土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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気になることーやっぱり書いてしまった

               気になること―夏休みなのに、
                      やっぱり書いてしまった。

 以前から気になっていたが、なんとなく見逃してきた。新聞(わたしの場合は朝日新聞)の二面、下段の隅のほうに「首相の動静」という欄がある。そこに記録されている小さい小さい記事だ。少し大きめのベタ記事になることもあるが三,四行というときもある。ためしにここ五日間の記事を切り抜いてみた。
 7月24日。午後1時29分東京虎ノ門のホテルオークラ。伸子夫人同行。日本料理店「山里」で鳩山首相婦人と昼食。6時55分、東京赤坂の中国料理店「楼外楼飯店」。報道各社の政治部長と懇談。福山官房副長官、寺田補佐官同席。
 7月26日。菅首相は25日夜、東京都内のホテルにある日本料理店で国民新党の亀井静香代表と約2時間半に渡り会食した。……仙谷由人官房長、民主党枝の幸男、国民新党の下地幹郎の量幹事長が同席した。
 7月27日。東京紀尾井町のホテルニューオオタニガーデンコートの日本料理店「千羽鶴」。稲盛和夫内閣特別顧問と懇談。仙谷長官、古川、福山両副長官同席。
7月28日。東京・紀尾井町のホテルニューオオタニ。中華料理店「TaikanEn」で枝野幹事長,樽床国対委員長ら民主党役員と懇談会。

 25日を除いてほぼ毎日、一日二回という日もある。ホテルや料亭での会食や懇談が続く。すべて一流どころだから大変な金がかかっているだろう。外国のお客さんを招いての会食や懇談ではない。身内や身内同然の連立を組んでいる政党の代表との会食や懇談だ。会談の場所、懇談の場所は民主党の会館であろうが議員会館であろうがいくらでもあるはずだ。高い金を払ってホテルや料亭を使う必要がどこにあるのだろう。個人の金であればとやかく言う必要はないが、このお金、決して個人のポケットマネーではないだろう。
 間違いなく民主党の「政治活動費」ということだ。民主党の政治活動費の80数パーセ
「政党助成金」だ。政党助成金、つまり国民の税金ということになる。

 政党助成金……1994年の「政治改革」関連法で、小選挙区制とセットで導入され、95年から実施2009年度まで15年間の支給額は4719億円に上る。1月1日現在の所属国会議員数と直近の総選挙、参議院選挙の得票率を元に当初額が決まり,年4回(4,7,10,12月)に分けて支給される。

 政党助成金の原資は、国民一人当たり250円の税金だ。
7月21日の新聞は、総務省が2010年度の政党助成金第2回分を民主、自民、公明、
社民、国民新、みんなの党新党改革、新党日本の8党に2回目の支給したことを報じている。2回目だけで総額79億8500万円。8党で山分けというわけだ。日本共産党だけはこの法律が憲法に違反するとして受け取りを拒否、法律の廃止を要求している。

            2010年分の政党助成金の配分額は次の表の通り。

     2010年分の政党助成金の配分額
    すでに受け取った額   今年度内に受け取る予定額
      (4月・7月)     (10月・12月)
民主党  86億5000万円   84億4500万円
自民党  51億8800万円   50億7500万円
公明党  11億9400万円   11億4700万円
社民党   4億3200万円    3億9900万円
みんなの党 1億8000万円   4億9500万円
国民新党  1億9800万円    1億9800万円
新党改革    6000万円      5900万円
新党日本    6800万円      6700万円
立ち上がれ日本   ―         8100万円
合計  159億7000万円  159億6600万円
*新党改革がすでに受け取った額のうち、4月分は改革クラブのもの。
*今年度内に受け取る各党の予定額は7月の参院選結果を受けて再算定される年配分額の残額

