土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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政治へのひとこと
  政治への一言

 通信記事の穴埋めというわけではないが、またまた紙面は少なくなってしまった。少しだけ書く。自公政権が崩壊し、代わって登場した鳩山連立政権に、多くの人が期待した。だが期待は早くも外れて、マニフェストとやらは次々後退、たとえば後期高齢者医療廃止は見送られるなど、もろもろの政策が後退に次ぐ後退。普天間基地移設問題にいたっては『瀕死の状態』といったところ。鳩山政権の支持率は急落。といって、自公政権に戻ることなどとてもできない、彼らは賞味期限の切れた食料品といったところだ。
 こうした政治状況の下では次々と目先をかえ、古ぼけた看板を塗り替えて「われこそは国民の代表」とばかり新党なるものが名乗りを上げる。『雨後のたけのこ』とはよく言ったものだ。
 ところで『国民の声の受け皿』として「みんなの党」というのが、世論調査で支持率を上げているらしい。この党、そんなに期待できるのか?政策を見ると、なんと『日米同盟を基軸』『米軍再編への協力』『小泉構造改革のいっそうの推進』『国家公務員10万人削減』など。おまけに憲法改悪を指向、と来ている。参議院候補者の顔ぶれを見ると、前自民党関係者や、小泉改革推進者が名前を連ねている。政策の中身は自公政権と『同じ穴の狢』といったところではないか。そのほかの『雨後のたけのこ』党は押して知るべし。
 日米同盟機軸とか、大企業にものが言えないとか、日本の将来をそこにしがみついて考えるしか思い当たらない面々に、国民の未来を託すなどということはできっこないのだ。国民よ、目を覚まそう。私はそんなことを思っている。(土筆通信1117号の一部)
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by tsukushi--juku | 2010-04-22 21:58
誕生日を前にして
誕生日を前にして
M・Hさんが次のような作文を書いた。読みながらそれぞれの誕生日をあれこれ思った。思いつくままに書いて今回の土筆通信とする。

 十八歳の誕生日
                      高三 H子

 先日、私はめでたく十八歳の誕生日を迎えた。十八歳というと、子供から大人へと切り替わる年頃だと思う。何かが大きく変わったわけではないが少し気の持ち方が変わり、以前より落ち着きが出てきた気がする。
 大切な十八歳の誕生日を、私は家族と過ごした。家族三人で花見をしに国立まで行って来た。国立の駅を出ると遠くまで続く桜並木が目に飛び込んできた。丁度満開で見ごろな桜はとても美しい。やさしい淡い色の桜は、私が一番好きな花だ。とてもいい季節に生まれたものだ。桜を見るたびに私はそう思う。
 さて、国立に来たのは桜のためだけではない。実は、ある人に会いに来たのが一番の目的だ。その人はきれいなアクセサリーを作るのが大好きで、今回は国立で個人展覧会を開くことになったのだ。初めての個展ということで数日前にそれを知らせる葉書を送ってくれた。私は何年か前にその人にアクセサリーを作ってもらっていた。小さなチャームがいくつか付けられたブレスレットだ。それを身に付けて会いに行った。実はその人に会ったことがなかったので、会うのはその日が初めてだ。何年か前に作ってもらったブレスレットだけが、私とその人を結んでいる。少し緊張しながら私は個展が開かれている店へと入った。
 店の中にはたくさんの小さなアクセサリーが並べられていた。どれも個性的で、面白いデザインをしている。そんな小物並べられたカウンターの奥に一人の女性がいた。彼女は私たち家族が入ってきたのを見るとすぐにカウンターの奥から出てきて挨拶をしてくれた。私たちも一通り挨拶をして、名乗ると彼女はとても驚いた。私が身に付けてきたブレスレットを見せるとさらに驚いて、それからとても嬉しそうに笑った。
 まさか何年も前に作ったブレスレットを身に着けてくるとは思っていなかったのだろう。このブレスレットは私のお気に入りで、大切な用事がある日や、遊びに出かけるときなどによく付けている。そのことを話すと彼女は何度もありがとう、ありがとうと言った。その様子からするとこのブレスレットには深い思い入れがあるようだ。話を聞いてわかったのだがなんと、このブレスレットが彼女の初仕事だったらしい。それだからよく覚えていると言っていた。それを私が身に付けている。そして何年も時が経ち、私の誕生日に初めて顔を会わせることになったのだ。これはすごい偶然だ。何かの縁を感じずにはいられない。
 せっかくの誕生日なので、プレゼントを買ってもらうことになった。鍵と四葉のクローバーのチャームにピンクのアメジストの石を付けたネックレス。これはとても良い記念になるだろう。即私はそれを身に付けた。すると彼女が誕生日記念にとカメラで写真を撮ってくれた。私が真ん中で左右には両親が立つ。家族写真なんて何年ぶりだろう。久しぶりに撮ってもらう写真は少し照れくさい。でも、きっとこれも良い思い出になるだろうと思う。
誕生日をこんなに楽しく過ごしたのはいつ以来だろうか。私の心の中にまたひとつ大切な思い出が増えた。この十八歳の誕生日を、私はずっと忘れないだろう。

