土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

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土筆塾の子どもたち
参議院選挙が終わった。自公が惨敗、民主が躍進、共産党、社民党がそれぞれ議席を減らした。自公政権が不信任に近い状態で後退したことは歓迎するが、民主党が憲法、消費税についてどう出てくるか。憲法改正の土俵に乗るとすればそれは裏切り行為になるだろう。ぶれの激しい民主党のでかたを見守りたい。目先の風潮に振り回されないで、正論を掲げてこれからも発言を続けるつもりだ。
ブログの更新が遅れた。土筆で育った子ども達について書きとめておきたい。

         土筆塾の子どもたち  

 学びも遊びも含めて、子どもたちは土筆塾を『心を解放して安心していられる場』として過ごした。土筆の子どもたちは、小学生のころから中学卒業まで何年もかよう子も多かったが、そうした子も含めて中学卒業時には必ず「感想文」を残した。それは、子どもたちにとって土筆塾とは何であったのかが様々な形で書かれていて面白い。いくつか紹介してみたい。

      土筆塾で学んだこと        (2005年)

 何から書き始めればよいかわからないけれど、私はこの塾に入って約八年になります。小学二年生から中学三年まで、土筆塾でさまざまなことを学んできました。
 小学校低学年では、文を書くこと『作文』を習いました。その当時思っていたこと、考えていたことを、土屋先生は自由に書かせてくれました。『作文』の授業を毎週とても楽しみにしていたことをよく憶えています。土筆塾で学んだことの一つに『文を書く』ということがあります。私は作文が好きになりました。
 小学校高学年からは土屋先生と米山先生、二人の授業がありました。米山先生はどんな質問をしても一つ一つ丁寧に教えてくれました。土屋先生の授業、国語では多くの小説や新聞の記事などを読み、その内容や関連している事柄について考えました。
 今、思い返すと、『戦争』をテーマとした内容が多かったように思います。土筆塾に入って学んだことの二つ目に『戦争を繰り返してはいけない』ということがあります。このことに関してはほかの塾では教えてくれない部分なので、本当に特別な授業だなと思っています。平和の尊さ、戦争の恐怖、日の丸・君が代を押し付ける国政、地雷を踏んだ人……土屋先生は多くのことを語り、私に平和の大切さを教えてくれました。
 土筆塾で学んだ三つ目に『本を読む』ということがあります。国語の授業で、文章を読むことで私は読書が好きになっていきました。
 八年間に私はたくさんたくさん学び、考え、悩みました。そういうことの積み重ねで人は成長していくんだと思います。
土屋先生と米山先生には本当に多くのことを学んだと思います。今まで習ったことや、経験してきたことを生かせるよう高校三年間を充実したものにしたいです。
 今まで本当にありがとうございました。

      土筆塾        (2005年)
                      
初めてこの名前を聞いたのはいつだったろう。兄が通っていて、僕もつられて入ったのが入会理由だった。三年生だった。
 何でも兄と一緒が良かった。塾に出会えたのもそこからだろう。僕は二歳上の兄のクラスへ作文を書きに行き、そこでよく遊んでもらっていた。ベーゴマ、竹鉄砲合戦、将棋にトランプ、竹とんぼ、またマンガを描くのを手伝ったりしていた。年上の人たちと遊んでもらい、とても楽しかった。
 やがて、兄やその同じ学年で親しくしてくれた人たちは中学生になった。
 中学の文章の時間は、時間帯が小学生と異なり、別々になる。つまり兄たちと遊べなくなったのだ。小学生は5・6年合同で、知っている人は同学年の佐藤ぐらいだった。なんだか寂しくなってうちとけられないでいた。だから佐藤とベーゴマをやっていた。ベーゴマは大人数が楽しい。弾いて、弾かれ、外に飛び出し、出されて。先生を入れても3人だ。これではつまらない。6年生を巻き込んで、その時間帯のみんなでやった。ベーゴマを通じてすごく仲良くなれた。
 中学になると、次第に忙しくなった。勉強も小学生と比べものにならないほど難しかった。それでもついていけたのは米山先生の分かりやすく面白い授業があったからだと思っている。知識が豊富でどんな話題でも分かる面白い先生だ。学校にあんな先生がいたらなぁと思う。
 国語は土屋先生。小学校ではまったく、また中学でもほとんど習うことのなかった世の中の風潮に流されない、批判力、世の中を見る力、などを養わせてもらった。土筆にはいらなければ今の世の中を思うこととか、自分の考えを持つこととか、生まれなかったと思う。
 土筆塾には本当に感謝している。こんな塾が日本に、いや世界に二つとあるものか!
 土筆っ子だったということに誇りをもってこれからの日々をすごして行きたい。僕にいろんなものをくれた土筆塾だが、奪われたものもある。正確には土屋先生にだ。それは将棋への自信。僕は兄弟にも学校友達にも負けたことはなかった。だが先生には何度やっても、飛車、角抜いても6枚落ちでも、中学生になっても一度も勝てなかった。これは唯一悔しい思い出だ。
 僕をいろいろな面で成長させてくれた土筆塾は生涯忘れることはないだろう。そんな土筆塾よ、ありがとう。そしてさようなら。
      
