土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

<   2013年 03月 ( 2 )   > この月の画像一覧
卒業式
 卒業式など――中学進学前の行事
                          6年 H
 最近授業以外の時間が増えている。それらは、卒業式だ、なんとか会だと面倒な式や会などが盛りだくさんだ。細かく言うと、卒業式、卒業を祝う会、家庭科の会食、六年生を送る会だ。しかしこんなにやる意味があるのかと思う時がある。僕にとっては形だけの式、それほど意味のない式なので、どうしても意欲がわいてこない。だが、これはどうしょうもない。結局やるしかないのだ。
 「祝う会」は親が主催する。これも特に卒業式と変わらない。でも、本番ではこれが一番楽しかった。「会食会」と「送る会」こちらは終わっても、ちっとも面白くなかった。
 残るは卒業式だが、一番やる気が出ない。ほぼ二時間、ただ歌い、ただ、大方は座っている。もう最高にだるい。もう一度言うが、やろうという気になれないのだ。

 作文を書く前、H君が「先生、また、愚痴の作文になるけどいいかなぁ」という。「ああいいよ、ぼくもこの頃愚痴が多いよ」と返した。何を書くのかと思ったら右のような作文だった。作文で書かれただけでなく、何か、この頃の卒業行事は、とりわけ卒業式などは形式だけの「式」になっているような気がする。君が代斉唱や、次々と入れ替わる来賓のあいさつ。「卒業式は厳粛な行事」などというのが東京都教育委員会の方向だが、かつては先生方や子どもたちの創意工夫で、楽しい卒業式があちこちの学校で行われていたように思う。
 もうずいぶん古い話だが、私は小学館発行の『総合教育技術』という教育雑誌に一年半程、前半は「土筆塾だより」、後半は「教育メッセージ」として、コラム記事を連載したことがあった。その中で中学の卒業式に関連して次のような雑文を書いたことがある。再録してみたい。

教育メッセージ

    心に生き続ける卒業式を

 三月。我が塾でも三十名近い中学生が卒業する。半数は小学生から通い続けた。拙著『学び創り遊ぶ』(毎日新聞社)に小三生として登場した子どもたちだ。私の留守に窓をこじ開けて教室に侵入したわんぱく連中。身近な草花で「貼り絵集」を作ってくれたNやM。古材で空き地に基地作ったと招待してくれたSやAやI。手作りのパチンコを首にかけて得意気に歩き回っていたY・・・。みんなみんな塾とともに成長した。
 今、彼、彼女らは授業が終わる夜十時を回っても、追い立てるまで帰らない。ギターを弾き、下手な歌を歌い、おしゃべりに時を過ごす。肩こりと腰痛に悩む私を腹ばいにさせ、交替でマッサージする彼ら。教室の雨戸締めを自らの仕事としてやり続ける0やY。「清瀬子ども劇場」の中学生リーダーに成長したA。動物好きで心優しい0。連ねれば、それだけで紙面を埋め尽くす。彼らは今、卒業記念にと青森の田子町行きを計画中だ。
 卒業は思い出となり、励みとなり、生きる力となり、人生の潤いや豊かさにつながっていく。卒業は新たな旅立ちだ。
 三月。全国で中学生が卒業していく。日の丸に君が代、形式だけが先行する卒業式が子らの心に何を残すだろう。子らが主人公の卒業式でありたい。(一九九一年三月号)(土屋春雄)
 
小学校と中学校の卒業式では内容も異なるだろうが、最近は小・中にかかわらず「厳粛な行事」になってきているという点では変わりないようだ。「君が代斉唱」も当たり前となってしまった。「君が代」に「日の丸」、それは軍国主義の旗印だった。小学校5年生までを軍国主義教育のただなかで過ごした私などは、どれだけ「慣らされてきた」とは言え、受け入れることは出来ない。
 だが、政治は戦前回帰の方向に走り始め、マスコミも、世論も、なんとなくその方向に走り始めているように思えてならない。残念なことである。
[PR]
by tsukushi--juku | 2013-03-14 09:37 | Comments(0)
忘れてはならない日
 忘れてはならない日

