土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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今、声を上げるとき
すべての「良心」よ、今声を上げるとき

労働者も 農民も、商人も学生も、
学者も文化人も宗教者も
そして自衛隊員までも
老いも若きも
男も女も
すべての日本の「良心」よ
今、声を上げるとき
街頭に出てもよい
大声で叫んでもいい
ビラを貼り、署名をし、インターネットで発信する、どんな方法でもいい
小さい声でつぶやくだけでもいい
それすらためらう人は心の中でそっとつぶやくだけでいい
いずれ大声をあげて立ち向かう日のための準備でいい。

権力にすり寄り保身だけにきゅうきゅうとする輩、すっかり金の虜になって「良心」を投げ捨てた輩、国会議員と名がつこうが、学者だ、専門家だと肩書きを振りかざそうが、そんな輩はどうでもいい、いつまでも尻尾を振り続けるがいい。

安倍自民党政権の大暴走はますます加速して、狂気じみてさえきた。「集団的自衛権の行使]いや、集団的自衛権なんていう呼び方は人々を惑わす。自衛なんていうものではない「日米共同戦争権」だ。
 世界中どこででもアメリカとともに戦争する。他国の人間を殺すということは、自国の人間が殺されるということ。
「日本国民の生命と安全を守るため」、「日本の国益を守るため」、 どんな美しい言葉を並べようと、どんな言葉で感情に訴えようと、何の論理性もない、何の道理ある説明もできない。中身は空っぽ。
安倍政権の大暴走は「集団的自衛権行使」だけでとどまらない。人びとの戦後の歩みそのものをひっくり返し、二度と戦争をしないと誓った憲法そのものを書き変えようとする。
「日本周辺の情勢が変化した」と仮想敵を名指しする。かつて日本軍がさんざん傷めつけた自らの侵略の歴史に頬かぶりして。
日米が共同で軍事力を強化する。相手もまた軍事力を拡大し周辺諸国をおびやかす。力には力、際限ない追いかけっこだ。外交努力などはそっちのけ、世界の流れとは逆だ。
安倍政権の大暴走は国民生活全分野にわたる。TPPは国民生活全分野にわたって日本をアメリカに売りわたす。
ブラック企業は若者を苦しめ、労働者は「残業代ゼロ」などと際限ない労働と「過労死」につながる労働をおしつけられ、年金も医療も社会保障も、すべての分野で悪政が人々の暮らしそのものを脅かす。
原発はどうだ。大事なことは隠し続け、裁判の判決さえ知らぬ顔。世論調査に表れる国民の声はどこふく風。
「原子力は将来にわたって基本的なエネルギー」とうそぶき、再稼働にしがみつく。
福島原発事故は収束どころではない、後から後から問題は発生し、核のゴミは解決の見通しすらない。しょせん、原発は人間とは共存できないのだ。
つまるところ安倍政権、アメリカと財界・大企業にべったり。本質は見え透いている。ただ柔らかいマスクと、飾り立てた言葉を操って、人々の心を惑わす巧みな話術にたけているだけ。
日本のすべての良心よ、もう気がついてもいい。
人々の暮らしと安全、命と人権を守り、子らの未来をだいなしにしないために、今、何をしなければならないかを。「政治のことは分からないから」、「誰がやっても同じだから」と、自らの思考を停止させるのはやめよう。人間の良心にかけて声を上げるときだ。

労働者も 農民も商人も学生も
学者も文化人も宗教者も
そして自衛隊員までも
老いも若きも
男も女も
すべての日本の「良心」よ
今、声を上げるとき
街頭に出てもよい
大声で叫んでもいい
ビラを貼り署名をし、インターネットで発信する、どんな方法でもいい
小さい声でつぶやくだけでもいい
それすらためらう人は心の中でそっとつぶやくだけでいい
いずれ大声をあげて立ち向かう日のための準備でいい。
                          (5月29日)
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by tsukushi--juku | 2014-05-29 14:44 | Comments(0)
竹トンボのことなど
   竹トンボ、パチンコ、竹鉄砲

