土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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人に喜んでもらえる幸せ
 人に喜んでもらえる事の幸せ

4年生のT君がこんな作文を書いた。

   つくし

 僕はつくしに入って2年ぐらいたちました。先生に作ってもらった道具は、木刀、弓矢、パチンコ、えのみでっぽうなどです。僕は先生に遊び道具をいっぱい作ってもらいました。
 その中でお気に入りは木刀です。これからも道具をつくってほしいです。

 T君だけではない。土筆にきている子は何らかの遊び道具を常にカバンに入れて持ち歩いている。女の子はビニールで編んだミニゾウリをカバンにぶら下げている子もいる。
 子どもが、木刀がほしいといえば林を回って木刀になるような木の枝を探してくる。えのみでっぽうがほしいといえばこれまた林を回ってシノダケを採ってくる.誕生日だよ、という子には、何か手作りのものを用意する。ベーゴマも、そのヒモも、何人もの子ども達に上げてしまった。塾用の在庫少なくなるとベーゴマを買いに出かけたりもする。
 子ども達が喜んでくれると私もうれしくなるのだ。「ああ、おれって何て単純な男なんだろう」と思ったりもする。物だけではない。子どもに喜んでもらえるような事に自然と体が動くのだ。これは子どもの機嫌をとろうとしているわけでも、子どもに追随しているわけでもない、ごく自然にそうなってしまうのだ。これがわたしの生き方なんだ、そんなふうに思う。
 子どもに対してだけではない。大人に対しても、私とかかわりを持っている全ての人に対しても思いは同じだ。大人に対しては物を上げるわけでも、何かをしてあげているわけでもないが、(大人のほうでは子どものように近づいてはこないが)私の生き方の中には、いつでも、喜んでもらえるように、役立たせてもらえるように、できることをしたいという思いはあるのだ。
 これは私の身体に染み付いた、私自身の生き方そのものだ、そんな気がする。これはまた今に始まったことではない。少なくとも20代のころから、つまり私が曲がりなりにも自らの思想と生き方に確信を持ち始めた頃から、今に連なる一筋の道を歩き続けてきた、いわば全生涯を通しての思いだといってもいい。
 「おれって単純だよな」と改めて思う。世のため人のためになどと大きなことは言いたくない。ただ人の役に立つ、人に喜んでもらえる、そんな生き方が私にはふさわしく、わたしの生きがいそのものなのだと思のだ。
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by tsukushi--juku | 2009-10-26 19:04 | Comments(0)
なつかしい手紙
   大工になったZ君からの手紙

 先生、こっちは元気でやっているよ。手紙もらったの、大分前だけど、なかなか忙しくて遅くなってしまいました。すみません。この間の選挙は共産党にしといたよ、ばっちり。太鼓はかなり順調。イベントでも時々メインをたたかせてもらったりして、楽しいよ。本業の大工のほうも順調。自分で言うのもおかしいけど、かなり腕は上がってきているよ。まだまだだけど……
最近は会社とは関係なくプライベートで仕事をもらったりしてて、休みなんてないくらい忙しいです。けどね、先生、最近よく思いますよ。毎日くたくたになるまで仕事して、休みになったら太鼓たたいたりプライベートの仕事をしたり友達と遊んだり、平日だってロクに寝ないでなんかやったりして、体が休まる時間なんてないけど、こうやって毎日必死に生きているって大切な事だと思うよ。今は若いから、今の生活はきついけれど楽しい。毎日が濃厚で、自分が成長しているのが分かるような気がします。後は彼女さえ良い人が見つかれば……。
とりあえず、こっちは今を無駄にしないで生きているよ。また先生に会いにいけたらなぁ。それまでお元気で。いつまでも笑っていてください。(O.Z)

こんな手紙だ。年賀状以来の手紙だ。
O君は土筆に通った三人兄姉の三番目。中学2年のとき父親の転勤で両親の実家がある北海道に越した。上二人は土筆を卒業だが、彼だけ中2でやめたということになる。彼は北海道の高校を出て、大工の道を選んだという報告は受けていた。「ほう、なかなかやるなぁ」僕はそう思って彼の歩みを楽しみにしていた。彼が土筆をやめる時残していった感想文は、次のようなものだった。