私の誕生日のことなど
Hちゃん、誕生日おめでとう。私もまもなく誕生日だ。そういえば四月誕生日を迎えた子供たちのことを思い出した。中三のK君もそうだった。私のかわいいガールフレンド五歳になったSちゃんも、去年の夏、不幸にも交通事故で命を奪われたAちゃんもやはり誕生日を迎えた。私と一日違いで私の妻も誕生日を迎える。みんなまとめておめでとう、おめでとう。
さて私の誕生日は四日後。悪名高き「後期高齢者」二年目、七十六歳になる。先日なくなった偉大な作家井上ひさしさんと同年齢。日本が太平洋戦争に突入し、国のため、天皇のための民を育てる教育として「国民学校」に改変された、昭和十六年小学校一年生だった「国民学校の会」の同年齢だ。どんなにがんばっても二十年も生きられそうもない歳になった。
残念なことだが、子どものころの私には思い出に残るような誕生日はないといっていい。子どものころはもちろん、青春時代も含めて、誕生日を祝ってもらうことなどなかった。時代ということもあったろう、家がひどく貧しく、誕生日を祝うなどという習慣がなかったということもあったろう。とにかく記憶の中にまったくないのだ。
いつごろ書いたのか定かではないが、多分二十代の後半ころだろうと思う。私の書きなぐったノートの中にこんな詩がある。母親から聞いた私の誕生にまつわる話をもとにして書いた詩だ。

    誕生

おふくろの胎内で成長した僕は早く光が見たくって
ある日突然激しく生温かい壁に体当たりした
畑の草取りをしていたおふくろはその激しさに顔をゆがめて
引き抜いた草を握ったまま物置に飛び込んだ

産まれ出ようとするものと
産みだそうとするものの
苦痛にゆがんだたたかい
産婆の手にかからず僕は産声を上げた

七十六年が経つ。人生を振り返る年齢になったことは間違いない。心身ともに健康のつもりではいるが、それにしてももう先が見えてきた。
先に「子どものころはもちろん青春時代も含めて」誕生日を祝ってもらった記憶はないと書いた。だが、祝ってもらったというのではないが誕生日にまつわる鮮明な記憶がひとつだけある。それは二十歳の誕生日だ。「成人式」などというものではない。私の内に起こった大きな変化、決意といってもいい。二十歳の誕生日を迎えたとき、私はひとつの重大な決意をした。それは私の人生を「弱いものの立場、貧しいものの立場、労働者(勤労者)農民、漁民など、民衆の立場に立って、その人たちのために役に立つ人間として生きよう」ということだった。「若さ」ということもあったかもしれないが、とにかくそれから五十六年間、私はこの一筋の道を歩き続けてきた。そしてこれは私の心のなかにある、ひそかな誇りになっている。
不勉強で、たいした知識も力量もなかったから、何ほどのこともできなかったろう。他人に向かって声高に言えるほどのことは何一つない。
四月十九日。それが私の誕生日だ。私は二〇〇七年に書いた小冊子『私の少年期と青春の断面、そして家族のこと』のあとがきに、次のように書いた。
「サムエル・ウルマンの『青春』という詩の第一連にこんな詩句がある。
  青春とは人生のある時期ではなく/心の持ち方をいう。/バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく/たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱を指す。/青春とは人生の深い泉の清新さをいう。」
この思いは今も変わらない、できることなら、この思いを貫いて残る人生を生きたいと思う。
七十六歳を迎える今、改めて心に刻んで私の誕生日祝いとしよう。

