土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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自衛隊前空幕長更迭問題にふれて
  航空自衛隊前幕僚長更迭問題に触れて

航空自衛隊のトップ田母神俊雄・航空幕僚長が更迭、「定年退職」したが、この問題について少し書いてみたい。すでに新聞報道で明らかなように、問題の発端は彼がホテルチェーンなどを展開するアパレルグループ主宰の懸賞論文に応募し、その論文の中で「わが国が侵略国家だったと言う事はぬれ衣である」「わが国は蒋介石により日中戦争にひきずりこまれた被害者」「わが国はきわめて穏当な植民地統治をした」などと日本の侵略戦争を美化し正当化したことにある。
 航空自衛隊50000人の頂点に立つ幕僚長が、政府の基本方針を無視して堂々と持論を展開した事が、文民統制の危機として大問題である事はもちろんだが、それらは政治家に任せるとして、気になるいくつかの問題について触れてみたい。
第一点はこの懸賞論文に現職自衛官(それもほとんどは幹部自衛官だ)が七十八人も応募し航空自衛隊教育課が募集を告知していたという点だ。階級別内訳は一佐三人、二佐三人、三佐四人、尉官六十四人、曹クラス四人という。こうした事から判断するとこれは明らかに組織的なものだ。これらの自衛官がどのような論文を書いたのか中身を知ることはできないが、幕僚長の歴史観、国家観、イデオロギーそのものが様々な形で投影されていることは想像に難くない。論文に応募した自衛官だけではない。部隊そのものがこうした歴史観、国家観、こうしたイデオロギーで教育されていたといってもいいだろう。田母神幕僚長が自衛隊のなかで特異な存在だったという事だけでは済まされない。(その後、論文投稿者はさらに増え、九十四名になったと報道された)
第二の点は航空自衛隊だけでなく陸上自衛隊、海上自衛隊を含めて自衛隊そのものの中での、幹部隊員に対する教育の中身がどうなっているかという点だ。
私は国会にいたとき、自衛隊の「精神教育」について調査し、論文を書いたことがあった。一九七四年の『前衛』(日本共産党中央委員会理論政治誌)5月号に「自衛隊における精神教育」というタイトルで書いた論文がそれだ。国会でも日本共産党の松本善明、東中光雄両議員が取り上げ、マスコミにも大きく取り上げられた事があった。当時の自衛隊精神教育の柱は、皇国史観(天皇中心の歴史観)に貫かれた「愛国心」の涵養と、侵略戦争肯定、軍国主義賛美の立場から推進されていたということだ。彼らの言う『愛国心』とは何かについて当時の陸上幕僚幹部井本陸将が推薦した『陸曹教育用 精神教育』という本の中では次のように書かれている。「われわれが愛国心を考える場合に第二次大戦の敗戦、その他好ましくないいろいろな連想が雲のようにまつわりついて来て愛国心の本当の姿がつかみがたい」ので本当の愛国心をゆがませる物を明らかにすると称して、「われわれ日本人は古来、忠誠心にあつく、いわゆる武士道として育まれてきたが、明治維新以降、国が真の一体となって皇室を中心とする民族国家を形成してからは武士道で唱えられた忠誠心は愛国心となり、国を至上のものとして愛し、国のために殉ずることを無上の名誉と考えてきた。これが国家発展の原動力となった。」ところが敗戦によって、国民は「当時の為政者を恨み、指導者が国民を省みず自己の名誉のためにのみ(戦争を)やった」ごとく考え「愛国心の真の姿をゆがませた」と。
侵略戦争肯定、賛美という点にも触れておこう。『海上自衛隊精神教育参考資料』によれば次のようになる。
