土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

<   2007年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧
暑かった夏もおわった
今年の夏は随分あちこち出かけた。下田の田舎に2回、大島、筑波山、そして締めくくりが青森だ。ブログの更新が遅れ遅れになったが、せっかく書き溜めてあるのだから前回に続いて子どもたちのことを載せる。

    

   土筆で学んだ子ども達その後

 土筆塾で学んだ子どもたちのその後については『生きる力と優しさと』(毎日新聞社)の中で「卒業生その後」として書いた。今回はこの本で書いた子ども達以後を中心にということになる。土筆で学んだ子どもたちは高校生になり、大学生になり、あるいは社会人として働き始めても、ずっとつながりをもち続けている子も多い。土筆通信を読み続けている子もいる。ここでは何人かを紹介するにとどめたい。

年賀状を通して、土筆塾で学んだ子らを思う

今年も、たくさんの年賀状を書き、たくさんの年賀状をもらった。私にとって年賀状は、人とのつながりを感じながら、心にエネルギーをもらうことのできるいい栄養剤だ。とりわけかつての土筆塾生のその後を知ることが出来るのは、今年もしっかりやろうという思いを改めて強くするいい機会になっている。一枚一枚年賀状の言葉を読みながら、塾生だった頃を思い浮かべニヤニヤしたり、ウンウンとうなずいたり、結構楽しい時間を過ごす。
 たとえば次のような年賀状をくれたO君。
 彼は両親の都合で中2の終わりに北海道に引っ越した。高校を卒業すると、大工になることを目指した。今彼は岩見沢市で大工として歩み始めている。
 彼は小学二年の頃から土筆に通った。その頃彼の書いた作文だ。


えのみでっぽう(三年生)

きょう先生がえのみでっぽうをくれた。それで、うちあいをしようと先生にいったのに先生はだらしがないよ。ふくがよごれるとか、あたるといたいとかいってちっともやらない。ぼくは自分でおなかにあててみた。なにがいたい!ありんこにかまれたようなもんだった。
 中学のときはこんな作文も書いた。

はぶき      (中学2年)

ぼくの学校には『はぶき』が多い。はぶきとは、はぶくという意味で、言ってしまえばそいつをみんなで嫌ってしまうことだ。はぶきをやる連中は大体決まっていて学年でも比較的目だっているほうで、成績はパッとしない。遊ぶことが大好きと言う特徴がある。
 何よりも、その連中と友好関係を結ぶのは難しい。思っていることをそのまま言ってしまえばらくだが、言ってしまうと怒るときもある。周りに合わせていかないと、自分がはぶかれる。周りが一人をはぶくとみんながはぶくのだ。ぼくもその連中の一人だが、ぼくははぶきに関してはあんまりみんなに合わせない。ぼくははぶかれているやつが別に嫌いではないからだ。しかし、ほかの友達は、はぶかないとこんどは自分がはぶかれるのだから、それが嫌で周りにあわせる。けれど僕は違う。そいつが嫌いではないから当たり前のことだがなかなか難しいから困る。ぼくがはぶきにあわせないから、はじめはいやな目で見られた。今でははぶいている連中も「オレたちがはぶいても、ついてこない」と考えているようだ。
 ぼくが人をはぶかないのはもう一つ理由がある。それは前、ぼくがはぶかれたことがあるからだ。はぶかれると当然今までの友達がいなくなるのだから、休み時間は一人ぼっち。話し方だってすごく冷たくなる。まさに中学生活が終わるのだ。本当に怖かった。昨日までジャレあっていたのがいきなり嫌われるのだから、こわい。
 こんなのはなくなればいい。

 次のような年賀状をくれたIさんは4年制の大学を出てさらに保育の専門学校に2年通って、保育士になった子だ。
 「保育園を異動になり、2歳児クラスの担任としてがんばっています。子どもたちのエネルギーに圧倒されながらも少しずつ面白さを感じられるようになり、今後が楽しみです。」
彼女の小学生の頃の作文も一つ紹介しよう。



 ラクガキ(六年生)

