土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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心の財産
  心の財産として

 まず初めに、土筆通信の発行が遅れてしまったこと、お許し願いたい。
 さて春休みを利用して物置の整理をした。ダンボールに入れたままの十数年間の手紙や資料類を整理して、できるだけ処分しようと思ったのだ。手紙だけでも膨大な量になる。ダンボールにしても何箱かあるのだ。子どもたちからのもの、卒業生からのもの、親や土筆通信読者からのもの、本を出版するたびに寄せられた感想や、講演に出かけた先からの感想、などなど、知人友人からのものも含めるとその量は、ちょっと数えきれない。物置もこれらの手紙や資料類だけというわけには行かないからおくところもなくなってきた。大工さんに入ってもらって何段か棚はつけたが、それにしてもいい加減整理処分しなければなるまい。そういうことで取りかかったのだ。
 処分するとなると、ついつい手紙を読みながら、ということになる。ところが読んでいるうちに「これは処分できない」「この手紙も残しておかなければ」。どの手紙もどの手紙もみんなそう思えてきたのだ。
 たとえば十数年前の、千葉・館山のお母さんからのもの。「先日は、お手紙、土筆通信、時事通信用に書かれた記事のコピーなどお送りいただきありがとうございました。(中略)私自身も小学5年の女の子と中学一年の女の子がいますが、親として、このごろ「これでいいのか?」と思うことが多々あります。時事通信のコピー記事にも書かれていましたが学校の先生の言葉遣い、態度、館山の田舎でもあります。あまりにもひどい言葉遣い、言葉の暴力、先生とは思えません。「バカ!」という言葉は日常茶飯事使われているようです。「授業が分からない!」という子どもに授業の様子を聞いてみると、黒板に書いてあるものを写すのに精一杯、先生は私たちのほうを見て授業をしてくれない。だから分からないしつまらない」といっていました。私もビックリしました。他の生徒に聞いてみても同じ事を言っていましたのでどうしようもないです。子どもとちゃんと向き合って授業してほしい。先生と子どものキャッチボールができていない。教育って何?って問いたくなってしまう。今、いろんなところで本質を忘れている。もう一度原点に返って考えてほしい。(中略)
 いつもながら先生のお言葉すごいと思っています。私自身を立ち止まらせてくれる。背筋がしゃんとなる。一歩を踏み出させてくれる。心が温かくなる。安心する。土筆塾の子供たちは幸せです。今度是非先生にお会いしたいと思っています。」(後略)
 勿論このお母さんとは会っていない。顔も知らない、だが土筆通信を通して、その後も何回も手紙のやり取りをしたここ数年途絶えているが子供さんはもうずいぶん大きくなっただろう。そんなことを思いながら読み返しているとやっぱり捨てられない。
 土筆通信を自らの子育てと重ね合わせながらお手紙を下さった方も多い。
 たとえばこうだ。
 「我が家の子育ての記録⑧」の6月25日号を読んで涙が出ました。ずっと子育て記録を読ませていただきうらやましく思っています。我が家のお父さんは子どもと遊ぶとかちょっとした世話をするとかが旨くできない人なので、(仕事が忙しいと言うこともありますが)今まで一人でキリキリしながら子育てをしてきました。ちょうど先週ぐらいからなぜこんなに子どものことでイライラするのだろうと、毎日同じことを子どもに注意しながら考えているときでしたので、先生に「子育ての記録」は私にとってかなりショックでした。子どもや夫にこうなってほしいと望むことは、まず、自分から変わらなければ、と思い明日からはもっと優しく言おうとか上手にほめながら片付けさせよう、などと思っていても、夕方忙しいころになるともう怒鳴りだしてしまい、子どもたちが寝て静かになるとむなしくなるのです。(中略)
 これからは少しずつ先生の子育てを見習いながら、もう少し楽に子育てができるようになりたいと思います。
 これは、塾生の親からの手紙だ。

   大学の先生からの手紙もあった。
 月刊『私教育』で土筆塾のことを知り、先生のやられている塾教育に感銘いたしました。今回土筆通信を拝読し、いっそう強い感動を覚えました。『学び創り遊ぶ』はとくに興味深く読ませていただきました。生徒も親もこれだけ先生の教育を評価し、楽しく学習していると言う事態は日本の教育の中では珍しいように思います。本来なら公立の学校でこういう教育が実践されていなければならないはずなのに、小さな私塾少数の教師によって行われていると言うところに日本の教育の大きな問題が存在していると思います。(中略)
 私たちの税金によって実行されている公教育が、管理と処罰と国家への忠誠の構造として成り立っていると言う事実に怒りと悲しさを禁じえません。しかし、黙ってみていたのでは事態はますます悪くなるばかりですから、先生のような少数の方々を支援しそれを横に広げて力をつけて行く、力量を高めていくことが今、必要だろうと思います。私も小さい私立の大学で孤軍奮闘しながら本物の教育を目指して頑張っていこうと思います。教育とは教師自らが成長することによって内容が充実していくという先生のご指摘、まったくその通りだと思います。先生の教育は本当の教育を指向している全国の人々に、大きな力を与えてくださると思われます。(後略)

 次の手紙は私が駆け出しの教師をしていたころの教え子からのものだ。
 8月30日主人が『学び創り遊ぶ』の本を求めてきてくれてその夜、いえ、夜明けまで一気に読んでしまいました。(中略)この本の中に子どもたちの喜びの声が聞こえます。先生の子どもたちへの願いの声が聞こえます。「もう一つの家庭であり、もう一つの学校だった」と言うかつての塾生が居て、先生の思いのこもった通信を「宝」だと言う親がいる。こんな素敵なつながりができるなんて、こんなに人に信頼されるなんて……。でもどんなにか大変な積み重ねのお仕事だったろうかと思います。先生の信念が、人間らしく生きてほしいという思いが先生を相させるのでしょうか。人間らしく、昔から口癖のように言ってらした、やはり土筆塾は土屋先生でなければできえなかった土屋塾です。
 4月半ば、毎日新聞に「ユニークなミニ塾」として紹介されていて先生の近況を知り、懐かしくて……。(中略)25年前、学生だった私たちにひたすら生きていることに意味深さを説き、真実を見つめる目を持とうとこり返し繰り返し話してくださった(中略)先生は昔からの土屋先生だったと安心したり……。学校と塾伝達の場は変わったけれど、先生の中にあるものは子どもたちを通して生き続けていくのですね。
 人間は本来美しく豊かに生きることを愛します
そしてそれを主張する権利があるのです
意欲を持ってください
意志を持ってください
無気力にならないように。
 これは卒業のときに書いてくださった言葉です。先生はこのときのままですね。(後略)

 これ以上は書かない。北海道から、富山から、青森から、岡山から、岐阜から、四国からと、手紙は全国にまたがっている。勿論ほとんどの方は顔も知らない、会ったこともない。でも手紙にはその時々の思い、その時々の心が込められていて、読み返せば読み返すほど私の心に響いてくる。とても処分できるものではない。こんなにも多くの人たちの心に支えられ、励まされ、こんなにも多くの人たちと「心の交流」を持っていたのだ。これは単なる「手紙」ではない。心の財産なのだ。
 結局取り掛かった手紙の整理・処分だったが一通も捨てることができなかった。手紙は新しいダンボールの箱に入れ替えただけで、新しくできた棚の上に収まった。(土筆通信1154号の一部)
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by tsukushi--juku | 2011-04-18 20:07 | Comments(0)