土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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故郷の空
「新米の季節に思う」        O・N

 そのむかし、智恵子という人が「ほんとの空」と言った空は今、放射能という悲しみの雨を降らせている。

 高村光太郎の妻、智恵子の生誕の地、二本松市は安達太良山(あだたらやま)の裾野の町です。その隣の大玉村に私の母は生まれました。
叔父たちはご先祖がしてきたように今も米を作り、土地を守っています。
私が小さかった頃、まだ若かった祖母のいる「田舎」に遊びに行くことは至極の喜びでした。当時、都内の住宅地で暮らしていた小さな私にとって「田舎」に行けることは生き甲斐と呼べるくらい価値のあることでした。
夏休みの間、私と私のきょうだいは田舎に預けられ、祖母の元で日がな一日、田舎の子になり遊びました。
 小川に網を差し込んでザクザクやると、ゲンゴロウやタイコウチなど都会では見ることの出来ない生き物に会えたし、夏の太陽をたっぷり浴びた暖かくて新鮮な畑のトマトやキュウリがおやつでした。
 小屋から逃げ出した子豚たちを追い掛けたり、手の指の間には競いあって捕ったトンボが羽を揃えて並んでいます。散々遊んだ後は祖母と一緒に母屋から離れたところにあるお風呂に入ります。湯気で幾分ガラス窓が暖かいのか、灯りに集まる虫を食べるためか、雨蛙が何匹もペッタリと窓に張り付いていました。炊かれる薪の薫りが香しく辺りに漂う夜気は冷涼で、湯上がりに屋敷の敷石に腰掛け祖母といろいろな話をしながら見上げた夜空は深く蒼い色をしていました。遠くで風にゆれる大きな木々は、子どもの私には巨大な妖怪か怪物がこちらに迫ってくるようで恐ろしく、祖母にくっついて家に入ろうと言うのでした。

 いつの夏も、私にはそんな子ども時代を思い出させてくれます。
今年の夏の福島訪問も私にはいつもの夏と違いないという思いがありました。しかし実際は、被災見舞いとなりました。沿岸部から50~60km離れた大玉村では比較的に被害は小さく、被災者の方々を受け入れる仮設住宅も建てられています。それでもまだ道路の亀裂はその時のままで、村民は迂回を余儀なくされていましたし、村の墓地の墓石は倒れたままのところもありました。
叔父たち一家は皆元気で、いつものように笑顔で迎えてくれました。青々とした田んぼの稲はいつもの通りみずみずしく風にそよぎ、「今年もようこそいらっしゃい」と言っているようでした。
 すぐ近くの溜め池で夫と息子が釣りをしました。そしてまた、いつものように10センチメートル前後の小鮒がたくさん釣れました。常ならば、家の水槽に入れるのに数匹を連れて帰るのですが、叔父は「置いていけ」と言いました。「何で? 置いてけ堀りみたい」と笑って聞くと「俺が食うから」と言うので妙な感じはありましたが、東京でも下町の方では小鮒の佃煮があるし、そう不思議がることでもないかな、とその場はそれきりになりました。
 後になって夫に、その話をすると「叔父さんは汚染のことを気遣ってくれたんじゃないかな」と言いました。

 叔父曰く、福島のお米は水系がお隣の新潟と同じとかで、新潟コシヒカリに退け劣らないのだそうです。新米は水を少なめに炊くとぴかぴかと光って、食べると甘みがあり、まさに瑞穂の国に生まれたことを感謝する瞬間です。
今年は叔父から「どうだ、福島の新米は旨いだろう」という言葉がまだ聞けません。

 智恵子は今も「安達太良山の上に 毎日出ている青い空が ほんとの空だ」と云うでしょうか。
 安達太良山は昔も今も変わらぬ美しい姿で悠然とたたずんでいます。
その懐に智恵子も、私の祖母や母たち、それから私や私の子どもたちをも包んでくれました。
 私には今でもほんとの空であり、大地です。(投稿原稿)


      空を返せ、海を返せ、大地を返せ、故郷を返せ

                      ―脱原発は国民多数の声―

 福島第一原子力発電所事故以来、脱原発の運動は日増しに大きくなり、全国に広がっている。ここ数日の動きだけでも、例えば11月26日静岡御前崎市の浜岡原発を4000人の人達が「人間の鎖」で包囲した。「浜岡原発は永久停止・廃炉にせよ」「原発と人類は共存できません。全国の仲間と手を結んで、浜岡の地から原発をなくすのろしを上げよう」の大合唱が響いたという。11月27日にはエッセイスト海老名香葉子さん、俳優の宝田明さん、プロボクシング元ウエルター級チャンピオン小林秀一さん、漫画家ちばてつやさんなどが呼び掛けた「さようなら原発東京北部パレード」が文京区の公園で開かれた。呼びかけ人を代表して小林さんはあいさつで、「子どもたちの未来は私たちの行動と決意にかかっている」と呼びかけたという。また同じく27日「原発問題住民運動連絡センター全国総会」が開かれ、全国で運動を進めている人たちの交流集会があったという。さらに27日福島県郡山市でも市民総決起集会が開かれ、2500人が郡山駅西口広場を埋め尽くしたようだ。
 こうした運動は大小さまざまな形で全国に広がっている。残念だがマスコミは殆ど報道しないが、脱原発は国民多数の声となっている事はまちがいない。原子力問題は今、私たち一人一人につきつけられているのだ。しっかりと受け止めて行きたい。