私はラクガキが大好きだ。特に女の子を書くのが好きだ。画用紙にきちっとした絵を描くよりかたくるしくない。ちょっと書いてドバッーと消してしまえばいいんだ。マンガの影響が強い。
 それにラクガキは思うままにかける。別に限界と言うものがない。ちょっといい気分にもなれる。ラクガキといっても種類がある。大きく分けると絵、文、文字だ。そのなかでも絵は楽しい。空想もかける。積み重ねて書いていくと絵もどんどん上達していくんだ。自分の個性的な面も出るし、いろいろ表現が出来るんだ。分は絵とは違うが、思ったままをかける。その反対におもっていないこと、つまりウソもかける。ウソは楽しく面白い。また、そのウソのなかに自分がいるんだよ、と言う気持ちもわく。文字を使った一種の遊びだ。文字は、自分が探し求めていた言葉、うったえたいことなどが表現できる。自分が考えた文字をどこかに書くと満足感が満ちる。
 ラクガキと言うと大人はいやがる。だけどラクガキは子どもにとっては〝いいもの〟なんじゃないかな。ラクガキは一種のいたずらだと思う。子どもといたずらは切っても切りはなせないものだ。
 だから私はラクガキ=いたずらが大好きだ。

 保育士になった彼女、毎日子どもたちとどんな遊びをしているのだろう。

 昨年暮、私は『前立腺癌』の診断を受けた。日常生活には何の差しさわりもない元気さだし、別に知らせる必要もないことなのでごくわずかの人しか知らせていないが、そのことを聞いた子どもたちから私の病気を気遣う年賀状も届いた。Yさんの年賀状。

 「先生お元気とばかり思っていたら、母から病気のことを聞きました。先生のパワーで病気に勝ってください。いつも明るい笑顔で周りの人を元気にしてくれる先生だから。
 私も今年はたくさんのことに挑戦していけるような1年にしたいです。」
4年制の大学の法学部を卒業した彼女は一大転換、ケーキ職人の道を選んで今学校に通う。間もなくその道に踏み出すだろう。彼女も小学三年生の頃から通ったから、土筆にはその足跡がたくさん残されている。

   電車の中で      (中学2年)

江古田に行く電車に乗った。
 向かい合った席に、幼稚園の年長くらいの女の子と、その母親らしい人が座っていた。女の子はきちっとした服装に手さげカバンを持っていた。私はその雰囲気から、「あっ」と思った。
 以前テレビで、有名小学校にわが子を入れるために、一生懸命なある家族を映していた。毎日毎日、幼稚園から帰ると遊ぶ暇もなく塾に通い、子どもは割りと楽しそうだったけれど、親は『面接のときの親の服装も見られる』だとか、そういう話ばかりほかの親と話していた。そんな内容のテレビだったが、それをふっと思い出したのだ。
 案の定、前の座席に座っている母親が、子どもに掛け算の九九を言わせたり、算数の文章題を出したりしていた。
 その女の子は「あとなんこの駅?」とか「何分いるの?」とか聞いていた。
 その親子の降りた駅には、ほかにもたくさん、そういう感じの親子がいた。テレビに映し出されていた親は、私立小学校に入れる理由を「立派な人になってほしいから」と言っていたが、この人たちもそうなのだろうか?
 人それぞれ考え方はあると思うけれど、無邪気に塾に通う幼稚園の子どもたちが、なんだかかわいそうに思えた。子どもたちはどのくらいまで自分の状況を知っているのだろうか?きっと、この子たちは小学校高学年になっても、なぜこういう学校に通っているのか疑問を持つこともないだろう、と私は思う。
 もし私が小さい頃に親の考えだけで、こういう学校に入れられていたとしたら・・・私は嫌だ!

また彼女は土筆塾卒業に当たってこんな感想文を残した。

土筆は生活の一部だった     (1998年)

 土筆塾についての感想、といっても私にはとても一言ではいえない。なぜなら、七年間通っていると土筆は生活の一部だったからだ。雨の日も、雪の日も疲れている日も、土筆に行った。行きたくない日なんてなかった。
 土屋先生と米山先生が声をかけて迎えてくれる教室は、とても良かった。どんな話も聞ついて。学校では話してくれないことばかりだった。
 いろいろな話を聞いてきたことが、何かについて考える時とてもためになったし、私がたくさん物を考えるようになったきっかけだったと思う。
 土筆のみんなも、いろいろな人がいてとても楽しかった。私にとって土筆は、自分の居られる数少ない場所の一つだったと思う。そんな場所を作ってくれた土屋先生、米山先生、そして友達たちに感謝したい。七年間、ありがとうございました。

 Aさんも私の体を気遣って、年賀状をくれた一人だ。
 いつも塾や生徒のためにがんばっている先生ですが、今年はゆっくり休む時間を作って、おいてくれ相談にも乗ってくれた。そしていろいろな話をしてくれた。政治についてや将来に身体だいじにしてください。
 彼女もたくさんの足跡を残しているが、書き出せばきりがない。卒業にあたって残してくれた感想文の一部を紹介するにとどめよう。
 「・・・子どもの頃の遊びをあなどってはならない。真の意味で遊べない人間は学べない人間になる。中途半端に遊びをやり過ごすといつまだたってもそれをやり、どうしょうもなくなる。」
 