     卒業に当たって    (2004年)  
                
思いおこせば、4年前小学6年生の3学期、友人のk君に連れられてここ、土筆塾に来た。(k君はその後引っ越していったが)初めての授業は算数。今は新しい家が建ってなくなってしまったアパートの教室で授業を受けた。土屋先生の授業は実にわかりやすく、また面白くて、学校の勉強よりも楽しかった。
 その後、作文と国語の授業を受けた。作文は、最初見知らぬ後輩とともにやっていたのでなじめなかったが、「ベーゴマ」のおかげで彼らとも話ができるようになった。国語は楽しく漢字の勉強をしていたのを覚えている。
 6年生になった春。このとき算数の担当が米山先生に代わった。土屋先生とはまた違った感じだったが、的確でわかりやすく、また時々「雑学」も教えてくれるので、面白い授業だった。
 それからいろいろ大変なこともあったりしたが、何とか中学卒業までここで勉強ができた。ここでの授業は楽しかったし、学校では得られないような授業もした。その多くは戦争に関係したことについてだ。ぼくはこの塾に来てからこういった関係のニュースに目を向けるようになった。新聞も読み始めた。おかげで、戦争の悲惨さを改めて実感することができたし、今の日本の現状も知ることができた。この塾に来なければ、新聞なんて読まなかったろうし、ニュースも、「そんなことがあるんだ」くらいにしか認識しなかったろう。
 ほかにも思い出はいっぱいある。竹でっぽうで遊んだり、焼き物を作ったり、餅つきの会に参加したりと、たった4年間とは言え、とてもすばらしいところだった。本当に、この塾には感謝している。もうここにこなくなるのは、とても寂しい。もう一度あの時に戻れたらとさえ思う。
 土屋先生、米山先生そして一緒に学んだ仲間たちに感謝の気持ちを伝えたい。
 ありがとう、土筆塾。

 土筆塾を卒業するにあたって   (2003年)

 僕が入塾したのは、小学四年のときだ。初めての授業は作文だった。『土屋先生誕生日おめでとう!』という作文を書いて、ホームランをもらった。それから約五年間、塾でたくさんのことを学んだ。
 僕は土筆塾に入って変わった。一番大きいのは社会や政治などについて興味を持つようになったことだ。国語や作文の時間などを通して、先生が社会や政治のなどの問題について話してくれる。政治を批判するいろいろな話、教育の話、戦争の話などさまざまだ。こんな話を聞いているとありがたいことに嫌でも新聞が目に付くようになる。そして、新聞を読むようになると、今度は「自分の考え」というものがすこしずつではあるが持てるようになるのだ。これは大人になるために必要な力であり、そういった力を土筆塾で学べたことに感謝したい。土筆は知識だけでなく、その人自身をも育ててくれる、特別な塾だと思う。  
 土筆塾にはもう一つ特別なものがある。それは先生と生徒との仲がとてもいいということだ。話すときに敬語など使うことはまずない。逆に冗談をいいあうほどで一緒に遊ぶこともある。塾生同士の仲もいい。土筆塾はとても雰囲気がいいのだ。だから塾に通う毎日が楽しかった。「いやだなぁ」と思ったことは一度もない。これは僕だけでなくて、ほとんどの卒業生が思ったことだろう。それだけ土筆塾は愛されているのだ。僕はこの塾に五年間通いつづけられたことを誇りに思う。
 土筆塾は僕を本当に大きく成長させてくれた。今までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

 土筆の作文・最後    (2003年)