 総額は319億3600万円。こうした多額の金が各党の「政治活動費」となっているわけで、この金は一体何に使われているのか、明らかにされない。支持している政党と限らず支持もしない政党の活動費をわたしたちはせっせと払っているということになるわけだ。
 政党助成金となって支給されるわたしたちの税金が、先のホテルや料亭での費用として使われているとしたら……腹立たしく思うのはわたしだけだろうか。これこそ「仕分け」対象とすべき無駄遣いと思うのだがどうだろう。
 企業から献金をもらい、パーティ券も購入してもらい、さらに政党助成金を手にする。こんなことが公然とまかり通り、マスコミもここにはあまり触れようとしない。というのは少々差しさわりがある。どうやらいくつかの地方新聞が、社説や、市民からの投書で問題にしているところもあるようだ。たとえば「岩手日報」は社説で「国会のムダ削減を言うならば、企業団体の献金に頼らないために作った政党助成金をなくしたほうがよっぽどすっきりする。」と書いているらしい。また東京新聞は7月8日付け社説で「歳費などに加えて政党助成金も『仕分け』対象にしてはどうか。共産党以外の政党が『山分け』しており、国会議員が身を削るなら、この方がより実質的な意味がある」と書いているようだ。
 ホテルや料亭通いは、自民・公明政権当時から当たり前のように行われてきた。「政権交代」を掲げて大見得きって登場した民主党政権が、やっぱり同じ道を当たり前のように歩いている。そして、こんな2大政党を担ぎ上げ応援しているマスコミ諸氏は、「公正中立」などと威張る資格はあるまい。恥ずかしくないのだろうか?
 
 気になること、わたしのつぶやきとして書き留めておく。(土筆通信NO1129号の一部)
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by tsukushi--juku | 2010-07-30 19:23
土筆通信から

 Mさんがこんな作文を書いた。
  最後まで共に
                       高3 M・H

 先日、母が知人から本を借りてきた。シンプルな表紙のついた厚みのある本だ。この本は近所に住む知人の女性が書いたもので、彼女の思いのたけを切切と綴った手記だ。なんとなく興味を持った私は、母が読み終わったあと、その本を貸してもらうことにした。
 その手記には日常の些細な変化や出来事に目を留めて、季節がゆっくりと移り変わっていく様が書き記されていた。詩的な趣のある短い文章でまとめられていて、とても読みやすい。すんなりと文章が心の中へ入ってくる。だが、それが逆に辛かった。この手記は、ただ単に四季の移ろいを綴ったものではない。彼女は昨年の春に夫を病で亡くしているのだ。四季の変化を見つめながらなき夫を思う気持ちが、文章を通して痛いほど伝わってくる。読んでいて何度も胸が詰まりそうになった。
 毎日、きちんと夫の遺影の前で手を合わせ、線香に火を灯す。そして、出しても一口も食べられることのない一人分の食事を供え続けているという。
 お盆の時には迎え火を焚いたそうだ。その後に「送り火は焚かなかった」と書いてあったのは、できることならお盆の間だけでなく、ずっとそばにいてほしいと思ったからだろうか。
 一文一文に、なき夫への想いが込められている。それを読んでいて何度も思ったのは「愛されていたんだな」ということ。文章の中に「ルビー婚式を迎えた」とあったので、半世紀近く連れ添ったことになる。それだけ長い年月を二人で過ごしても、結婚したての頃と変わらず愛情を持ち続けられているのはすごいことだ。
 いつだったか「熟年離婚が流行している」とメディアで取り上げられていた。家族内の殺人事件や虐待、暴力などが絶えないと聞く。なんとも悲しい世の中になったものだ。暗いニュースばかりが続いているが、それでもこうして幸福の内で生きているものもいる。
 大切な人生の伴侶を失ったことは耐え難い不幸であったに違いないが、それでも私はこの手記を書いた彼女が本当の意味で不幸に陥ったようには思えないのだ。どんなに辛くても、悲しくても、死んでしまった人は戻って来ない。それをしっかりと受け止めて、少しずつでも前へ歩んで行こうとする。これができるのは幸せだ。時々、なきたくなる日もあるそうだが、それも含めて幸せなのではないか。涙が溢れるほどに愛されていた彼女のご主人もきっと幸せだったに違いない。
 世の中、悪いことばかりと嘆かれるがこんなにも温かな夫婦もいる。すべてがすべて悪いことばかりではないのだ。こういった素敵な夫婦や家族が世の中に増えてくれたなら、明るいニュースも聞けるようになるかもしれない。