 塾を開設してから37年、竹トンボ、パチンコ、竹鉄砲を何本作ってきただろうか。もちろん数えたことはないが、竹トンボやパチンコは100を超えるだろうし竹鉄砲に至っては、数百本にもなるのではないだろうか。塾の子どもたちはもちろんだが、「きよせ子ども劇場」が毎年行うイベント「清瀬子ども祭り」に集まってきた子どもたち、地域の子ども祭りに集まる子どもたち、きりがないほどだ。パチンコの材料になる木の股,竹鉄砲の材料のシノダケたまにする木の実はその都度、近くの林や藪を駆け回り、手に入れたが、竹トンホの材料は竹林を持つ農家を回っていただいてきたり、田舎へ帰った折、孟宗竹を切り倒して2,30センチの長さに切りわって持ち帰ったりもした。とにかくたくさん作ってきた事は確かだ。
 こうした手作りは材料集めを含めて、結構手間ひまがかかったが、子どもたちが喜んでくれると私自身もうれしくて、こうした遊びを広めるのもいいなと思ってきた。
 さて、今年もだいぶ作ったなと思う。冬の間はパチンコ、木の股はアオキの木がいい。清瀬にはあちこちの林にアオキは多い。木の股の方は林を回って手に入れるから無料だが、ゴムヒモの方は買わなければならない。初めは池袋で買い求めたが、最近は百円ショップで買う。虫ゴムということで一本の長さで2本のパチンコができる。お金はかかるがまあいいとしよう。
 今の季節は竹鉄砲だ。今年は近所の子どもたちにも作ってあげているから、材料集めも忙しい。竹鉄砲については「えの実でっぽう」遊びとして子どもたちも作文に書いているから、ここでは省くが、竹トンボについては少し書いておきたい。
  わたしは5月3日から6日まで田舎に帰ってきた。その折、実家の竹林の竹を切り倒し、短く切りわって、重い荷物になったが、持ち帰った。私の作る竹トンボは、通常の心棒がついたまま飛ぶものと、心棒を離れて羽だけが飛ぶ「羽トンボ」だ。羽トンボという呼び方があるのかどうか知らない。わたしが勝手につけた呼び方だ。今年も、塾の子どもだけではない。兄妹の分も作ったし、塾の前のアパートの子どもたちにもあげたから20本近く作ったのではないか。わたしの作る竹トンボは良く飛ぶから、子どもたちには人気がある。特に羽トンボは実によく飛ぶ。「先生、売ったら」などという子もいる。「川越に行ったけれど300円で売っていたよ」などという子もいる。竹とんぼは、左利きと右利きでは羽を削る方向が違う。塾の子どもたちで、左利きは一人しかいないが、よその子にあげるときは左利きか右利きかを尋ねないといけない。
  竹トンボは指先に結構力がいるから何十本も削っていると指にまめができたり、タコができて硬くなったりする。持ち帰った竹も残り少なくなった。竹とんぼはこれで終わりということにしよう。後は竹鉄砲だ。また林を一回りして材料を集めてくるとしよう。

 竹トンボ、パチンコ、竹鉄砲。こうした手作り遊びやベーゴマ、ビーダマと言った伝承遊びが、子どもたちの成長にどんな影響を与えているか、私はここで書くつもりはないが、かつての塾卒業生が、卒業にあたって書き残した感想文を一つ紹介しておく。この感想文を書いた卒業生は今、30代、介護士として特別養護老人ホームで働く。二人の子の父親だ。
 長くなるから前段を省略する。