 土筆で書く作文が最後だ。私は小学三年から中学三年までずっと土筆に入っていた。なかでも作文は小三からずっとやっている。特に与えられた題について書くというのではなく、気ままにいろいろと書いてきた。だが、もうそれが最後となる。まだ実感はない。だが、最後の作文なので一つ面白かった授業のことについて書こうと思う。
 中三の初めごろだったろうか。塾の国語の授業で森鴎外の『高瀬舟』をやったのが今でも印象に残っている。そのころ、私は近代文学に興味がなかった。それまで読んだ作品といえば夏目漱石の『坊ちゃん』ぐらいだった。だが『坊ちゃん』も「なかなか面白かったなぁ」程度だった。だけど『高瀬舟』をやったときは面白かったし、考えさせられた。弟の死をめぐる“安楽死”の話だ。また読みたいなぁと思ったし、他の近代文学の有名な作家たちの作品も読みたいと思うようになった。その後、私はしばらく入院することがあったが、入院中に再び『坊ちゃん』を読んだり、芥川龍之介の『羅生門』や、『芋粥』を読んだりした。樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』も読もうと思ったが歴史的仮名づかいだったので読んでいない。だけど、いつか読みたい。
 こんなふうになったのはやっぱり土筆にいっていたからだと思う。
 本だけではなく、政治のことに関心を持ったり、新聞を読むようになったりしたのも土筆に通ったからだと思う。七年間長かったと言えば長かったし・・・でも、やっぱり早かったのかなあ?他の学校の人とも小学校からずっと一緒だし、いろいろ楽しかった。米山先生とは中学になってから授業を受けたけれど面白い話とか画集を貸してもらったとか、うれしかった。
 土屋先生、米山先生そしてみんな、いままでありがとうございました。
                     ( 次回に続く)
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by tsukushi--juku | 2007-07-30 19:16 | Comments(0)
参議院選挙だ
 ぼやいてはいられない。やるべきことはみんなやろう。争点は多いが俺にとっての争点は憲法九条改悪阻止。次々明らかになった自民党の泣き所、政治と金。消費税増税を含む一連の増税問題だ。これらは政党間の姿勢の違いをはっきりさせている。憲法では自・公・民は同じ土俵だ。社民党さんよ、護憲を言うならなぜ民主党候補を推薦するんだ?金の問題は自民の恥部。増税では公明党さんよ、おたくは定率減税廃止の旗振りをした張本人。さて怒りの一票は……。
 せっせと手紙を書いていたら、コツコツとドアをたたく音。開けたら「せんせーい」近所の子ども達だ。そういえばこの子たち、七夕の日、笹につけた短冊に「天の川でおよぎたい」とかいていたっけ。まるで友達のようにやってくる。

     (前回の続き)
  
   
       君が代の歌       (中学2年)

 三月十九日、卒業式がある。僕の学校では曲だけだと思うが君が代が流れる。昨年の卒業式で大人は立って下を向いていたが、なかには歌う人もいた。
僕は立たなかった。それは君が代が好きじゃなく嫌いだからだ。天皇なんてどうでもいいと思っている。天皇は国の象徴だそうだけれど、僕は中学のころまで天皇を知らなかった。
この前まで君が代は国歌じゃなかったのに、国歌にしたとたん、おとなは歌う義務があるとかなんとか言っている。僕の中学では君が代はまだ勉強していないが、三年になったら多分、何かで歌わされるだろう。例えば音楽の時間だ。でも、いくら先生に歌えと言われても僕は歌うつもりはない。すごくうるさく言われても、校長に呼び出されておこられても担任に怒られても、その教室から出て行き、授業は受けないつもりだ。人に言われてもぼくは歌わないつもりだ。もしも「全員、歌わなければ内申に書くぞ」と言われても、僕は歌わない。人に「なんで歌わないの、内申点落ちたらヤバイよ」と言われたら「君が代がきらいだから」と答えるつもりだ。君が代がきらいでもそう言えず歌っていたら、世の中、意思のない人間になってしまう。
もしも僕の考えが変わらなければ、人のことは気にせず自分を信じて「君が代は歌わない、勉強しない、信じない」の三つを守っていこうと思う。

     「君が代」斉唱について       (中学2年)