  ぼくを育ててくれた土筆塾

 ぼくが土筆塾に入ってもう7年になる。小学一年生からずっと入りたがっていた僕は、小学2年生から土筆の生徒になった。授業は作文。今でも僕は文章をやっているが大分自分の思っていること、考えている事が文章にできるようになったと思う。
最初に入った頃はただ単に〝近くで優しそうなおじさんが自分に勉強を教えてくれる〟そんな気持ちで塾に行った。僕は三年も四年も五年の時も作文を習った。
土屋先生が書いてくれる作文の感想と、野球のホームラン、三塁打などで表わす作文の評価がとても楽しみでならなかった。僕は三回に二回はホームランを取っていた。学校でみんなの作文なんかを見ると「幼稚だなぁ」なんて思ってしまうときがあった。
小学六年生になったとき、あるアクシデントが発生した。当時僕はサッカーをやっていて、作文の授業とサッカーの練習日が重なってしまったのだ。僕は今まで作文を習い続けていきなり辞めるのは嫌だったので、親にお願いして国語を習い始めた。そのときから僕は自分には土筆でなくてはいけない何かがある、と思い始めた。
中学生なった僕はやっと勉強に意識がいった。僕は英語も習い始めた。英語を教えてくれたのは米山先生だった。米山先生はぼくが〝英語バカ〟であるにもかかわらず、分かりやすく教えてくれた。米山先生がぼくに教えてくれたのは英語だけではなかった。人間と人間の間で必要なマナー、そしてギターもだ。休み時間に先生がギターをひいている姿がかっこよくてしょうがなかった。米山先生はぼくが見てきた人間とは全く違った人だった。この米山先生との出会いも土筆のおかげだ。
それからまた大きなアクシデントが発生した。何と、また文章の時間、僕は来られなくなった。僕は他の国語の時間も無理で、もう土筆を辞めなければならないのかと思ったのだ。中学二年にあがるときだった。そのことを米山先生に言うと、米山先生は土屋先生にそのことをすぐに言った。すると土屋先生は平然と
「他に、空いている時間は?」
僕はとっさに空いている時間を言った。すると先生は「じゃぁ、その時間においで」というのだ。
そのときから、もう一人の友達と二人だけで特別な授業を組んでやらせてもらった。しかし間もなくこの友達は土筆を辞めてしまい、ぼく一人になった。こうなるとぼく一人のために一時間、時間を増やす事になる。こんなことはできないと思い先生に言ってみると、意外な答えが返ってきた。
「いいよ、Z、一人でおいで」
とってもうれしかった。先生が僕のために時間を一時間くれるといってくれたのだ。こんな塾、他にはない。僕は土筆しかいけない、そう思った。「先生OOって漢字どう書くの?」僕の漢字の弱い事を先生は知っていて優しく教えてくれた。
こんな素晴らしい塾も、僕は今回親の転勤で辞めざるをえなくなってしまった。最後まで土筆で学びたかった。学力はもちろん、人間としてのマナーを身につけたり、自分の考えを素直に出せるようにしてくれたのも土筆塾だ。だからぼくを育ててくれたのは土筆塾だとぼくは考えている。
本当に、この七年間、ありがとう。

土筆塾卒業生あるいは、途中で引っ越していった元塾生には、いろいろな道を選んだ子どもたちが、今もずっとつながりを持ち続けている。前回の通信に少し触れたが医者になったもの、博士課程で勉学に励んでいるもの、参議院に勤務し予算委員会担当として政治の裏方をささえているもの。建築士になったもの。アメリカにわたって寿司店に勤めながら寿司職人を目指しているもの。Z君のように大工の道を選んだもの。介護士や看護師、などなど。その歩みは実に個性的だ。それでいい。人はそれぞれ自分の道を見つけ、歩き続ければいい。知識の習得はもちろんだが土筆塾はそうした子ども達の生き方に何らかの形で関われるように、生きる力につながるような援助をし続ける、それでいいのだ。僕はそう思っている。
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by tsukushi--juku | 2009-10-18 20:20 | Comments(0)
今回の選挙を通して
今回の選挙を通して考えた事