……振り返ると、この塾とはかなり長い付き合いとなる。入塾したのが小学3年生の時、すでに7年の月日がたっている。
 この7年も長いようで短かった。でも、この7年には、忘れ難い思い出がたくさん詰まっている。ベーゴマやビーダマ、竹鉄砲に竹とんぼ…。自然を大事にすることや、人への思いやり…思いだしたらきりがない。一番思い出に残るのが、土屋先生が留守で教室に入れない、ちょっと窓がぐらついているのを発見して、無理やりこじ開けて侵入したことだ。いつ怒られるか心配だったが、土屋先生は怒るどころか、感心していたことを覚えている。それから、だんだんと、ぼくは「土筆っ子」になっていったのだ。
 土筆に来ることで、いつも何かの発見があった。それは僕にとってプラスとなり、知識となっていった。その知識は、他人の知らないこと(ベーゴマやビーダマでの遊び方)を知っているというものだから、自信へとつながっていった。その自信はぼくにとって大きな支えとなるものだった。
 勉強だけではない、この体験から得た知識や自信の量が、人間のこれからの歩みを左右するのではないかと、僕は思う。僕はこの両者をこの塾でたくさん身に付けたと思っている。それはいつまでも心の中に生き続けて行くだろう。
 鞭をふりふりの、そこいらの塾では、これを見失っている。内申、偏差値だけですべてをはかってしまうようでは虚しすぎる。自然や、体験を通して学ぶということが欠けているからだ。だが、自然や、体験を通して学ぶということが本当の意味での勉強ではないか、少なくとも、僕はそれから知識も自信もつけることができた。そういう意味で、土筆塾に入れたことを嬉しく思うし、誇りにも思う。
 土筆塾に通った7年間に、自分の考え方もかなりしっかりしてきたと思う。自分の考えを文章に書くということも長い間やってきた。これらも、塾で育ててきたぼくの自信の持てるものだ。これからも大事に育てていきたい。……(後略)(『心を育み心をつむぐ』より)
  
 竹とんぼでは一つ思い出すことがある。拙著『学び創り遊ぶ』の中で書いたっことだが改めて紹介してみたい。

 学校とのかかわりの中で
 
  手作り教室

校区の清瀬第十小学校で「手作り教室」と展示会が催された。昨年、北多摩六市の学童保育所と児童館の先生方が手作り講習会を開いた折,たまたま講師になったのが清瀬第十小学校のT先生と私だった。T先生は段ボール細工、私は竹細工だったが、その時「十小でも手作りの機会を持てるといいな」というようなことを話し合ったものだった。
 その道の専門家であるT先生が、さっそくその手作り教室を実現させたのはさすがだ。
 この日、私も小学校を訪れた。自分の子どもはもう小学校にはいないが、私には塾生というたくさんの子どもたちがいるのだから行ってもいいだろうと勝手な理由をつけて出かけたのだ。(中略)・・・三年生の「竹けん玉作り」の教室で、子どもたちにつかまって竹とんぼを作るはめになった。作り始めると、次々と注文が殺到してその場で注文に応じきれなかったので、「家で作って近いうちに届けるから」という約束をして別れた。
 数日後、家でせっせと作りためて、クラス全員の分、三十九本の竹トンボを届けた。私は竹とんぼ一本を五分もあれば作り上げるが、それでも三十九本となると、そう簡単にはいかず、授業が終わってからの〝夜なべ仕事〟で作り上げた。指にまめを作ってしまった。
 大量生産、大量消費、いわゆる使い捨て文化の中で生まれ育った子どもたちが、手作りの楽しさ知り、手作りを通して物の大切さや物を作り出す人への理解、思いやりを学ぶことができるとすれば、それは喜ばしいことだ。そうした機会を子どもたちに体験させることは、今、とりわけ大切なのだと私は思う。そうした意味で、今回の清瀬第十小学校の取り組みにもろ手を挙げて賛成したい。