「支那事変は、日本の一方的侵略のように思い込まれているが、これは大きな誤りである。」「戦争の多くは双方の誤解と計算違いから起こる。支那事変を収拾することなく、勢いのおもむくままに日米戦争に突入したのは言うまでもなく日本の悲劇だが、この支那事変の中にも幾多の美談はある」「満州建国の精神は、ロシアの南下を日支両国の協力で防衛しようとする意味において、明治以来の伝統を継いでいる。そして民族協和を中心においたことは、先進国支配の歴史に新紀元を作ったものといえよう。」「日本がなんら外国の圧迫に気兼ねせず、充分に力を発揮したのは、私の経験からすれば、満州事変以後の十四,五年間であった。行き過ぎもあったにせよ、日本人の自覚と理想主義がこれほど発揮された時代はなかった。」
陸上自衛隊『陸曹教育用 精神教育』からも引用しておこう。「日露戦争に勝った日本は、有色人種に光明を与えましたが、あの大東亜戦争もその後のアジア・アフリカの民族主義運動の原動力となり、インドの独立を五〇年早くしたといわれています」
これ以上引用しないが、まあ、こんな調子だ。
これらの参考用教育書は松本、東中両議院の追及によって整理を約束させたはずだが、形を変えて今も生き 続けているのかも知れない。今回の航空幕僚長の歴史観、国家観、イデオロギーはその延長線上のものといってもいいのではないか。
十一月七日朝日新聞の報道によれば、参院外交防衛委員会の審議で、自衛隊海上幕僚監部が作成した一般隊員・幹部向けの精神教育参考資料の中に「敗戦を契機にわが国民は自信を失い、愛国心を口にすることはおろか、これをタブーとし賤民意識のとりこにさえなった」などという表記があることが明らかになったという。整理されたかつての精神教育資料が、形を変えて生き続けているとみていい。そうした意味でかつての『精神教育』が何を柱に行われていたかを振り返っておく必要を感じるのだ。
第三点目は、この歴史観、国家観、このイデオロギーは、単に自衛隊だけのものではないことだ。安倍前首相を初めとする「靖国派」の議員、(自民党だけではない民主党も含めてだ)政財界の面々の歴史観・国家観、イデオロギーの中に同じ根っこがある。改憲を主張する連中も同じ根っこにつながっている、と見なければならない。
今回の懸賞論文を主宰したアパグループの元谷外志雄代表は「靖国派」の旗手といわれ安倍前首相の後援会『安晋会』の副会長を務めていた人物だ。田母神前幕僚長を、幕僚長に任命したのは安倍前首相であった事を考えると、根っこは同じとみても的外れということにはなるまい。このような動きは間違いなく憲法改悪に結びついている。彼らには、日本国憲法が高らかに宣言した「日本国民は、恒久平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持称と決意した……」(憲法前文)も、さらに第九条も邪魔なのだ。自衛隊は強力な軍事組織だ。憲法順守を厳しく要求し、かれらの暴走を決して許してはならない。
私は今自衛隊の中で進められている幹部自衛官への教育、一般隊員への教育、さらに教育参考資料として指定されている全てを明らかにさせなければならないと思っている。かつて私が書いた論文『自衛隊における精神教育』とともに明らかにした膨大な参考資料に匹敵するものが、必ずあるはずだ。陸・海・空自衛隊をシビリアンコントロールするためにこそ必要な事だ。私は国会を離れて三十一年、今はこの分野からはすっかり遠のいている。関係諸氏の努力に期待するしかない。(2008年11月8日)
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by tsukushi--juku | 2008-11-08 17:28 | Comments(0)
文集『葵』への原稿
 8月伊豆『賀茂地区生涯大学葵学園』 というところで3時間の講義をしたが、引き続いて文集『葵』に、原稿を書いた。目に触れることもないと思うので添付しておく。  