 三月十九日に卒業式がある。昨日リハーサルをしたのだが、はじめの言葉のなかに「これからは君が代の歌詞つきで流すので、歌える方は歌ってください」というような言葉が入っていた。でもリハーサルの時は君が代の斉唱をしなかったのでよかったが、私は少しとまどってしまった。なぜなら、今まで君が代斉唱で立ったことはなかったが、歌詞まで流れると言うし、友達もすわる人なんかいないからだ。私一人座っていることが今の私にできるだろうか? もともと、人に意見を言ったり抗議したりすることが苦手でおくびょうな私が、本当にできるのか。もし座っていたら、みんなそれをどう受け止めるだろうか?みんなはこの歌をどう受け止めるんだろうか。そんなことを考えると、こわい。あとで何か言われるのもいやだし・・・。
 でも、君が代を国家と認めるのは、それ以上にいやだ。卒業式にどうしたらいいのだろう。もう少し私の心に勇気があれば、心が強ければこんなに迷わずにいられるだろうにと思うと、自分の弱さがとてもいやになってくる。


     女性暴行事件に思う      (中学2年)

 沖縄の北谷町で米兵による女性暴行事件があった。このことは新聞やテレビなどで大きく報道された。テレビでは沖縄の人びとにインタビューしていた。そのなかで「本当に頭にきますよ。こういう事件が起きるたびに思うんですよねぇ。早く米軍基地がなくならないかなぁってね」と話していた。僕もそう思った。
 僕たちは沖縄に住んでいないから、こういう事件が起きても真剣に考えようとはしない。でも、沖縄の人びとにとってはものすごく深刻な問題なんだと思う。
 先生が話していたが、このあいだの日米首脳会談で、小泉首相はアメリカに対して抗議をしなかったらしい。僕は、これが一国の首相がやることか!と思った。
 こう考えると沖縄の人びとが怒る気持ちが少しわかった。
 沖縄は日本の領土である。にもかかわらず米軍の基地が存在するというのは、おかしいことだと思う。日本も安保条約地位協定などという変な決まりのせいで、米兵をたい捕することができなかった。なぜ、戦後半世紀以上にもなるのにこんな決まりを結んでいるのだろう。こんな決まりを結んでいる必要があるのだろうか。

      子どもは物じゃない       (中学1年)

 このごろ、ニュースや新聞などで、“子ども虐待”などがよく取り上げられる。例えば夕飯をつまみ食いしたからといって、ポットの熱湯を頭にかけたなどだ。親の言い分は〝しつけ〟ということの様だが、ぼくはこれをただの言いわけだと思う。
 しつけだったら何をしてもいいのか。これはまちがっている。ぼくは、親から虐待を受けた子がかわいそうでしょうがない。その子は一生、心に傷が残るだろう。(死んでしまった子だっているのだ。)
 僕は、子どもが怒られるようなことをしても、多少はしかたがないだろうと思う。しつけにしても、限度というものがある。それをわかってほしいと思う。 
 このごろ親たちは、子どもを「物」のようにあつかっていると思う。こう言うことをしたら子どもが傷ついたり死んだりするということが、どうして分からないのだろう。皆んな、もっと子どもを大事にしろ!

 子どもたちの作文は、親を含む大人たちへの問いかけでもある。「あなたは一人の人間として、社会の中でどのような役割を担い、どのような責任を持ちながら、どのように生き、または生きようとしているのか」子どもたちは、そう問いかけているのだ。今、子どもを語るとき、大人自身の生き方をあいまいにすることは出来ない、私はそう思っている。
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by tsukushi--juku | 2007-07-16 18:39 | Comments(0)
政治への発言
国会が閉会していよいよ参議院選挙に突入ということになる。今日「最近のボヤキ」という雑文を書いた。
         最近のボヤキ