  竹トンボが結ぶ縁

三十九本の 竹とんぼを届けた三年四組のK先生から、どっさりと子どもたちの手紙が届けられてきた。「土屋先生、素晴らしい竹とんぼ、ありがとうございました。子どもたちに『土屋先生がけにまめを作りながら、みんなのために一生懸命作ってくれたんだよ』と話してあげますとみんなが『すぐにでもお礼に、土屋先生の所へ行こう』と言い出し、子どもたちは大喜びでした。四時間目は、さっそく校庭に出て竹とんぼを飛ばして遊びました。竹とんぼのお礼にと思い、子どもたちに手紙を書かせました。…お届けします。」と先生の添え書きがあった。
クラス全員の手紙は省略するが、子どもたちとのこうした交流は心温まる。懐かしい思い出だ。
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by tsukushi--juku | 2014-05-23 22:32 | Comments(0)
このごろ思うこと
          黙っていられないから

 集団的自衛権行使を合法化しようと、解釈改憲を合法化しようと、躍起になっている安倍政権だが、許してはならない大暴走であることは明らかだ。
 安倍政権や、安倍政権下勢いづいている右翼的勢力は、盛んに中国の脅威を叫びたてている。私は現在の中国の行動を肯定するつもりはない。特に最近の南シナ海を巡る一連の行動は極めて危険な動き、とても容認するわけにはいかない。
 中国の軍拡を非難するのも、とりあえずよしとしよう。だが翻って中国の立場から考えてみることも必要だ。アメリカの世界戦略の中心がアジアに移り、日本の沖縄を含めて、矛先が常に中国に向けられていることも確かだ。アジアを巡る軍拡競争はイタチごっこだ。
 日米同盟という名の日米軍事同盟は安倍政権になって一段と強化されてきている。とりわけ、安倍政権下、かつての日本の侵略の歴史を否定し、美化する一連の動きは中国にとっては決して見過ごせることではないだろう。
 いずれにしても、軍拡競争を繰り返していくなら、アジア情勢は一触即発の危険を増大させていくことになることは明らかだ。「外交」は何のためにあるのか。こうした時期こそ「外交力」が問われるのだ。
 日本が中国に向き合う時、何よりも先に考えなければならないことは、かつての侵略戦争に対する日本の厳しい反省と、中国への謝罪ではないか。
 その意味では、日本の侵略が中国人民にどのような犠牲と苦しみを与えてきたのか、日本軍が中国で何をしてきたのか、事実に基づいた検証がきちっと進められなければならない。
  4月下旬、中国の吉林省「とうあん館、公文書館」が、旧日本軍の中国侵略に関する新しい資料を公表したようだ。旧日本軍の報告や電話記録、手紙などが明らかにされているという。敗戦時、『満州国』の首都新京にいた日本軍は証拠隠滅のため、日本の侵略にかかわる大量の資料を焼却した。焼却が間に合わないものは穴を掘って埋めたという。その埋めた資料が大量に発見されたという。南京大虐殺や「慰安婦」、細菌兵器の研究・開発に従事した関東軍731部隊など資料89点、資料は全部で10万点に及ぶという。
 たとえば「慰安婦」に関する資料によると、当時南京には2万5000人の日本兵がおり、「慰安婦」は141人。南京周辺の鎮江にあった慰安所にも109人いた。10日間程の間に述べ、5734人が慰安所を利用。慰安婦一人が10日間で53人の日本兵に対応したことになるという。また別の報告では日本兵の利用者は8929人に増え、10日間に、慰安婦一人当たりの対応は82人になるという。
 安倍政権は慰安婦に対する日本軍の関与を何とか否定しようとしているが、慰安婦制度が日本の国家的行為だという証拠も明らかという。

