土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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4/28日―屈辱の日
サンフランシ条約は
真に主権回復」の日か?
 4月28日がやってくる。1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が締結された日だ。この日を「主権回復の日」として政府主催の式典が開催されるという。安倍政権のこの見解発表に対して、とりわけ沖縄県民の間から厳しい批判の声が上がっている。なぜか?
 この条約では沖縄を日本本出から切り離しアメリカの支配下に置くことが条項に明記され、その後、アメリカの基地に苦しめ続けられる大本になったからだ。
 私は、1952年は高校3年生だった。当時の日記で私は次のように書いている。小冊子『私の少年期と青春の断面そして家族のこと』から当時の日記を引用しておく。
「1952年12月31日。時計の針が時を刻んでいく。あと1時間もするともう今年ではない。ついに今年も暮れた。
 講和、独立、…メーデー、第3次吉田内閣誕生。皇太子の礼…幾多の事件を残して今年も暮れた。日本は独立した。しかし、独立は形ばかり、名ばかりだ。国土は依然としてアメリカの植民地的支配のもとにおかれている。土地は取られ、町、そして村には横文字が並び、女と腕を組んで歩きまわるアメリカ兵であふれている。これが「独立」した日本の現状だ。上から押さえつけられ縛り付けられ手何が独立だ。何が平和だ。この不満がメーデー事件によって爆発したのだ。プラカードを掲げ何百何千いや、何万の人達が行進を続けた。これに対して何たることだ、武器を捨て暴力を否定したはずの日本政府は、ピストル、催涙ガス…あらゆる方法で弾圧を加えた。これが独立日本なのか?「破防法」は議会を通過し、われわれの自由、我々の行動は閉ざされた。言論の自由、学問の自由といいながらはたして自由なのか?学園は荒らされ、言論は弾圧され、平和を叫ぶことさえ弾圧された。兵器を放棄したと言いながら再軍備は着々と進められ、再び天皇制を盛りたてまた戦争をしようというのか。これが独立日本の現状ではないか。……」(中略)
 そして日記の最後にこう書いている。
「人間の幸福は、社会が真に平和になり、幸福になった時に初めて得られる。自分の幸福を望むものは、社会の幸福を望み、自分の幸福をかちとろうとするものは社会の幸福をかちとれなければならない。」
 高校3年生の日記だから、今から振り返ると恥ずかしいほどだが、これが当時の私の精いっぱいの主張だった。当時「全面講和か単独講和か」を巡って世論は沸いていた。私の関心もその反映だったと思う。
 後に理解が深まったのだが、サンフランシスコ平和条約は幾つかの大きな問題点を抱えていた。第一に、戦争をしていたすべての国との全面的な平和条約ではなく、アメリカとその同盟国との間での単独講和であったということ。あの戦争で日本軍国主義の被害を最も強く被ったのは中国であり、韓国、朝鮮をはじめとするアジアの国々であったが、これらの国々を含んだ講和ではなかったのだ。第二は、サンフランシスコ条約で、沖縄を日本から切り離し、永久にアメリカの支配下に置けるようにした。さらに、千島列島を放棄し、ソ連の不当な占領を許したこと。第三には、アメリカ軍の日本駐留の継続を認めたことだ。その後旧安保条約、さらに、六〇年安保闘争につながった「新安保条約」の様に「有事のさいに自衛隊がアメリカ軍と共に共同して戦う「日米共同作戦」などの項目が盛り込まれ、日本をアメリカに対する従属的な「基地国家」に縛り付けるものになった。現在の沖縄を巡るすべての困難はここに発している。もちろん高校生の頃ここまで深く理解していたわけではないが、私の生き方の出発点になったことは間違いないように思う。
 こんな講和条約締結の日を『主権回復の日』として祝えるだろうか。
 舌足らずの意見だが、ひとこと言書きとめておく。
 

 
 
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by tsukushi--juku | 2013-04-10 09:24 | Comments(0)