     沖縄にアメリカの基地はいらない!

 米軍普天間基地を名護市辺野古へ移設するための環境影響評価書提出時期を巡って、とんでもない暴言があった。田中沖縄防衛局長が「これから(女性を)犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したというのだ。当然のこととして沖縄から怒りの声が噴きあがって、政府はあわてて田中防衛局長を更迭、官房付にした。だがそんなことで済まされる問題ではない。
 この発言二つの意味を持つ。一つは女性蔑視丸出しの人権感覚。もう一つは「辺野古への移設は必ずやりますよ。やる前に今からやるといいますか」という極めて強権的、高圧的姿勢だ。
 後者こそ野田政権の姿勢であり、今回の発言は、田中防衛局長の暴言で済まされることではない。「怒りで体の震えが止まらなかった。政府は沖縄をどれだけばかにしているのか」「結局私たちはいつも『最後は力ずくで犯せばいい』と軽く見られていた。思いが届くはずもない。」「言葉や金でなだめすかし、最後は力で押し切る。まさに暴力の論理。発言は『女』と『沖縄』への差別意識を見事に重ね合わせている」「あわてて首を切っても、国が沖縄に基地をおしつける構図は変わらない。政府が何を言っても沖縄県民には通じなくなるだろう」
 朝日新聞が報じた沖縄県民の声だ。
 沖縄の普天間基地移設の問題は、決して沖縄だけの問題ではない。国の在り方そのものを問う問題だ。
 沖縄にアメリカの基地はいらない!
                                  (土筆通信1175号)
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by tsukushi--juku | 2011-11-30 21:25 | Comments(0)
自然薯を掘る
自然薯を掘る

 11月23日、時間ができたので自然薯を掘りに出かけた。どこに出かけたかは「企業秘密」(笑い)だから言わない。事前に見つけてあってちゃんと印をつけてある。今の時期なら印をつけてなくてもまだ蔓をたどれば分かるが、蔓が枯れるころになる節々からつるが切れてどこに下りているか分からなくなる。それで印をつけておくのだ。
 4本ほど見つけてあるからそれを全部掘るつもりで、午前10時半ごろ出かけた。自転車に穴掘り用のスコップと、自然薯掘り専用の突きグワと呼んでいる身の丈よりも柄の長い道具。自転車にくくりつけて自転車を走らせる。あまり格好のいい姿ではないからできるだけ人目の少ない裏通りを通る。
 目的地に着く。相当ぼさぼさの林の中だ。人の歩いた気配もない。最初の一本を掘り始めたがかなりの上物だ。さほど邪魔になるような木の根もなく掘り下げる。穴は直径30センチメートルほど5,60センチメートル近くも掘ると穴の中は見えなくなる。特に近年は目が悪くなっているから、感ばたらきに頼る。自然薯は3、40センチほど掘り下げるあたりから赤土になり、突きグワにくっついて土が上がってくる。見当をつけて力一杯つきグワをつきたてる。時々木の根とか土の具合で必ずしも真下には降りていないし、途中枝分かれしていることもあるから、グサっとやってしまう。この一本目も途中までは調子よく掘り下げたが、やはりグサとやってしまった。折れてしまった残された部分も何とか掘りだしたが、折れたイモは自家用だ。食べる分には差し支えないが、人さまにはあげられない。
 2本目、3本目は木の根や土の具合で何本かに枝分かれしていた。そうなるとどうしてもイモの1本1本は細くなる。これも自家用ということになった。今日はダメかな、と思いながらしばらく周辺を見て回った。そして新たな場所にかなりの蔓の自然薯を見つけた。自然薯は蔓の太さで、地中のイモの太さがわかるのだ。
時計を見るとなんと1時。遅くなってしまったが改めて掘りに来るのも面倒だ。掘るかな、そう思って掘り始めた。
 この日の収穫ではこの最後の1本が一番の上物だった。しかも、最後の10センチ(多分)ほどを残して折ってしまったがほぼ丸ごと掘ることができた。
 