いただいた年賀状を見ながらこうしてつづっていると、後から後から塾に通っていた頃の子どもたちの姿が浮かんでくる。次回も少し書いてみたい。


    
[PR]
by tsukushi--juku | 2007-08-30 13:27 | Comments(0)
猛暑の日々がつづきますね
おふくろの100歳を祝って下田に帰ったり、孫たちに会いに大島にいったりと家を空ける日がつづいた。明日から8月後期の授業。孫立ちの写真もたくさん撮ったが、ブログに載せる方法がまだよく分からない。なんとも頼りないことだがしばらく堅苦しい、文字だけだ。前回に引き続き卒業生立ちの感想文を載せる。なお、2日前、卒業生から電話があった。「結婚式に是非出席してほしい、スピーチも頼む」とのこと。毎年誰かがこうした嬉しい招待をしてくれる。

     塾卒業に当たって    (2003年)

 初めて塾に行ったときのことを思い出す。私は、塾にドアが二つあることに気づいた。どっちから入っていいのかわからず、しばらくうろうろして私は玄関のほうから入ることにした。インターホンを押せばよかったのだが、それに気づかず、いきなりドアに手をかけてあけようとした。しかし、このドアをあけるにはこつがあった。ガチャガチャやっている私に気づき、土屋先生がドアをあけてくれた。第一印象は、まさしくおじいちゃん。じーっと見上げている私を見て先生は笑いだした。後から聞いたのだが、塾の入り口は別だった。こんなこともあって、先生にとって私の印象はつよかったのだと思う。小学二年のことである。
 ところで、塾では授業の始まる前や後に、ベーゴマやビーダマで遊ぶことがよくあった。普通の塾では、まずないことだろう。
 また、この塾では作文の授業があった。これも普通の塾にはないことだ。書く内容は自由、書きたいように書いて先生にみせると三塁打とか、ホームランなどの評価とコメントがつく。小学四・五・六そして中学と学年が上がっていくにつれ、書く内容も社会や政治のことが増えていく。それもこの塾のおかげだと思う。国語の授業で、先生はたまに新聞の記事を持ってきて読んでくれるが、そうしたことから、新聞や、ニュースに興味を持つようになったのだと思う。
 また、先生の話からいろいろな本に出会った。もともと本好きだった私は、気に入った本にであうたびに本屋に行った。
 新聞や本を多く読むとたくさんの言葉や表現の仕方を知ることができる。その作者の考えもわかる。いろんな人の考え方を知るとやがて自分の考えを持てるようになる。これは、土筆で学んだとても大切なことだ。
 米山先生、先生にもお世話になった。私は中三になって個人授業(数学)を受けたが、先生のおもしろい話、おバカな話で授業が終わることもあったが、そこから学ぶことも多かった。
 本当にここ土筆塾はもう一つの家のような存在である。私が大人になっても訪ねたい場所だ。

    土筆塾は僕を大きく変えた    (2001年)