Mちゃんが書いている「彼女」、私も良く知っている。地域のいろいろな集まりで顔をあわせる。今年も4月、地域の人たちで催した『お花見の集い』でご一緒だった。花見の宴が盛り上がったころオカリナを吹いてくれた。Mさんが読んだこの本、我が家もいただいているが私はまだチラリとしか読んでいない。仮に読んでいたとしても麦倉さんのような文章は書けなかっただろう。それほど私の感性は磨耗しているといえるかもしれない。
 この本の中に『終戦の日』という文章がある。ちょっと紹介してみたい。

 南方のペリルー島で砕け散った勇さん/国鉄マン、車掌さんだった22歳/真珠湾攻撃の後長男をさずかり幸せの絶頂にいた長男幸男さん/貧乏な百姓の子だったが勉強はトップ自慢の息子/パイロットになり出撃 インド洋上にて戦死/幼い長男も後を追うように逝った/悲しい歴史の連続/九ヶ月の私も防空壕で泣いていた。祖母の母の父の悲しみは亡くなっても消えることはない/過去は忘れてはいけない/平和への祈りと行動改めて胸に刻む/繰り返しません過ちは 全世界に向けて!(中略)平和憲法を守ることは生きている人の義務かもしれない
 
 それぞれの人にはみなそれぞれの歩みがあり歴史がある。それはどの書物にもかかれない名もない庶民の確かな歴史だ。『自分史』などという大げさなものでなくてもいい。自分の生きてきた足跡を刻んで、後の世に残していく。それは大切なことだと思う。そうした文章力が育つことを願って土筆の作文・文章教室を続けて行きたい。
(土筆通信NO1127号の一部)
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by tsukushi--juku | 2010-07-26 19:18 | Comments(0)
近藤喜文さんのこと
 アニメ映画『耳をすませば』監督
近藤喜文さんのことなど

 7月9日テレビで、アニメ映画『耳をすませば』が上映される。何度もテレビで上映されたし、映画館でも上映されたから観た人も多いだろう。塾生の中にも、今もそしてかつてもフアンは多かった。
ところで『耳をすませば』の監督、近藤喜文さんと土筆塾とのつながりについては知らない人も多いだろう。この機会に少し書いてみたい。1998年1月22日の土筆通信NO532号に、近藤さんの訃報を伝える短い記事を載せている。まずそれを書き留めておく。

哀しいできごと

 土筆塾の卒業生の父親であり、よき仲間でもあった近藤喜文さんが亡くなった。
誠実な人であった。地域の運動にも熱心に取り組み、グリーンタウン(土筆塾の近くの大きな団地)にバス路線を引くことや、グリーンタウン夏祭りの企画や運営に取り組んでもくれた。惜しい人を亡くした。残念でならない。
当時の新聞は次のような死亡記事を掲載しています。

近藤喜文氏(こんどうよしふみ/アニメーション映画監督)21日午前4時25分、解離性大動脈瘤(りゆう)のため、都内の病院で死去。47歳。つやは22日午後6時から、告別式は23日午後1時から、いずれも東京都清瀬市中清戸1の524の1全龍寺で。喪主は妻浩子さん。自宅は清瀬市中清戸5の72の4の204.
新潟県出身。68年アニメのプロダクションに入社し、『巨人の星』「ど根性ガエル」をはじめ多くのテレビアニメの原画を描き、『赤毛のアン』『名探偵ホームズ』などのキャラクターデザイン、作画監督を担当。フリーを経てスタジオジブリに移り、高畑勲監督の『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』や、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』ほかの作品で作画監督などを務めました。95年、生き方にゆれる思春期の少女をきめ細かく描く『耳をすませば』で初監督。
1976年、日本共産党に入党。居住地の住民運動にも尽力しました。
(土筆通信NO532)

