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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

足跡―心の財産
 足跡―心の財産

2014年2月11日、私が若い頃勤務していたII診療所(現・Iクリニック)60周年の集いに出席した。I診療所はI病院を経て現在のIクリニックになったのだが、60年の歴史を刻んだのだ。私が勤務したのは15周年を迎えた頃の3年間だった。当時、私は32歳。日本民主青年同盟兵庫委員会の専従だったが、要請されて兵庫県会議員に立候補、選挙戦を戦って次点で落選。その後、神戸市議会議員選挙予定候補者となって、I診療所に事務長として勤務したのだった。
 その頃の私は健康そのもの、病院などほとんどかかったこともなく、医療のことなど全く知らなかった。右も左もわからない「借り物事務長」だったのだから迷惑をかけることの方が多かったと思う。在任中、I診療所は15周年を迎え、記念文集を発行したが、その文集に私の文章「昼となく夜となく―I診療所の一日」が載っている。その文章の冒頭に書いた拙い詩だけ引用しておく。

  15年の歳月は決して短くはない/ましてその歩みが苦難の連続であっただけに/
  厳しい労働と貧しさの中で健康をむしばまれた人々をしっかりと受け止めて夜となく昼となく続けられた診療の日々/心と心のふれあいが/断つことのできない信頼となって/支えあい支えあい/ここに15年の年輪を刻む/
  わたしらのI診療所よ/さらに深くさらに広く根を張れ/吹き荒れる嵐に立ち向かうために/
  あるものは6人の子どもを育てるために/生活の重みに耐えながら厳しい労働に明け暮れた/あるものはわずか4人の家族を支えるために/乏しい主人の給料に内職を余儀なくされ深夜までゴム靴を貼った/またあるものは日本軍国主義が朝鮮を支配下に置いた時/力づくで引っ張ってこられ/差別と屈辱の中で長い年月その額に苦悩のしわをきざんだ/
  肝硬変 腎炎 リュウマチ…さまざまな病名を背負って/今、診療所の待合室を埋める/
  患者という共通の名で呼ばれても/そこには厳しい労働と貧困と怒りと悲しみの歴史がある/ぼくら/虐げられ 健康をむしばまれた人々の側に立つ/
  ぼくら 働くものの診療所、I診療所従業員/働く者への愛情と連帯を込めて/圧制者に怒りの眼を据える/民主医療機関の灯を高く高く掲げて/

あれから45年以上の歳月が流れた。わずか3年間の勤務。私はまたもや突然の要請で退職し、上京した。国会議員秘書としての仕事に就いたのだ。短い間のI診療所勤務だった。
  そのIクリニックから「60周年記念の集い」の案内状をいただいた時、私はなんのためらいもなく「出席」の返事を送った。万難を排してでも出席したかった。迷惑ばかりかけたW先生や、苦楽を共にし、お世話になった仲間たちに会いたかった。わずかばかりの私自身の足跡を確認したかった。
  亡くなった仲間たちもいた。病気で来られなかった仲間たちもいた。だがW先生初め何人もの仲間たちに会った。名前も思い出せない地域の方たち、私が県会議員選挙を戦った折共に活動したという方、たくさんの方たちから声をかけられた。ここにも確かに私の足跡があった。わずかばかりの足跡だったが、抱き合わんばかりに歓迎してくれた仲間たち、しっかりと握手で迎えてくれた仲間たち、ここでつながった人たちもまた、かけがえのない私の心の財産なのだ。
 
  ちなみにもう一つ加えておこう。私が、東京から神戸に行ったのは教師としての職に就くためだった。高校(付属中学を含む〉教師生活6年間、この折も強い要請があって退職、民主青年同盟兵庫県委員会の専従になったのだが、その教師生活時代の同僚2人と会食したこと、当時中学2年生の一年間、国語を教えただけだった2人の教え子も会いに来てくれて、三宮駅近くの喫茶店で数時間談笑もした。ここにもまた私の足跡は残っていた。2泊3日の神戸は心を膨らませてくれた。いい旅になった。
  
  間もなく私は80歳になる。今では限界集落になってしまった山奥の少年期の幼友達、中学、高校時代を共に過ごした友達、大学時代の友人。それぞれ、今もなお時には会い、時には土筆通信や文通でつながる沢山の仲間たち。みんなみんな心の財産だ。
  塾の教え子、塾を開いてから様々な形でつながっている人達、趣味の卓球仲間、歩いてきた80年の人生の中で、つながったたくさんの人々。心と心をしっかりと紡ぎながら、さらに明日に向かって歩き続けたいと思う。       (2月13日)
  今回の土筆通信はここで終わるつもりでいた。14日朝、寝覚めて布団の中でつらつら考えた。「待てよ、昨日書いた文章は、後ろばかり見て書いたようだ。足跡は後ろにばかりついて回るのではない。前に向かって刻みつけていく足跡だってある」と。
今、私たちの前には茨の大地が続いているが、道は切り拓かなければならない。新しい足跡を付け続けなければならないのだ。沢山の人が踏み固めた足跡が多ければ多いほど、明日への道は拓ける。私の心の財産もその後にふくらんでいくに違いない。サムエル・ウルマンの詩「青春」の中に次のような詩句がある。書き留めておきたい。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
時には、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。

   (土筆通信1262号の一部)
by tsukushi--juku | 2014-02-17 20:33