 先日、「ムーミンの家」に遠足に行った折、Hさんと自然薯の話をしていたから、話よりも実物を見てもらおうと、この日の収穫、最後の1本を土がついたままあげることにした。(土筆通信の一部)
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by tsukushi--juku | 2011-11-27 18:44 | Comments(0)
文化の日
              文化の日

 十一月三日、文化の日だ。文化の日なんだから少しは文化的なことに触れようと、「新日本婦人の会 清瀬さくらんぼ班」の文化祭に出かけた。旧清瀬東高校、現「コミュニティプラザひまわり」が会場だから、自転車で5分とかからない。娘も出演する、妻も出演するというので、義母も含めてわが家総出で出かけた。娘はフラダンスを踊る、妻は朗読で参加というわけだ。
50人ほどのこじんまりした文化祭だったが、顔見知りも多いということもあって至極和やかな楽しい会だった。フラダンスあり、独唱あり、朗読あり、オカリナの演奏あり、コーラスあり、そして参加者全員の「みんなで歌おう」ありで、結構楽しめた。
展示室もあった。ちぎり絵、絵手紙、油絵、水彩画などなど「さくらんぼ班」の日ごろの活動が反映していて、こちらも目を楽しませてくれた。それにしても素人の(一人画家もいたが)作品とはいえなかなかのできで見応えがあった。「芸術家」が結構いるんだと感心もした。お菓子なども用意されていて談笑しながらそれぞれ交流を深めていた。絵手紙を書くコーナーもあって何人もの人が挑戦していた。
人と人とのつながりが希薄になり「隣は何をする人ぞ」といった雰囲気が広がっている昨今、こうした催しはいい。また新日本婦人の会のように、それぞれの地域に根付いて人と人を結びつけながら、それぞれの趣味や特技を生かした活動や、平和を願い、人々の幸せを願ってさまざまな運動も進める、こうした草の根の活動が必要なのだと思う。残念なのは、年配者が中心で若い人の参加が少ないこと。
人は人とつながり合いながら生きて行く。新日本婦人の会と限らず、それぞれの分野で広く深く結びあっていく活動が、今強く求められているのだ。
少し心が豊かになった様な一日になった。

  木の実で遊ぶ

 塾の玄関脇に椿の木が二本あって、実をつける。子どもたちは、毎年その実を使って笛を作る。そして鳴らして遊ぶ。
 秋になると椿のみはカラが割れて中から黒いタネが落ちる。まだ落ちないでカラのついいたままのものもあるが、外側のカラを取り除けば中から黒いタネが取り出せる。このタネの先端をコンクリートでこすって穴を開け、中身を硬い太目の針金か、竹串でほじくり出す。中が空洞になったところで水洗いして、出来上がり。穴の部分を下くちびるに当て、息を吹き下ろすようにして鳴らす。
 たったこれだけのことなのだが、子どもたちはけっこう楽しんでやる。タネをコンクリートでこする時、指先に力を入れるのだが、これがなかなかできなくて、タネに穴をあけることができない子もいる。笛が出来上がってもうまくふけなくて、なかなか鳴らせない子もいる。顔を赤くしてフーフーやっているうちにコツをおぼえて、やっと鳴らせるようになると「鳴った、鳴った」と大喜びだ。
 この笛、椿の実を使うから、私は椿笛と呼んでいる。ギンナンのみでも作れる。これはギンナン笛と呼ぶ。
 身近な物を使って遊びを作り出す。高価な遊具でなくても結構楽しむ事ができるものだ。
(拙著『心を育み心をつむぐ』より)

もうずいぶん前に書いたものだがこの季節になると思いだす。
 今、子どもたちはこうした遊びもしなくなった。我が家の椿の木の枝を落としてから、花も少ししか咲かないし、実もほとんどならない。私が教えないからということもあるが、自然と親しむ子どもが少なくなったということもあるだろう。
 土筆塾では毎年秋の遠足というのをやる。ここ何年かは『ムーミンの家』(あけぼの子どもの森公園)に行っているが。ここでの子どもたちの楽しみの一つが、公園内を流れる沢とも言えないような小流れに木の葉を浮かべて、流れて行く木の葉を追いかけながらの競争を楽しむこと。小さな小さな「滝」に落ちたり、途中の草に引っかかったりでなかなかうまく流れない。それをもとにもどしながら流れて行く葉を追いかける。何のことはない遊びだが、これがなかなか楽しいのだ。終点は公園内の小さな池。そこまでたどり着くのは難しい。私も一緒になって楽しむが、結構夢中になる。
 今年も11月20日を遠足に予定しているが、今年もこの遊びを楽しむことになるだろうか。
 どんな遊びでもいい。自然と触れ合いながらの生活をどこかで作りだしてほしい.(土筆通信NO.1172号の一部)
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by tsukushi--juku | 2011-11-05 17:13 | Comments(0)