2016年 12月 04日
カストロ死
フィデル・カストロの死と私の青春
十一月二十五日、キューバ革命の父、偉大なフィデル・カストロの死が 報じられた。 カストロの死は私の青春と重なる。 青春時代に書いた私の拙い詩だ。 来週まで待ってろよ 「全県活動者会議、日曜日午前一〇時より午後八時まで」 茶封筒のなかの一枚の紙片 とたん 心臓に幕 またか 先週は細胞会議 先々週は地区選対会議 まったくついてねぇな だが待てよ、何とか口実を見つけて 私的な用事じゃまずい サークルの学習会があるってことにしようか それとも組合の仕事があるってことがよさそうだ そしておれはその日 療養中の恋人に逢いにいくこと 彼女のやつ待っているだろうな もう二週間も逢っていないからな おれはその日を設計する すべてがバラ色だ 胸が膨れる温かく 勘弁してくれよ 党をさらりと脇へのけ おれは密かにニヤリと笑う 夕食時だ いつもの癖 夕刊に目を落とす 勢いよく目に飛び込んだ活字 アメリカ、カリブ海 海上封鎖! 畜生、やりゃがったな 暴れ出す心臓 一字一句見のがすな ワニザメどものやり口を おれはまっしぐら一秒とはかからぬ キューバは近い フィデルよ フィデルよ キューバの同志たち だがその時だ おれの横っ面ぴしゃりとたたくやつ 目の前に突き付けられた銃口 おれは動けぬ ガラガラと崩れる内部 ええい どうしたらいいんだ じっと見つめる黒眼 あなたは細胞長よ 任務を果たさなくちゃいけないわ 私たちの愛は党と共に輝く そう教えてくれたのはあなたよ、いいわ、待ってるから ぐるぐる回りゃがるぜ キューバが 党が 彼女が おれは沈黙 長い時との戦い よし、崩れた設計図は もう組み立てまい 来週まで 待ってろよ 長い療養所暮らしだった恋人は退院し、私たちは結婚した。あれから五一年、私は八二歳になり、昨年『命ある限り、この一筋の道を』を書いた。妻も白髪になり、やや、背も曲がって年老いた。だが、妻は、一〇月二二日沖縄・東村高江、米軍オスプレイ建設工事強行に反対する人達を支援するために、沖縄に行った。 私たちはまだ元気だ。
by tsukushi--juku
| 2016-12-04 21:34
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