国会が閉会になって、参議院選挙に突入しようとしているのに、どうも元気が出ない。安倍政権のどれ一つとっても腹立たしいことばかり、その腹立ちを随分発信してきたつもりだが、何か、から回りしているのか大した反応もないし、このまま選挙に突入すると、根っこは同じの2大政党の中で、あっちに行ったりこっちに行ったり、ということになりそうな気がして、元気が出ないのかもしれない。物事を系統的に見る、関連付けて見る。そうした思考力は、子どもだけではない大人こそ失っているのかもしれない。
政治と金という問題一つみても繰り返し、繰り返し、もう自民党政治の恥部として長年問題視されてきた。そのたびに、自粛だ、法改正だとザル法を作り、言い逃れてきた。企業献金を自粛するからと、その代わりの金をせしめるために「政党助成法」を作り国民の税金を議員の頭数で山分けし(共産党だけ受け取りを拒否しているが)、今国会でも松岡農水相の自殺など政治と金をめぐって次々不正が発覚すると「政治資金規正法改正」などとまたまたザル法を強行採決して切り抜けようとした。どころがどうだ。またまた松岡に代わって任命された赤城農水相の問題が浮上した。これだけでも、もう改定した「政治資金規正法」が何の役にも立たないザル法であることがはっきりしたではないか。今回強行採決で成立した、安倍政権目玉の法律は、どれ一つとして、国民にとっては「百害あって一利なし」という代物だ。今、国民の不安と怒りを買っている「年金」問題でも、本来なら怒りが爆発してもいい問題。(国民よ、なんておとなしいんだ!)憲法「改正」問題も、教育問題も、安部政権の狙いは、系統的に物をみていくならもはや疑う余地のないほど戦前回帰の方向だ。安倍政権の「美しい国」の正体はこんなものだ。政権党はもちろんだが、戦前、戦後の政治の歩みを歴史的に見るなら、くっついたり離れたりの寄せ集め党がまた、正義にも真実にもかなったものではないことも明らかではないか。2大政党と言う、マスコミが鳴り物入りで作り出している流れも、似たり寄ったりだ。
一人でぼやいたところでどうしょうもないが、ぼやきたくもなる、というのが正直な心境だ。ごめんなさい。でも参議院選挙だものね、がんばらなくっちゃ。

 私がぼやいているようではなんとも情けない。土筆塾の子どもたちの政治への発言のほうがほうが昔も今も健在だ。 
              政治・社会への発言

    なにがダメなんだ       (中学3年)

 選択国語で、「青年の主張」という作文を書いた。
 先生が「自分の思っていることを書きなさい」といったので、おれは政治のことを書いた。内容は、小泉首相への批判的内容だった。おれは、その作文を先生に出した。  
 そしたら「ダメです」と言われた。「どうしてですか?」と言い返したら、「あなたにとって、政治のことはむずかしいからダメです」と言われた。
 「はぁ?・・・なんだ、この先生」。どなりつけてやりたい気持ちになったが、がまんした。
 しかし、どうしておれに政治のことがむずかしいんだよ。なめんなよ。まぁ、おれはこの先生に嫌われているからこう言うことを言われたと思うが、許せない、と思った。
 「あなたにとって、政治のことはむずかしいから」と言う理由で「ダメだ」と言われたのは本当に頭にきた。

 土筆の子どもたちは社会や政治のことについても、積極的に発言する。それは十年前も五年前もそうだった。もちろん今もそうだ。年代はまちまちだが、次に子どもたちの作文を紹介する。

イラク戦争反対        (中学三年)

 今、イラク問題が世界の話題の中心になっている。アメリカ側は、テロとの戦いだと主張しているが、多くの人々が、石油が目的だといい議論を巻き起こしている。アメリカの中でも、一般市民から戦争反対の声が上がり始めた。
 僕たちが受験勉強をしている間に、世界各地で反対運動がもり上がり始めた。反対する声はかなり大きくなった。攻撃をしかけようとする米英、それに賛成するのは数少ない国だ。
 これで戦争はしなくなるだろう、と思っていたが実際は違った。米英は全く考えを改めず、いまだに武力攻撃をする構えだ。世界の人々が、世界の多くの国々が反対しているのに、それらは全く無視だ。 
 イラクも戦争をすることは望んでいない。望んでいるのは、たったの数十ヵ国。それらの国の中でも多くの一般市民は反対の意思をしめしている。こんなにも反対の声が上がっているのに、なぜ戦争をやめさせることができないのだろうか?
反対運動やデモの力は、そんなに弱いのか。
 反対運動が無意味だとは思わない。戦争がおこるのをくい止め、遅らせているのは反対運動によるものだ。
 しかし、そうすることはできても米英の意思を変えるまでには至らない。結局はブッシュとブレア両首脳を中心とする政治家たちによって米国も英国も動かされてしまっている。
 ブッシュ大統領の行動はあまりにも身勝手だ。アメリカ国民の意思を無視し、大統領という地位を利用し、自分の考えだけで国を動かそうとしている。英国のブレア首相も同様だ。これが民主主義の国だろうか。どこが国民主権なのか。なぜ、このような国が世界で最も強い力を持っているのだろうか。
 この前、米英が新たな動きに出た。「フセインをとるか、われわれをとるか、どっちだ?」と迫った。自国の強大な軍事力、権力を利用し、国をあげての脅しにかかった。これが米英の国を代表する人たちによる行動だと考えるとあきれてしまう。子どもにあきれられる大人も大したもんだ。
 このまま事態がすすめば、必ずといっていいほど、戦争は起こってしまうだろう。第三次世界大戦にまで発展するかも知れない。そうしたら、悲しいことに,日本は米英の味方をすることになるのだ。
 太平洋戦争以後も、朝鮮戦争やベトナム戦争があった。まだ戦争の時代は終わっていない。現代でも戦争時代の終わりは見えない。いつになったら終わるのだろうか。
 しかし、ただぼんやり思うのではなく、戦争時代をおわらせるために、自分たちで行動を起こすことが大切だ。そうして本当の民主主義を作りあげなければならない、と、思う。