 草の根民主主義の発展を願って
          東京・土筆塾主宰 土屋春雄 (下大沢出身)

 私は土筆通信という塾通信を週刊で発行している。11月5日現在、1064号になった。第1号が1983年4月2日となっているから今から25年も前ということになる。昨年1000号を迎えた折「土筆通信1000号の重み」として次のように書いた。
 「今振り返ってみるとここには間違いなく一つの歴史がある。それは子ども達の日常と成長の歴史であり、親と、このささやかな塾がともに子どもの成長にかかわり続けてきた歴史であり、私自身の生きてきた歴史であり、さらに言えば我が家の歴史でもある。それぞれの時代の中で、子ども達は何を感じ考えてきたのか、それぞれの親は土筆塾とのかかわりの中で、何を感じ考えてきたのか、私自身は何を学び、何を発信し続けてきたのか。私のことに関して言えば、それだけではない。私の少年期から73歳にいたるまでの全ての生き様そのもの、また我が家の子育ても含めたありのままが、ここには反映されているといってもいい。さらに付け加えれば、土筆塾10年を機に出版した「学び創り遊ぶ」(毎日新聞社)の頃から広り始めた読者との交流が、その後の3冊の本の出版や、あちこちで講演した事などを通して増え続け読者として全国に人の輪が広がり、土筆通信がそれらの人たちを結びつける役割を果たしてきた。そうしたことも1000号の歴史に加えてもいいだろう。
 今「草の根民主主義」ということが言われる。一人一人の心の中にしっかりと根付いた民主主義が求められているのだ。……自らの意志でことのよしあしを判断し、大切なときには行動に立ち上がれる人たち、今それが求められている。土筆通信1000号の歩みは、ささやかではあっても「草の根民主主義」の発展に貢献してきたのではないか、そんな自負がないわけでもない」と。
 もちろん塾通信であるから子ども達のことが中心だが、「こんなことも書くんですよ」,そんなつもりで、いくつか紹介してみたい。

       『蟹工船』が文庫本ベストセラー

 作家小林多喜二の代表作である『蟹工船』が若者の間で大変な人気だという。5月13日の朝日新聞は「蟹工船 はまる若者」と言う見出しの記事を掲げ、新潮社文庫『蟹工船・党生活者』の売れ行きが急増していると伝えている。この小説、聞いたことも、もちろん読んだこともないという人が多いのではないだろうか。
 カムチャッカの凍える洋上でカニ漁や加工作業を強いられる労働者の過酷な労働と、団結して立ち上がる姿を描いた作品だ。私はこの作品を高校生の時に読んだ。小冊子『私の少年期と青春の断面、そして家族のこと』の中の文学との出会いに触れた部分で私は「とりわけ小林多喜二の『蟹工船』、『一九二八年三月一五日』は大変なショックを受けたことを思い出す」と書いた。小林多喜二の作品は大学時代も含めて全集を読み通し、ある意味ではわたしの生き方に大きな影響を与えたものだった。
 しかし一般的にはプロレタリア文学も小林多喜二も良く知られているとはいえなかったろうし、多くの読者を持ったともいえなかったのではないか。まして小林多喜二が日本共産党員であり、29歳の若さで特高警察に捕まり虐殺されたなどと言う事は知らない人がほとんどではあるまいか。
 このような作品と作家が、今どうして若者たちの間でブームを巻き起こしているのだろうか。先の朝日新聞は記事の中で、昨年夏「おい、地獄さ行ぐんだで!」で始まる『蟹工船』を書店で見つけて読んだという山口さなえさん(二六歳)の言葉を紹介している。「04年に大学を卒業したが就職難。一年後に正社員の経理職を見つけ、残業代ゼロで忙しい日には15時間働いた。だが上司に命じられた伝票の改ざんを拒むと、即日解雇され10ヶ月で追い出された。隣の席で働くのは別の派遣会社からきたライバル。私たちの世代にとっては誰が敵かもよく分からない。」
 日雇い派遣や請負などの正規雇用でない労働者が急増し、ワーキングプアと呼ばれる貧困の広がり、そうした状況が「蟹工船」で酷使される労働者の実態と重なるのだろう。又別の新聞で山口さなえさんは「私たちの世代は、資本主義でいい思いなんて何もしていない。高校時代、就職希望していた同級生の半分はフリーターになりました。『蟹工船』で描かれている労働者の苦しみのリアリティーが現在に近い感じがします。」と述べている。
 こうした、いわゆる「ブーム」の出発は、日本共産党の志位和夫委員長が国会質問の中で追求した「派遣労働」問題に端を発しているようだ。「貧困・投機・環境」などなどルールなき資本主義が限界に来て、様々な形で覆いかぶさっている。若者たちはそう感じ始めているのだろう。私はこうした若者たちの動きを歓迎する。若者だけでなくお年よりも含めて全ての働く人たちはこの矛盾だらけの政治の実態にノーと声を上げるべきだと思う。      
(土筆通信1048号)