政治にひと言

普天間基地移設の先が見えてきた

 書けば長くなるから多くは書かない。鳩山連立政権の、普天間基地移設にかかわる結論が見えてきた。県内たらい回しと、一部を徳之島に移設しようというのがどうやら鳩山政権の目指す方向のようだ。今、沖縄でも本土でも徳之島でもこうした鳩山連立政権の行き着く先に、激しい怒りが湧き起こっている。四月後半、沖縄では全島ぐるみの普天間基地県内移設反対の集会があるという。十四日には沖縄に連帯して『基地撤去』の中央集会というのが日比谷公園で開かれた。5〇〇〇人を超える集会だったという。土筆通信1115号で、Oさんが「団塊世代の人たち」という作文を書いた中に「日本でデモが起こるなんて今では想像もつかないことだ。……今の学生は政治に興味も関心もない人がほとんどだ」と書いていたが、まだまだ不十分とはいえ、沖縄普天間基地移設を巡って大きな集会やデモが盛り上がり始めていることは確かだ。
 普天間は海兵隊の基地。海兵隊は『抑止力』として必要だという詭弁の上に政府もマスコミも立っているが海兵隊は決して『抑止力』ではない。アメリカさえ、沖縄の海兵隊は『世界的な役割を果たす戦力投射部隊』といい、『日本防衛の任務を持たない』と言明しているのだ。事実、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、最近のアフガン戦争などアメリカが引き起こす世界各地での戦争の、『殴りこみ』部隊としてその威力を誇ってきたではないか。
 基地撤去以外にないのだ。どこにたらい回ししようと反対運動は広がり、解決の道はない。(土筆通信の一部)
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by tsukushi--juku | 2010-04-16 19:12 | Comments(0)
普天間基地,たらいまわしに反対する
   団塊世代の人達
                          (中2   H・O )

 この前行われた卒業式で、卒業生は『ケセラ』という歌を歌った。この歌はアカペラの短い曲だ。だが、その中にいろいろなメッセージがあるように思った。
 私はこの曲のことを母に話した。すると母は「へぇ、ずいぶん古い曲を歌うんだねぇ」と言った。合唱曲に古いも新しいもあるのか、と思ったが「そうなの」と聞き返してみた。
 ここから母の記憶だが……なんでも今から50年ほど前、団塊世代の人達が大学生だった頃、この歌が良く歌われていたみたいだ。この頃いわゆる『安保』反対という相当大きなデモ活動が行われていたらしい。それにつながる詩もあるということで母が勝手にこの頃作られた曲なのでは……と思っていたようなのだ。
 『ケセラ』がいつ作られたかは知らない。だが私は「デモを行った」ということにビックリした。「日本でデモが起こるなんて」……今では想像もつかないようなことだ。そして今の学生は政治に興味も関心もない人がほとんどだ。だが、当時の人達は政治に関心があったようだ。そんなところに驚いたのだ。
 私は正直、当時の学生たちの考えが正しかったと思う。少し前テレビのニュースや、新聞でよく取り上げられていたアメリカの基地問題。アメリカの基地がなぜ日本にあるのか、いつも疑問に思っていた。どうやらその安保条約を結んだためらしいのだ。「日本にアメリカの基地など要らない」そう思うからこそ当時の人達―団塊世代の人達の意見に私は賛成だ。
 そもそも、日本は『戦争をしない』と決めたはずだ。なのに、何故他国の戦争の手助けをするんだろう。それも疑問に思えてならない。
 私は母の話を聞いて思った。「団塊世代の人達はすごかった」と。政治のことにも目を向け間違っていると思ったことを「間違っている」とちゃんといえる、それを直そうと行動することができる。今まで『団塊の人達ってでしゃばり』と思っていた自分が恥ずかしい。この人達を見習い私も人に流されず、きちんと自分の意見がいえるような人になりたい。

 H.Oさんの作文と私の青春の断面
右の大野遥子さんの作文を読んで私はあれこれ考えた。安保闘争の時代は私の青春そのものでもあったからだ。わたしは2年ほど前『私の少年時代と青春の断面、そして家族のこと』という小冊子を発行した。その中で1960年の安保闘争・激動の時代を当時の日記をそのまま引用して書いた。そのいくらかを再録してみたい。
一九六〇年・激動の時代―安保闘争
私の教師時代は、日本の歴史上、激動の時代であった。『日米安全保障条約』改定をめぐって、いわゆる安保闘争が全国で野火のように燃え広がり、国会周辺は連日連夜、国民的大デモの渦中にあった。