日本社会について       (中学3年)

 人と人とのふれあいが少なく何か得をすることがないと何もしない人が激増している。家族以外の人とのふれ合いが少なくなっている。 
 さらに何か得をすることがないと、必要以上の労力を使いたがらない。これは日本の現代社会の特徴である。
 社会をひっくり返さない限りこれは変わらないだろう。
 また、マスコミに誘導されやすい。これは弱点中の弱点である。なんとなく、もっともらしい意見を書き、あらゆるメディアから情報を流せば自分の意見より、そっちの意見を優先させてしまう。
 こうしてみると“核”よりもマスコミの方が恐ろしくなってくる。

   靖国問題        (中学2年)

 小泉首相は、八月十三日に靖国神社に参拝した。この問題については、随分前から世界各国から批判されていた。特に中国・韓国。十三日のテレビで小泉首相が靖国神社を参拝していたのを見て驚いた。十五日ではなかったが、どっちにしろ参拝したのだ。
小泉首相が参拝する前に、私の友達が遊んでいる時に聞いてきた。「小泉さんの靖国神社参拝のこと、賛成?反対?」私はもちろん「反対」と言ったがその友達はとてもビックリしていた。この友達は小泉首相が好きらしい。そして、その友達は「靖国神社には、戦争で亡くなった方がまつられているのに、どうして他の国から反対されるのだろう?変だと思う。」と言ってきたので、私は聞いてみた。「あそこは戦争で亡くなった人だけまつっているんじゃないよ。戦争犯罪人もまつっているんだけど、知ってた?」「えっ!」と友達は驚いていた。
やっぱりその友達は靖国神社についてあまり知らず、小泉ファンとして小泉さんが批判されるのが嫌だったのだろう。
 こういうふうに、好きだからとかで選挙で投票したりするのは、やめたほうが良いと思う。それに、この友達に「もっと新聞を読め!」と言いたい。(次回に続く)
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by tsukushi--juku | 2007-07-08 22:23 | Comments(0)
学校とのかかわりの中で
学校とのかかわりの中で
 
 学校は子どもたちが一日の大半を過ごすところだ。それだけに学力の習得はもちろん、よかれ悪しかれ学校が子どもたちに与える影響は極めて大きい。
 学校の日常の中で、子どもたちはどんな体験をし、何を感じ何を考えて日々を送っているのだろうか。子どもたちの作文を通してその一端を紹介してみたい。

    第一次給食大戦争      (中学3年)

 わがクラスは、給食のときに戦争になる。特にゼリーなどの個別に分けられるものではなく、御飯のような目分量で分けるものは、タイムサービス品に群がるおばさんたちのようだ。
 これは数日前の出来事だ。この日はピラフが大量に余った。まだ挨拶もしないのに、何人かがターゲットを狙って警戒していた。そして「いただきます」の言葉。それとほとんど同時に、何人かの男子が我先にとコーンピラフに向かった。が、距離の近いほかの男子に、コーンピラフをすくうためのしゃもじをとられてしまったのだ。
 しかし、彼はしゃもじを使うなんて頭にないようだ。近くにあった平たい皿をつかってピラフをすくったのだ。この行動はさすがにぼくも驚いた。ここまで頭が働くとは!ものすごく食べ物への執着が強いのだろう。
 この戦いは、今も続いている。彼らの戦いは給食がなくなるまで終わらないだろう。

    暑い            (中学2年)