 3月10日、3月11日。
 3月11日はまだ記憶に生々しい。東日本大震災。ところが3月10日は知らない人、忘れてしまった人も多いに違いない。1945年3月10日だからまだ生まれていなかったという人も多いに違いない。だから少しだけ触れてみたい。
 3月10日未明、東京大空襲。私の手元に『写真版・東京大空襲の記録』(早乙女勝元編著)という文庫本がある。その中から一部を引用させていただく。

 B29(米爆撃機)の第一弾投下は、10日零時8分わずか半時間足らずで東京深川から始まった焼夷弾爆撃は牛込、下谷、日本橋、本郷、麹町、芝と次々被弾し、下町かいわいは地獄の劫火と化した。本の中では次のように述べられている。
 「地獄の劫火が鎮火したのは明け方の8時過ぎのこと。一夜明けた下町かいわいは、見るも無残な廃墟と変わっていた。まさに茫漠たる焦土である。道は焼けトタンが散乱し、真っ黒焦げの電柱が棒杭のように残り、崩れかけたビルの倉庫の鉄窓からは溶解したガラスが氷柱のように垂れている。焼夷弾の落下した跡は道路の各所に六角形の模様を刻みこみ、焼け跡のガラクタの中から、罹災者の群れが声もなくそれぞれの目的地へと向かっていく。特に川向うと呼ばれるゼロメートル地帯の被害は、この世のものとは思えなかった。運河に、焦土に、橋上に、いたるところにしたいが散乱した。焼死体にもいろいろあったが、言問橋や明治座のように、一か所に折り重なるように集結したまま白熱状態になったところでは、性別さえも分からない程に炭化した惨状となっている。隅田川にかかる言問橋では、両岸から押し寄せた群衆が身動きつかぬまま猛火の犠牲になり、千人近い人たちが最悪の運命をたどったが、日本橋区浜町の明治座もまた一大修羅場となった。…(中略)路上にも、いたるところ、うずたかく山積みした焼死体が見られたが、これまた断末魔の人達が、最後の時にたがいに寄り添ったのではないか。……」
 この大空襲で仮埋葬された人達は10万5400体と言われる。戦争の記憶とともにこの日を忘れはならない、私はそう思っている。

 さて安倍政権、物騒な動きが目立つ。「国防軍」を作るとか「集団的自衛権」行使(簡単にいえば、アメリカと共に海外で戦争するということ)とか、憲法(とりわけ、戦争放棄の第9条)改正に向けての外堀を埋める動きとか、はては武器輸出まで緩和すると言い出した。軍事産業、「死の商人」たちは大歓迎だ。防衛費も大幅に増額される。
安倍政権についてはもの申したいことは山ほどあるが、今回は控えておく。今の国会は与党対野党などという構図ではない。「民主」も「維新の会」も「みんなの党」も、軒並み対決軸など失い、安倍政権の補完勢力になってしまった。自公政権と対決する本物の野党はマスコミからも外されている感じがする。7日から国会予算委員会審議が始まる。安倍政権に真に対決し、国民の側に立った論戦を展開する党はどこなのか注目していきたいと思う。うっかりしていると国民の上にとんでもない困難が覆いかぶさってくるだろう。
 3月11日の東日本大震災と福島原発問題については触れないが、震災からの復旧・復興は遅々として進まず、原発に至っては、「原発ゼロ」どころか新しい安全神話作りが進行し、原発再稼働に向けての世論作りが目立ち始めた。原発ゼロを求める全国的運動は継続し広がっているのに、マスコミまでほとんど報道しようともしない。
 3月11日、大震災を改めて思いなおし、決して忘れてはなるまい。福島原発はまだ「収束」していない!
[PR]
by tsukushi--juku | 2013-03-10 13:08 | Comments(0)