土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

松井幹夫先生の死
松井幹夫先生を偲んで 

「しんぶん赤旗」の記事で、松井幹夫先生が亡くなったことを知った。まず、記事をそのまま転載する。
 松井幹夫さん(まついみきお=数学教育研究家、元自由の森学園学園長)4日、死去。84歳。東京高等師範学校卒業。1959年明星学園の教師に。数学教育協議会の中心的メンバーとして活動。83年自由の森学園の設立に尽力し、95~97年同学園学園長。葬儀は近親者で行いました。喪主は妻、まついのりこさん。主な著書「若者たちは学びたがっている」。1949年日本共産党に入党。

 松井幹夫先生にはずいぶんお世話になった。つい先日も、著書「算数たんけん⑩少数のかけ算の秘密」(偕成社刊)を寄贈していただき、送られてきたばかりだった。先生は2回も土筆塾で授業をして下さったし 拙著『子を思う』の出版記念の集いの折はわざわざ来てくださって、ご挨拶もいただいた。80歳を超えているのに大変元気で、全国を飛び歩いて算数・数学教育に大変な情熱を傾けられていた。今年の年賀状で、近況報告をいただき、「上向結腸末期がんと肝臓への転移」で、山梨県の「玉穂ふれあい診療所」に入所さてたことを知らされて、驚き、さっそく手紙を書いたのが最後となった。
 がんが発見されたのが、昨年の10月17日。だがその後も教育活動は続けられ、直後の10月27日、湘南学園小11月15、16日、滋賀県五個小学校で2時間の授業。11月19、20、自由の森学園公開研究に参加。21日に緊急入院。そして手術。だがガン摘出も抗がん剤も適さず、ホスピス「玉穂ふれあい診療所」に入所することになったという。入所しても算数・数学教育への情熱は衰えず、奥さんの、のりこさんと共著で「算数探検シリーズ⑪」の発刊を目指している。近況報告ではこう書かれている。

 すさまじいまでの情熱と生きざまに圧倒されながら、私も生涯をかけて子らと日本の未来のために生きたい、と思う。私には先生のような力量はない。だが、たとえ小さな力でも、これでよかったのだと思える人生を送りたい。松井先生の訃報を前に、改めてそう思う。
 
 松井先生を偲んで、拙著『子を思う』の出版記念の折にいただいたごあいさつの全文を
掲載させていただく。

 今日はおめでとうございます。
 自由の森学園の学園長を3年やりまして、今年3月退職したわけですが、私はもっと自由に自分自身を楽しみたいと思ったわけです。授業だけはさせてもらっているんですけれど、学園長を辞めまして、講師という身分になりまして、日本のあちこちで授業をさせてもらって歩いています。
 私は小学校の教師、中学校の教師、高校の教師と全部経験しましたので、楽しくわかる算数の授業、こういう授業の在り方があるんじゃないかということで授業をさせてもらって歩いているわけです。
 実は私、自由の森学園を遠藤豊と一緒に作る前まではですね、寺子屋学園という小さな塾の学びの場を、中学生、高校生が中心ですがやっておりました。遠藤豊に誘われて自由の森学園の設立に身を投じたわけですけれど、大きな学校を作るのと、小さな塾を、地域に根ざしてやるのとどっちがいいかということで、本当に悩みました。
 唯、日本には、子どもを偏差値で差別するということを絶対にやらない、中間テストとか期末テストとかをやらない学校というのがないもんですから、一つぐらいそういう学校があって、子どもを真にのびのびさせる学校があってもいいのではないかと考え、学校作りに身を投じました。
 けれども、今日、こちらに来ましてね、土屋さんの日ごろの実践の姿を、皆さんを通して拝見しますと、こんなに地域に根ざして、子を思うことを貫いた教育実践、本当にこれこそ本物だな、というふうに思ったのです。
 今度の本も、私は隅々まで読ませていただきましたけれど、その中で、大雨になってずぶぬれになって塾に駆け込んできた子どもたちを、土屋先生が、自分のありとあらゆる着物ですね、ジャージとか、Tシャツとかそういうものを着せてですね、濡れたものを脱がせて…、そういう作文がありましたね、長いジャージなものだから、ついジャージのひもの所を踏み抜いて切ってしまって、「ごめんね」って書いている。あれを読みまして、学校で教師はここまでね、子どもの心を受け止めて優しく迎えることができているだろうか、と思いまして、土屋さんには負けたなぁと思いました。
 この負けた代わりをお返しするために、私はさっき土屋さんに、自分が一生をかけて、楽しくわかる算数を追求してきた、その算数の、一番エッセンスになるところがあるわけですよ、その授業を何とか土筆塾でさせてくれないかとお願いいたしましたらね、実はそういうことを考えているんだ、いろんな人に月一回ぐらいずつ来ていただいて…
 そういうことを考えているという、これはなかなか競争が激しい(笑い)と思いましたけれど受け入れていただけそうで、楽しみにそういうチャンスが来るのを待っています。
 私ももう70歳を超えましたけれど、おかげさまで体の悪いところは一つもありませんで、全国を飛び歩いて授業をしながら、自由の森の学校でもしている。土屋さんも健康だということでこれからも末長く、こういう本当の教育、日本には本物の教育があまりにも少ないわけですから、こういう、地域で深く根ざして、人と人のつながりを網の目のように作り上げていらっしゃる、それはすごいですよね。これを、ぜひ続けて発展させていただきたい、と心から願います。どうも本日はおめでとうございます。

 人はいずれ人生の幕を引かなければならない。私だってもうそう長くはないだろう。限られた人生を、だれのために何のために生きるか、それはすべての人に突き付けられた課題でもあるのだ。とりわけさまざまな困難に直面し、将来を見通すことの難しい「現代」という時代の中で子らの未来と日本の未来のために、どう生きるのか。その課題を改めて自らに突き付けて、悔いのない人生を送りたいと思う。

              ご冥福をいのりつつ
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by tsukushi--juku | 2012-02-10 11:54 | Comments(0)