 今年の夏は、異常な暑さになりそうだ。ここ最近とても暑い。この暑さで熱中症になって何人も死んだそうだ。
 うちの学校のうちのクラスでは、一日三人も早退した。教室はクーラーなんてものはないし、かろうじてふつうサイズの扇風機が一台上のほうについているだけだから無理もない。教室の中は地獄の暑さだ。
 授業も、この暑さでみんなぐったり、だからあまり進まない。こんな状況下で唯一の救いはプールのある日だけだ。とても気持ちよくてみんなはしゃぎまわる。
 音楽の授業もいい。クーラーがあるのはこの授業だけなのだから。音楽の先生は「みんなが服装をきちんとして、姿勢をちゃんとしなければクーラーはつけない」といってくる。学年一授業態度が悪いうちのクラスも、これには一致団結だ。必死になって服装や姿勢をよくする。
 暑くて暑くてこんな感じだが、それでも今日は大分涼しく過ごしやすかった。八月から九月にかけてどんな暑さになるだろう。

    クラスのきらわれもの       (中学1年) 

 ぼくのクラスに、Aさんと言うみんなからきらわれている女子がいる。どういうふうにきらわれているかと言うと、例えば「わぁ、くるなよ、ブス」「どっかいけぇ」などといわれているのだ。しかし、これは男子の例で、女子はといえば彼女が通った後、イヤーな顔をする。男子も女子もどっちもどっちといった感じだ。
 ぼくは、彼女がなぜきらわれているのかはよく知らない。だれかがいうには「ブスだから」「不潔だから」だそうだ。そんなバカな!とぼくは思う。ブスの女子なら校内探してもたくさんいる。美人よりブスのほうが多いくらいだ。
 ぼくは彼女とは今年初めてクラスが一緒になった。ぼくは人を差別するのはきらいなので、彼女を普通に見ていたが、次第にぼくは彼女がきらいになった。最近では「わーよるなよ、ブス」「こっちくるな、バカ」などと言う言葉を平気で連発するようになった。
 掃除の時間に男子がきゃぁきゃぁ言ってふざけていた。だれかにタッチされては、それをまただれかにつける。これを繰り返しているのだ。何をつけているのかと言うと例の「A菌」だ。だれかがAに触られたらしい。そしてその菌回しがぼくにも回ってきた。(こんなことで菌が回るわけがない。実にくだらん)ぼくは今までそう考えてきた。しかし、ぼくのとった行動は違った。「うぎゃー」と言って近くの人にタッチして、その菌回しのグループに入ってしまった。ぼくは完全に人を差別する人間になってしまったのだ。
 なぜAを嫌わなくてはならないのか・・・それは自分のためなのだ。Aをきらわないと「お前、Aが好きなんだろう」と言われるからだ。そしてしまいには自分もきらわれてしまう。
 ぼくは自分のためにAを仲間はずれにしたり、悪態をついたりしてしまったのだ。
 ぼくのクラスも、ぼくも、このままでいいのだろうか・・・。

     先生と生徒         (中学2年)

 数学の時間に、O君が先生の注意も聞かずにしゃべっていた。先生はO君のところへ行き何度か注意した。最後にO君の頬を一発たたいた。O君は怒って、先生の腹を二、三回ひざでけった。
クラスのみんなや私は、「やめなよ」と注意したが、O君は先生の言葉に反発し続けた。その後、何人かの男子と女子が止めに入った。何とかやりあいは止めたが、二人のにらみ合いは止まらなかった。
 O君は職員室に連れて行かれた。その後、クラスは他の学年の人たちでいっぱいになり、O君の話題でいっぱいだった。
 O君は前々からよく注意されていたが、私もその先生はあまり好きではない。いまだに生徒の名前も覚えていないし、授業で質問しても「そう聞かれても困るんだよね」と言って流されてしまう。それに、黒板に書いていることがいつも違っている。一度や二度ではない。授業のたびに、多いときには五ヵ所以上も間違える。これではわからない人たちが余計わからなくなる。O君もO君だ。やりたくないのなら、外へでも何でも行っていればいい。周りの人が迷惑することはしてほしくない。O君とは班が一緒だが私は注意も出来ない。自分の意見をはっきり言うKちゃんを見習いたいと思う。

    歴史の授業         (中学2年)