考えた事はたくさんあるが、論文を書くわけではないからその一つについて感想を書く程度にとどめたい。
 その一つというのは選挙制度についてだ。現在の衆議院選挙では小選挙区比例代表並立制(小選挙区300・比例代表200)ということになっている。小選挙区制は各選挙区から一人だけ選出する制度の事。この制度ではその選挙区の最高得票者だけが当選し、他の候補に投票した票は全て「死票]になり、一党制に極めて近くなる事、候補者個人の癒着や地域エゴが露骨に国政の場に持ち込まれる事、小選挙区制によって一票の格差が生じる事、などなど、その欠点が広く指摘されてきた。例えば前自公政権の幹部の一人与謝野馨氏でさえ「小選挙区は選挙区が狭い分対極を見る視点に欠け、選挙区の事情やメディアの人気を優先する候補者ばかりが当選しやすい選挙制度。戦前の小選挙区制は『政治家が小物になっているという理由で廃止された』」と批判しているほどだ。
 しかし政権党は常に自分たちに有利なように常に選挙制度を変える。戦後の歴史を見ても小選挙区制の導入は繰り返し持ち出された。それが実現しなかったのは、あまりにも露骨な政権党の『党利党略』の意図が見え見えで、多くの批判にさらされたからだ。現在の選挙制度はそれらの批判を少しだけ和らげながら、なおかつ政権党有利な制度として強引に成立させられたもので、小選挙区制の欠点を補うという点で比例代表部分ががいくらか民意を反映しているということになる。しかしいずれにしても土台は小選挙区制の持つ欠点をそのままのこしている。
 今回の衆議院選挙を通して考えてみたい。
 今回の選挙では民主党旋風が吹き荒れ、政権交代が実現したという点では、確かに小選挙区制は政権党から離れ民主党にうつった。その良し悪しは別として大量の[死票]が出た。投票総数7,058万票のうち3270万票は[死票]で46・7%にのぼるという。
 今回の選挙の小選挙区で民主党は3348万票で得票率は47・4%。だが当選者は212。議席占有率は73.7%を獲得している。.得票率に比べて議席占有率がこのように高いのは、「死票」多いのと同様、きわめて欠点の多い制度といわざるを得ない。
ちなみに衆議院の総定数を各党の比例票で配分すると、民主党は42.4%、204議席(今回の獲得議席より104人も少なくなる。)同様に自民党は26.7%、128議席(9人増える)公明党は11.5%で55議席(34人増える)共産党7%で34議席(25人増える)社民党4.3%議席、21議席(14人増える)みんなの党4.3%、21議席(21議席増える)国民新党1.7%、8議席(5人増える)*小数点以下四捨五入。
こうしてみると小選挙区制がいかに民意を反映していないかがわかり、いかに第一党に有利に働いているかが分かるだろう。民意をもっとも正しく反映する制度は全国一区比例代表制だろうが、百歩譲っても中選挙区制度に戻すべきではないだろうか。ところが民主党はマニフェストの中で現在の制度中200ある比例部分を80名減らす事を掲げている。これこそ正に少数政党切捨て、民意の切捨て以外の何者でもない。北海道大学の中島岳志順教授は、毎日新聞9月2日付インタビュウーで「小選挙区制や2大政党制は、社会の多様性に対応できない」「比例代表の議席を減らして小選挙区の割合を上げるのはもちろん論外だ」と語っている。
選挙制度というと難しくて、あまり関心を持たないかもしれないが、民主主義が民意を反映して一層発展するために、考えておきたい大事なことだと私は思っている。あえて土筆通信に書かせていただいた。
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by tsukushi--juku | 2009-10-18 20:16 | Comments(0)