 また当時の日本兵が、日本にいる家族にあてた手紙の内容なども公開されているという。その中には「銃剣で突くと豆腐のように突けるのです。一,二回突くと手をぶるぶるふるわせます」とか、「ぼくも殺人何犯か分からぬ。しかし戦場は治外法権だからな」と書かれたものもあるというのだ。戦争は人間を喪失させ、戦争は人間を狂人にする。
こうした侵略戦争の実態は、まだまだ、私たち国民には知らされていない。事実を事実として明らかにし、誤りを誤りとして認め、謝罪し、その上に立った両国関係の未来でなければならない。
 侵略戦争を美化し、戦犯合祀する侵略戦争美化の発信基地靖国神社に、ぞろぞろと参拝してはばからぬ安倍政権や保守・右翼的勢力が勢いづいている中で、どんな「外交力」が発揮できるというのか。

 憲法改正や、集団的自衛権の行使や、解釈改憲やと、まるでそういう方向が、当然であるかのような報道の嵐の中で、今、私達一人一人の自覚と責任が問われている。「取り返しのつかない事態」を招かないうちに声を上げたい。

                      (5月15日)
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by tsukushi--juku | 2014-05-15 12:24 | Comments(0)
山菜摘みの遠足
 あてのない遠足(山菜摘み)と子どもたち

 4月29日に行く予定だった「あてのない遠足」。天気予報ではこの日雨になるらしいということで、27日(日〉に早めて行くことにした。それぞれご家庭の都合、子どもたちの都合もあるようで、四家族、私を含めて、総勢12名の参加と今年も少人数だった。
 暖かい穏やかな日だった。山々は緑に映え、咲き乱れる花は目を楽しませる。道々タンポポを摘み、西洋タンポポと日本(関東)タンポポの違いなどを手にとって確認したり、スイバやギシギシを教えたり(すぐには覚えられないな)アケビの花を観たりワサビの花を観たりしながら、山道に入る。ハイキングコースからは外れた林道だから人通りはない。見るからに毒々しいマムシグサ(これは毒草だと教える)、シャガの群生。アオキの実の赤も鮮やかだ。クサノオウや、ムラサキケマン、キケマン(これも毒草だ)、道端にはいろいろな花が咲いている。林道をしばらく上ると、湿気の多い道のわきや山裾にセリが…。似たような雑草の中だから見分けるのも大変。セリの特徴、他の雑草との違いなど手にとって説明し、セリやミツバを摘みながら登っていく。
 下見の時見つけておいたウドが丁度食べごろにのびていた。
 ハナイカダは灌木の新芽だ。葉の上にボジョボジョっとゴマ粒よりも小さい蕾の塊、どんな花なのか見たことはないが秋には紫色の小さな実をつけるようだ。葉をいかだ、蕾の塊を舟頭に見立てたところからつけられた名前のようだ。ハナイカダ、何ともかわいらしい名だ。この新芽が食べられる。
 ヤマウドは去年よりも少なかったが、それでも結構採れた。たくさん採れたのはシドケ。学名モミジガサという。東北地方では山菜の王者ともいわれる。子どもたちは私の後について這うように山の急斜面を登ったり降りたり。私が足を滑らせて転んだりすると、「先生が転んだ」なんて喜んだりもする。とにかく大量に採った。
 沢をたどって水の湧きだす源流を極めようと登っていく子どもたちもいる。ペットボトルにくんできた水はまさに、源流の天然水だ。
 すべてが子どもたちにはいい経験だ。初めての子、毎年、もう何回か経験している子、それでも毎年新しい経験をし、新しい発見をする。セリを見分けるようになり、ハナイカダを見つけられるようになり、自分でウドを見つけて喜ぶ。
 自分で採ってきた山菜は、それぞれの夕食の折、食卓を飾っただろう。親子の会話も弾んだにちがいない。我が家も天ぷらで、味わった。
 携帯の歩数計でみると、この日は1万5857歩歩いたことになる。下見の時は2万0931歩だった。私もまだ健在だ。来年もまた「あてのない遠足」に行こう。(土筆通信1272号の一部)
 
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by tsukushi--juku | 2014-05-09 23:10 | Comments(0)