 この間の歴史の授業のとき、歴史の先生がA君に質問した。
「おい、A。お前漠然的に考えて、戦争反対か?」 (今は日清、日露戦争の勉強をやっている。)
「反対です。」
「じゃあ、なんで当時の人は戦争に賛成する人が多かったんだ?」
「・・・? わかりません。」
「じゃあ、例えばお前の友達のBとCが他の国の人に銃を突きつけられたら、お前どうする?」
「・・・うーん、戦う。」
「それって防衛戦争じゃん? お前さっき戦争反対って言ったじゃん。いってることとちがうじゃん。」
「えっと・・・うーん・・・」
 A君はかなり困っていた。
 その時、先生は「悩んでくれてありがとうな」とニャッと笑って
「さっきA君は友達が殺されそうになったら、戦うっていったけど、今の憲法では戦争を二度としないと言っている。武器も持たない、軍隊も持たない・・・。でももし他の国が戦争を仕掛けたらどうすんの?さっきA君に聞いたみたいに、BとCが敵に殺されそうになったらどうする?武器も使えねぇんだぜ、おい、D、どうする?」
 などの質問をいろいろな人に浴びせ、その結果『侵略戦争はダメだけれど、防衛戦争はよい』と言う結果になった。聞かれたほとんどの人が、そう答えた。
 先生は満足そうに、
「じゃあ、憲法9条、変えればいい」
と言った。そして、質問した生徒たちに、
「憲法、変えればいいか?」
と問い、生徒たちは先生に同意した。
 まったくもってこの先生はバカではないかと私は思った。戦後60年近く日本に戦争がなかったのは、この憲法のおかげではないか。生徒が答えられないような質問をし、自分の意見に同意させた。
私は侵略戦争だとか、防衛戦争だとか、よいとか悪いとか言いたいんじゃなくて、どっちの戦争にせよ憎しみを生むだけだと思った。

いじめ、教師の暴力あるいは言葉の暴力などなど、この種の作文は多い。それだけ学校現場が、子どもたちにとって安心していられる場所ではなくなってきていると言うことでもあるだろう。授業そのものも子どもたちをひきつける魅力を失っている、そんな感じがしてならない。まして右の作文のような授業が行われているとしたら軽く見過ごせることではあるまい。

  私も受験生      (中学3年)

 私も、とうとう三年生になり、周囲からは「受験生」なんて呼ばれる立場になった。進路のことも考えなくてはならない。将来なりたいものはたくさんあるけれど、高校は普通科で受けたいなあ、なんて思っている。どこを受けるかはまだ考え中だが、高校に行きたいのは変わらないから、今のところ勉強を頑張るしかない。
 偏差値という一つの目安がなくなり、よく「内申、内申」と叫ばれるようになった。三年生になり、ほとんどの人が内申を気にするようになったのか、委員、係り決めの時、よく手が挙がった。特に、委員会の方だ。あんまりこんな言い方はしたくないが、委員になる人って、ちゃんと仕事を責任もってやってくれるだろうか?二年生の時、委員になったのはよかったけれど、仕事を最後まで責任をもってやっているようには見えない人がいたから、そう思うのだ。他のクラスの人といっしょに委員になる約束をしていたりする人もいる。役員をやっていないからというわけじゃないけれど、普段の生活と勉強を頑張り当日の実力で受験するしかないけれど、やっぱり、こんなの変なのかな?
 たしかに、英語や数学は文法や、公式を覚えそれから問題を解く。応用力をつけ受験する高校の傾向の問題を解く、というようになっている。
 これが、本当の教育か疑問だが、そんな変な流れが変えられないまま、とうとう私もそのレールに乗った。この変な流れは当分変わらない、と思うから、これに乗ったまま受験という一つのハードルに進んでいく。
 だけど、受験バカなんていわれたくないから、テストにはあまり関係ないけれど、今問題になっていることや、社会的なこと、政治的なことも理解するようにしている。こんなことはないと思うけれど、変なレールに乗せられて教育を受けた私たちが、未来の官僚になったとき、こんな日本を変えられるか?と問われて本当に変えられるかどうか自信はない。
 このごろ、いろんな授業で「忘れ物をしたら10点引く」だの、「自分から応えないと点数をあげないぞ」だのと先生が言う。点数点数とテストならしょうがないけれど普段の授業で言われても困る。授業ってそういうものじゃないと、私は思う。点がほしいから、点を引かれたくないから、一生懸命授業を受ける。先生にとってはまじめに授業を受けるようになるから良いかもしれないけれど、逆に、どうして授業を受けているのか根本的なことがわからなくなってしまう。そして、点数がどうのこうのといわない先生の授業では、とことんふざけている。
 これでは、先生が生徒をダメにしているようなものではないか。それなのに、点がどうのこうのと言う先生は「授業は心と愛」なんていっている。バカみたい。
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by tsukushi--juku | 2007-07-02 11:47 | Comments(0)