にする極めて危険な道。安倍政権の19人の閣僚のうち15人は、かつての侵略戦争を美化し、「アジア解放のための正義の戦争」と唱える日本最大の右翼勢力、靖国派や「日本会議」に連なる「日本会議国会議員懇談会」のメンバーであり、自民党だけでなく、民主党や維新の会のメンバーなど多くの議員を抱える議員集団だ。「慰安婦問題」「ヘイトスピーチ問題」、最近の地方議会や、教科書問題を巡る右翼的潮流の総元締めでもある。
こうした潮流に厳しい監視の目を向けていかなければならない。
今、私の関心の一つに、例えば日本に米軍基地は必要か、とりわけ沖縄の基地は必要か、という問題がある。1014年度だけ見ても日本にある米軍基地関係の、日本負担額は6739億円。その中には「思いやり予算」と言う、日米安保条約上の負担義務のない費用まで入っている。日米同盟があるから日本は守られているとか、「抑止力」だとか,あたりまえのように報道されているが、今まで在日米軍が何をしてきたか、朝鮮戦争、べトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、そしてアフガンへの侵攻。米軍が引き起こしまたは関与した戦争の、基地ではあっても、日本を守るためのものではなかった。
沖縄県民は先の知事選挙で、そして今回の総選挙で基地押しつけを拒否した。沖縄だけではない日本全体の米軍基地の存続を、今見つめなおさなければならない。ましてや日本国民が苦しんでいる時、膨大な費用を米軍のために負担する必要がどこにあるのか。
米軍基地存続問題だけではない。安倍政権はその米軍とともに海外での戦争に参加しようとさえしている。集団的自衛権行使の問題は切迫して来ている。
こうした安倍政権、自民党の勢力を支えてきた選挙制度の在り方も私の中では大きな関心事だ。比例区での自民党の得票率は33%、この計算でいけば得票議席は175程度。ところが小選挙区295の75%232議席を自民党が得て、議員数の上で圧勝したのは小選挙区制と言う大政党が有利な選挙制度にある。小選挙区制は1選挙区で一人しか当選できない、たくさんの「死票」が出るなどの問題も含めて、民意をゆがめる最悪の選挙制度だ。自民党議員の数を選挙制度が保障し、その台所を「政党助成金」が保障する。大政党にとっては「笑いが止まらぬ」制度が、巧妙に張り巡らされている。「小選挙区制と政党助成金」、私にとっては今年の大きな関心事だ。
もうひとつ、安倍政権のメディア、マスコミ取り込みの問題があるがここではこれ以上触れない。
いずれにしても、今年は日本の未来のにとって重大な「岐路」となるだろう。その時々、必要な発言をしていきたいと思う。(土筆通信の一部)
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by tsukushi--juku | 2015-01-05 17:07 | Comments(0)