6月19日の日記
6月19日、午前1時40分だ。つい、1時間40分前、屈辱的安保条約は「自然成立」した。怒りと憎しみを込めて見つめるテレビの画面に今、数万の学生、労働者が映し出されている。ふつふつと沸き立つ怒りを胸に秘めて、整然と戦う労働者、そして学生たちよ、暗く冷え切ったコンクリートの上に新聞紙を敷き詰めて戦う労働者、学生たちよ、たとえ安保が自然成立したとしても、おとろえることのない炎のような瞳よ、ぼくは今、あなたたちの中に混じることの出来ない苛立ちを抑えて、画面に映し出されるあなたたちを食い入るように見つめている。どうして眠ることなどできよう。屈辱の条約は胸の中に焼き付けられている。この日、このときをどうして忘れることが出来よう。……。[中略]
  6月22日の日記
怒りは国民各層に及んでいる。労働者、学生、大学教職員、文化人、芸能人、中小の商店主など、岸内閣追撃の、労働者600万を中心としたゼネスト。その規模は最高でありストへの支持は国民戦線的な規模に発展している。……。
 安保闘争は、日増しに激しさを増していった。もう、ためらっていることは許されなかった。
眠れない夜だ。午前3時。布団に入ってから、二時間が過ぎた。何だってこう眠れないのだ。「六月十九日、午前零時、安保条約はついに自然成立しました。その瞬間、国会周辺をとりまいた空前のデモ隊は、緊迫した空気に包まれました。」
 冷ややかな声だ。/テレビに映し出された無数の顔、顔/引き締まった唇 瞳は怒りの野火だ/ぼくはぼくの怒りをあなたたちに重ねる/その場にいかれないのが残念だ
岸内閣を打倒せよ、国会は即時解散せよ
津波のように押し寄せる/テレビの画面を飛び出してぼくの耳を打つ
暗い夜だ、屈辱の日だ
何だってこう眠れないのだ/くもの巣にかかった蝶のように/ばたばたとただ寝返りを繰り返すだけではないか
樺さんぼくはあなたを知らない/だが、あなたの死をぼくは永遠に記憶するだろう
 多くの仲間の血が流された/一九六〇年六月十五日の日を/人間であることを放棄したものども/人間であるがためにこぶしを突き上げて隊伍を組んだその日から/流され続けた幾多の血の尊さを/ぼくは知っている/右翼と称する雇われの屠殺人どもが棍棒を振るって襲いかかり/引き裂かれた悲鳴が逃げ惑うとき/武装した警官の壁はただ傍観していたのだ/われわれの管轄ではないと、冷ややかにうそぶいて/生きることを否定されたあなたたちが生きるために戦ったとて//どうしてそれが「暴徒」でありえよう/盾を手に棍棒を振りかざしておどりかかったやつらこそ/暴徒でなくてなんだというのか/樺さん、あなたは殺されました/あなたたちを「暴徒」とののしったやつらの泥靴にふみにじられて
眠れない夜だ。午前3時
夜明けはまだか 夜明けはまだか
一九六〇年五月二十日午前零時六分、衆議院で強行採決された「新安保条約」は、参議院で審議、採決されることなく、一ヵ月後の六月十九日午前零時「自然成立」という形で成立した。
 この間の一ヵ月は、連日、デモ隊の波が国会に押し寄せた。とりわけ自然成立した日もそうだが、その四日前の六月十五日のデモ隊は大規模なものだった。この日のデモ隊は、右翼や警官と激しく衝突、このなかで、当時東大生であった樺美智子さんが殺された。右の詩はこうした一連の動きを歌ったものだ。
 
  声明文

国会内外で、長い間大きな問題を巻き起こしていた、新安保条約が五月二十日午前零時六分、岸自民党内閣によって、強引に可決された。それは、社会党、民社党、共産党の各議員を、警官を導入して実力で締め出し、さらに自民党内の反対意見さえ無視し多数国民の意思を踏みにじった暴挙以外のなにものでもない。
すでに知られているように安保条約は、労働者、農民、市民、学者、文化人など、多数の国民によって反対されてきたものでありその声は2000万に及ぶ署名となって全国に広がっている。
たとえどのような理由をつけようと、この国民の意志を踏みにじった今回の暴挙は、民主主義を無視した行為と断じざるを得ない。もしこのような暴挙が是認されるなら、民主主義は重大な危機にさらされるだろう。
我々は怒りを込めて抗議し、新安保条約の成立に反対する。
我々は、岸内閣が直ちに国会を解散して、民意を問うことを強く要求し、ここに声明する。 OO高校・中学校  教職員有志

この声明文は神戸市内の私立高校教職員宛に発送され、やがて神戸私立教職員組合協議会結成につながった。(後略)

普天間基地たらい回しに反対する

沖縄普天間基地をめぐる問題は、根底に安保条約が横たわっている。戦後何十年にわたって日本に基地をおき、沖縄を初め多大の犠牲を押し付けてきた米軍基地は、今沖縄全島を挙げての「普天間基地たらい回しに反対する運動」として燃え上がっている。4月には全島を挙げての運動に、さらに大きく広がっていくだろう。
「アメリカのおかげ(安保条約)で日本は守られている」などという『抑止論』のまやかしを見抜いて、国民の運動がかつての安保闘争のように大きく燃え上がってほしい、私はそう思っている。それが次代を担う子ども達への大人の責任ではないだろうか。
(土筆通信NO1115号の一部)
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by tsukushi--juku | 2010-04-03 16:34 | Comments(0)