それだけでなく近藤さんとはいろいろな地域の活動で一緒だった。当時はグリーンタウンにはまだバスが通っていなかった。グリーンタウンに「バスを通そう」。地域でそうした運動を起こした人たちとともに熱心に運動を進めたことや、グリーンタウンの夏祭りで企画や運営に加わってもいた。私は『子どもの遊びコーナー』を引き受けて、ともに活動もしたものだ。我が家で開かれるいろいろな会議でもいつも一緒だった。物静かな誠実な人だったことも忘れられない。
近藤さんが描いた「ふとふり返えると」のスケッチ集、夏祭りのひとコマに、当時土筆塾に通っていた卒業生Kちゃんが登場したりもした。
近藤喜文さんがなくなってからも、現在に至るまで、奥さんはしょっちゅう行き来していて、家族ぐるみ我が家とは親しい間柄だ。我が家には「トトロ」などのぬいぐるみ、ジブリカレンダーを含めて「ジブリのグッズ」がたくさんある。いずれも奥さんからいただいたもので、近藤喜文さんの思い出が今も息づいている。
『耳をすませば』のテレビ上映に合わせて、近藤喜文さんのことを思い出し、奥さんに何か書いてくれないだろうかとお願いした。奥さんは快く引き受けてくれて次の原稿を届けてくれた。
 大人への扉を開けようとしている子どもたちへ

                             近藤浩子

 月島雫と天沢聖司が主人公の『耳をすませば』が公開されてから、かなり時間が経ちました。子供から大人へと成長する人生の通過点に立って、多くの子供たちは、初めて、戸惑ったり、悩んだり、自分の心に向き合ったことと思います。
 我が家の息子もちょうどその年頃でしたから、わが子を含め、その友達たちの様子もいとおしく見守っていました。
 ジブリの宮崎駿さんが、脚本と絵コンテを提供してくださり、喜文に監督の機会が生まれたのです。そして、度々テレビで放映されることもあって、作品のファンだといってくださる方がふえました。
 アニメーションは総合芸術といわれます。喜文の初監督を支えてくださったジブリのスタッフの力で、作品は完成しました。
 自分の進路を探り始めた雫と聖司のように、年齢は関係なく、失敗を恐れずに、自分の「心」を励まし、大人への扉を開けてください。

 PS ・作品の感想をいただいた中に、大人は勿論、ずい分堅いと思われる職業の方もいてちょっとびっくりしました。
 喜文に、「次の作品も観せて欲かった」と言いたい。繰言ですが、悔しい限りです。





 どういうわけか土筆塾とアニメ関係者とのつながりは強い。近藤喜文さんだけではない。アニメ映画『うしろの正面だーれ』『えっちゃんの戦争』『アンジェラスの鐘』など多くのアニメ映画を監督した虫プロダクションの、有原誠治さんの2人の子どもは小学3・4年から中学卒業まで土筆で育った卒業生だ。二人とも武蔵野美術大学に進み、兄貴は大学院を卒業後、アトリエを構えて本格的に画家の道に進んだ。働きながら描き続けているようだ。監督本人もわたしは親しい仲間で、ことあるごとに行動をともにしている。アニメ映画『とべないホタル』の原画を描いているKさんの息子・娘も土筆塾の卒業生で、兄貴のT君は今年の初め遊びに来てくれた。
先の近藤さんの『ふとふり返えると』に登場したKちゃんは、現在武蔵野美術大学に通っているが、今年の年賀状で次のような絵を送ってきた。プロを目指していくのだろう。
            (絵 省略)
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by tsukushi--juku | 2010-07-07 20:57