 土筆塾に通い始めて四年がたった。オレが入塾した動機は「姉、弟が入っているし、塾はいんないと俺の成績も下がる一方だしなぁ」ぐらいの“のり”だった。最初オレは土筆に対して何の期待も不安も持っていなかった。友達のSがいたし、知り合いも多かったので、楽しければそれでいいと思っていた。三年間を振り返って今思えば、オレは、大きくとても大きく変わった。身長は少ししか変わっていないのに、なんというか、性格自体がもう別人になった。
 オレはただ一般論的に「土筆がいい塾だ!」と言いたくはない。オレ自身にとって、この塾がどのように良かったのか、きちんとした思いを伝えたいだけなのだ。
 だからオレはこれから書くこの文章を、整理せずに感情のままに正直に書くことにする。なぜオレが土筆塾のことを書くのにこんなに悩むのかといえば、普段土筆のことを考えなくても、そこに土筆があって当たり前で、何の違和感もないところだったからだろう。普段何気なく過ごしている人生を語ることぐらい難しいことはないのと同じようなものだ。使いふるされた言葉だが、土筆塾はオレの生活では当たり前の空間であり、場所であり、時には疲れていて面倒だったりしたが、そこに行けば待っていてくれる先生がいて、友達がいるのだった。
 土筆塾には二人の先生がいた。塾長の土屋先生と、米山先生だ。二人とも実際、ずい分オレの力になってくれた。二人を比べることはできないが土屋先生の方は教育方針が明確だった。オレにはまだ「人間性」という言葉から十分意味を得ることはできないが、それはオレがまだ子どもであるからで、これからそれを考えていくことになるだろう。友達にはいろいろな塾に誘われた。正直気持ちがなびくこともあった。しかし、オレは土筆塾以外の塾はとても入る勇気がなかった。今オレが土筆塾を辞めたら一体誰が勉強以外のことを教えてくれる?一体誰が成績以外の、数字以外の自分を評価してくれる?オレは学問もきちんと修めてきたがオレがこの土筆塾で学んだことは中学という一番自分が変われる時期に、とても大きな影響を受けたということだった。だって、明らかにオレやSと学校の他の友達とは違うのだ。別にどっちが優れているとか、どっちが正しいとか言うことではないが、確かに違うのだ。
 オレたちは学校や社会(多くは学校だったが)に不満や不安を抱いた。生きるうえで必要なこと、それは疑問を抱くこと、意見が言えること、物を見る目を持つこと、だが、この三つが今の中学生には足りない、足りなすぎる。差し出された規則に縛りつけられ、何の疑問も持たずに従う友達。話すことと言えば日常目にし、耳にする「出来事」ばかりで、自分の考えをきちっと言えない友達。表面的なことばかり気にして本質を問うことのできない友達。だが、オレたちはそんな人間にならずにすんだ。オレの言い方は他人を軽蔑しているように聞こえるかもしれないがそうではない。疑問を持ったり意見を持ったり考えたりできなかったら、かわいそうだと言っているのだ。
 今、中学生たちに生きる意味やものの道理を問いかけた時、答えられる人が何人いるだろう?オレだって答えられるとは言えないが、考え続けている。高校生活は中学の三年間のようにのんべんだらりと過ごすつもりはない。しかし、中学時代疑問を持ったり、考えたり、意見や考えをもたなかった人は、高校生活もその延長になってしまうのではないかなぁ。
 土筆はオレに「考えろ」と刺激を与えてくれた。それは二人の先生に言えることだ。米山先生は教師や学校体制の問題を鋭く指摘し、批判し、気づかせてくれたし、土屋先生は自分の生き様を通してオレたちに考えて生きることの大切さを示してくれた。そして、政治や社会の出来事に関心を持つよう言って聞かせてくれた。それらが、ただ、人生楽しければいいのだという、今までの考えに終止符をうってくれたのだ。
 確かに、友達と議論したり、間違いを指摘したりされたり意見を交し合うのは面倒だしイライラする時もある。しかし、オレはとても意味のある時間を土筆で得たし、SやTとの間で共有した。オレは土筆に影響されやすい、といったらそうかもしれない。親にもよく言われた。去年の卒業式のとき、誰に言われたわけでもないが、「君が代」斉唱のときオレは立たなかったし、森首相のことも批判していたし、教師や学校のこともずい分批判した。でもそれはどうしてかというと、土筆塾にそれだけの説得力があり、共感できることがあったということだ。
 オレは、中学三年間で土筆を卒業することに未練はない。自分が好きな自分をつくれたのも土筆が結構力を貸してくれたし、本当に「考え」をもてる人間になれた。これからの高校生活は土筆なしで、土筆と同じくらい自分で自分を大きくする、そんな時になるだろう。それができると、自分を信じているからおれはこの土筆を未練なく卒業できるのだ。確かに別れは悲しい。オレは北の国に引っ越していくからなおさらだ。しかし、別に一生あえないわけではないし、これからオレの人生を作り上げていくわけだから、悲しみばかり引きずりたくない。オレの文章でオレの思いが伝わったかどうかあやしいが、土筆がとても優れた塾だということはオレの言葉として残しておきたい。
 楽に生きてゆくことができる先進国の人間が生き方について考えない、なんて思ったらもったいない。それを子どもたちに気づかせてくれる場所や人が、今、必要なのだと思う。オレにとって土筆は本当の塾だった。土筆塾、土屋先生や米山先生に会えたことがオレにとっては意味のあることであり、大切なことであった。 
 たかだか週、四、五時間あるだけなのに、こんなにも影響された土筆塾。片や、一日の大半を過ごしてきた学校の影響力のなさ。ここまで大っぴらに批判してもしょうがない。オレにとっての土筆塾を定義するなら「考える時間と考える必要性を教えてくれ、手助けをしてくれた場所」といえる。よくわからない文章になったけれど、オレにとっての土筆塾はこんなところだ。実際通ってみたほうが分かりやすいけれど、今、いえることは「土筆に通ってよかった」ということだけだ。
 長い間ありがとうございました。
[PR]
by tsukushi--juku | 2007-08-19 15:28 | Comments(0)