土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

素敵な巻き絵手紙
素敵な巻き絵手紙
何年ぶりになるだろうか、日野市のかつての通信読者Tさんから、拙著『命ある限り、この一筋の道を』購入代金と、エッセイが送られてきた。
 彼女とは私の一冊目の本『学び創り遊ぶ』を発行した頃からのつながりで,もう、二十五年以上になるだろうか。私の三冊目の本『子を思う』出版記念の集いの折、わざわざ来てくれて、それが初対面だったと思う。土筆通信は送っていたがもう何年も途切れていて、年賀状程度のつながりになっていた。ただ、彼女の描いてくれた、絵入り六〇~七〇センチメートルはどの巻き手紙は二枚、教室に飾ってきた。素敵な巻き絵手紙で一枚は拙著『子を思う』の中の言葉を、これもまた味のある筆文字で書いたものだ。

 「教育は、人間が人間を教え育む営み。教師という人間が、これから成長していく子どもに、知識を教えたり、知的、文化的、あるいは人間的刺激を与えたりしながら、子どもの心に働きかけ、子どもの内にある力を引き出し、子どもが自分の力で学び成長していけるように援助しつづける営みだ。そしてそうである以上、教師と子どもたちの間には、何よりも心のふれ合いがあり、温もりがなければならないし、信頼関係が土台になければならない。権威や権力で子どもを管理したり、規則を張りめぐらしてそれに従わせたり、暴力・体罰でおどしたりすることを、教育、指導などと思いこんではならない、と私は思うのだ。教師は、自分の全人格、人間性をかけて子どもと向き合い、教育的力量や人間的魅力、価値観や人生観を通して、子どもの成長を援助できるようでありたい。」七七~七八ページ}

 というもの。もう一枚は、出版記念後送ってくれた巻き絵手紙だ。

 出版記念会の盛況おめでとうございました。
 一人ひとりのお話、そして何よりも土屋先生のお話,胸うたれ何度涙したことでしょう。教育の原点ここにあり、つくしの子、卒業生、そして保護者の方々のかけがえのない心のオアシス、そして、さらにさらにその輪が広がりますよう念じています。
    土屋春雄先生       ( 97・9・3)


 というものだ。
 そして今回、またまた素敵な巻き絵手紙。1メートルもある。『命ある限り…』の拙著の中の『三年生』という詩とけん玉、風船、楽器を奏でる男の絵。鮮やかなカラーが映える。

    三年生

午後一時半/おそい昼食をひとりでぼそぼそ食べていると/-- 先生/ともう何人もの子どもがやってくる /今日は水曜日だから/学校は半日/塾での授業は/2時半からなのに
 ――大急ぎで食べるから待ってな/お茶ぶっかけて/シャリシャリシャリシャリすすりこむ/外はいい天気 だ
 ――先生、カンケリやろ、先生が鬼だよ/学校の早い日は/いつもこうしてやって来て
いつもこうしてぼくは鬼/後から後から遅れた子もやってきて/後から後から隠れて行って/鬼は探すのにいそがしい/向かいのアパートのおばさんが笑っていた
何回も何回もカンをけられて/何回も何回も鬼になって/やがて授業の時間になる
――時間だぞ、教室へ入れ
算数でも国語でも/ハイハイハイハイ小さな手を天井につきあげて/当ててほしいと催促だ/餌をねだるヒナ鳥のように
遊びだって/勉強だって/楽しいものでなければならないはずだ/そんな遊びも勉強も
学校にも地域にもなくなってしまって久しい/
ぼくは塾の先生/ちっぽけな ちっぽけな寺子屋塾の先生/四年生も 五年生も六年生もやってくる/それぞれに遊びも勉強も夢中だ/ぼくもまた/遊びも勉強も夢中でやろう/子どもたちと/ぼく自身の成長のために

こんな詩だ。この巻き絵手紙も教室に飾った。

 今回と言わず今までも、本や土筆通信がとりもつ人の輪は、本当にありがたい。以前土筆通信にも書いたが、まさに心の財産だ。今回の『命ある限りこの一筋の道を』出版に当たっても、ずいぶん人の輪は広がった。中学時代の同期生は、何人も,購読と共に沢山のカンパをくれた。大学時代の仲間も、何人も購読とカンパを寄せてくれた。神戸時代の教え子も、今まで歩いてきた道に沿って結びついた人達も同様だ。
 札幌の読者は高価な「夕張メロン」を送ってくれた。福島の読者は、サクランボと沢山のカンパを寄せてくれた。何冊も何冊も本をひろめてくれている読者もいる。今回の本出版を勧めてくれた佐々木さんと笑いながら話す。「私たちはお金には縁がないけれど、心の財産は多いね」と。(土筆通信1331号の一部)
 
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by tsukushi--juku | 2015-07-02 12:30 | Comments(0)