        再び「蟹工船」のこと

 土筆通信1048号で小林多喜二の『蟹工船』がブームになっている話を書いた。今回ももう少し書いてみたい。9月30日、注文していた「オーディオブックCD「蟹工船」(新潮社)が届いた。声優若山弦蔵氏朗読によるCDだ。『蟹工船』は相変わらずブームを維持しているようだ。新聞記事(赤旗)によれば『俳句界』と言う雑誌の9月号に矢島康吉氏が『小林多喜二の隠れ宿』というエッセーを載せているようだ。その中で次のように書いているらしい。
 「2008年5月になると『蟹工船』の報道はピークに達し、新聞、週刊誌、テレビでは、みのもんたの「朝ズバ」でも取り上げた」「上野駅構内の書店に行ってみた。入口に新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が、山のように積まれていた。週に80冊売れて、この店の文庫売り上げベスト3に入っていた。」……
 『蟹工船』にはすさまじいほどの過酷な奴隷労働が描かれる。今の時代、この作品がそれほど読まれ、話題になっていることに改めて驚くが、格差と貧困はそこまで深刻になっているということだろう。「『蟹工船』は過去の話ではなく状況は今も生きている」(フリーターや派遣労働者の言葉)というのだ。9月30日と10月1日付朝日新聞は「手をつなぐ貧困女性」という記事を連載している。「働く女性の4割以上が年間所得200万円以下。貧困で行き場を失う女性が増えている。」そんな状況を打開しようと『女性と貧困ネット』を作ろうと集会を持った事が報道されている。野宿生活を続ける女性たち。生々しい声もいくつも紹介されているが女性の貧困層は男性のそれよりもさらに深刻だという。
 『蟹工船』の世界は決して過去のことではない。(中略)
 ワーキングプアとか女性の貧困とか、格差・貧困が拡大すればするほど、私の心の中は穏やかではない。このような社会を生み出した原因を、今、あれこれ言うつもりはない。間違いなく総選挙は近い。主権者としての怒りを選挙にぶつけようと思う。
                                 (土筆通信1061号)

 土筆通信はこれからも書き続けるつもりだ。書き続けることはよいことだ。私は今改めてそう思う。
 塾は開設当初から、子ども達に作文を書かせ続けてきたが、小学4年から塾で作文を書き続けてきた子が最近こんな作文を書いた。紹介して拙文を締めくくりたい。

     自分と向き合う時  (高1 M・H)

 土筆塾の文章の授業は、私にとってとても大切な時間である。週に一回、一時間だけだがこのペースがちょうどいいのかもしれない。一週間を振り返って、起こった出来事を思い出す。それは自分と向き合う時間に他ならない。この時間が、私の、ものを考える力や、それを文章として表現する力を育てている。
 私にとっての文章とは、自分の気持ちや記憶を整理し、文字と言う目に見える形で記録する大切な手段である。書く題材は何でもいい。そのとき感じた気持ちや、見た風景など、ちょっとしたことでもいいのだ。
 だが、どうして私はこんなにも「書きたい」と思うのだろうか。今までその衝動の理由がわからなかった。疑問すら持たず、ただ書きたいままに自由に文章を書いていた。最近になってわたしをつき動かすその衝動の理由が、なんとなくわかった気がする。
 私が文章を書くのは「忘れたくないから」だ。人間の脳は機械のように完全な状態で記憶をとどめておく事はできない。時の流れとともに記憶は薄れて抜け落ちていく。だから些細な事でも文章と言う形にして残しておきたいと思う。
 私にとっての宝物はかけがえのない「今までの記憶」。体験した出来事やそのときに感じた気持ちこそが宝物なのだ。そして、その宝物を形にして書き表していく。
 こうしてできたのが日記である。毎日細々と書き続けているその日記には、私の記憶が詰まっている。雑文ではあるが読み返してみるとその当時のことがわかって面白い。
 この日記と同じく土筆塾で書く作文も私の成長の記録だ。毎日欠かさず文章を書き綴って、週に一回土筆塾できちんとした形の文章を書く。こうした、自分と向き合う時間はこれから先も作っていきたい。友達とゲームをしたりするのもいいが、たまには静かに一人で過ごして、自分を見つめる時間を作るべきだと思っている。この時間は心も落ち着くし、物事を深く考えられるから好きだ。何よりもそれが自分の成長につながると思っている。
                                  (土筆通信1063号の1部)




 
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by tsukushi--juku | 2008-11-06 15:05 | Comments(0)