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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

今年の暑い夏
            今夏の感想―幼児虐待死と老人の行方不明と熱中症死と

 なんともやりきれない報道が踊っている。
 大阪で23歳の母親が二人の子どもを置き去りにし、死に至らしめた事件。3歳と1歳の子ども。胸が痛む。報道ではこの母親も「母親は幼いころ離別して父親と妹の3人暮らし」だったという。父親は高校の体育教師、ラクビー部の監督で「帰宅は深夜で、休日もなかった」という。子どもへの責任を放棄して、ラクビー部監督という居場所に『逃避』したと思えてならない、そんな生活だったようだ。その娘が今回、二人の子どもの、母親という責任を『逃避・放棄』したということになる。19歳で結婚したという、まだ大人になりきれない子どものようなこの母親が、引き起こした悲劇。だが、どんな母親でもはじめは子どもがかわいかったに違いない。愛情をそそいでいたに違いない。どこから狂ってしまったのか。「そんなに大変なら俺が面倒をみてやるのにな」そんな呟きが出る。子ども好きな私にはやりきれない事件だ。
 100歳以上の老人の行方がわからなくなっているという報道も後を絶たない。東京大田区で104歳の女性が白骨遺体で発見されたということに見られるように、その多くはすでに亡くなっているのではないか、そんな状態が今回表面化するまで放置されていた。行政の対応にもあきれてしまうが、この大田区の白骨遺体の例、その母親の年金を受給していたという息子、こうしたことに頼らざるを得なかった貧困、なんともやりきれない。
 今年の夏の異常さ、猛暑が続く中での熱中症によるさまざまな死も、その48,6パーセントは65歳以上の高齢者だという。さいたま市で、熱中症で死亡した76歳の男性は「生活保護も受けないまま電気ガス電話を解約し,近所とも交流せずに息子と二人で暮らしていた」らしいが、根底には間違いなく『貧困』が横たわっている。いずれの「死」も詳しいことは新聞で報道されているから省くが、こんな国が幸せといえるだろうか?
 子どもの虐待、老人の姥捨て同然の置き去り、そして孤独な死、若者の働く場を奪い、希望をもてない状態に追い込んでいくなどなど、この日本。数え切れない不幸が弱い立場のものに向けて牙をむく日本。こんな国が幸せといえるだろうか。
 一方政権は、菅首相続投だ、小沢待望だと政権争いにうつつを抜かす。かつての自民党政権と同じだ。マスコミはあげて、そんなどたばた政権争いの情報を垂れ流すだけ。富者はどこまでも豊かに、貧しいものは踏んだりけったり。これが幸せな国といえるだろうか。政権に何とかしてほしいなどと頼ったところで当てにならない。主権は国民にあり。だまされない確かな目を養い、今度こそ、真に政治を動かす力を発揮しなければならない。
次の選挙が待たれる。 

今年の夏は「ガキ大将」


 夏休みの間は、いつものことだが中3の夏期講習と8月分の通常集中授業。8月の通常授業の方は、7月後半と8月後半に分けているのだが、今年は休みが多く、少人数での授業となった。
 授業のほかにも何やかやお呼びがかかって、特に8月後半は「ガキ大将」の夏になった。25日は北多摩クリニックの「子ども保健学校」で手作り教室というのがあって竹とんぼ作りをするという。教える人はいるというので、少しだけのぞいていてみようと、軽い気持ちで出かけた。小刀さえ持ったことのない子どもたちに教えるのだから教える人も大変だ。見るに見かねて何本か作ることになった。出来上がった竹とんぼを飛ばして喜ぶ子どもを見るのは気分がいい。
 26日は以前から頼まれていた「西堀・新堀コミュニテイセンター」でのパチンコ作り。大島に行った折集めて持ち帰ったアオキの潅木のまた、飛ばすたまにするキフジの実、池袋まで出かけて買ってきたチューブのゴム、などなど紙袋に詰めて出かけた。12名ほどの子どもたち。
 全員作り終えてコミセン裏の林で、ダンボールで作った的に向かって、しばらく的当てを楽しんだ。もっとやっていたいふうだったが予定の時間もあって引き上げた。嬉々として的当てに興じる子どもたちと遊ぶのもいいものだ。
 29日、グリーンタウン団地の夏祭り。頼まれていた子どもコーナーでベーゴマ回しをした。入れ替わり立ち代り子どもたちがやってくるから忙しい。去年のきたという子どもたちもいて楽しみにしているらしい。「ベーゴマ売って!」などという子ども「来年もやる?」などという子もいて結構人気がある。何人か大人も加わって楽しんでいた。
 この団地祭りでは毎年卒業生の親や塾生など、知った顔に出会うのも楽しい。今年は珍しい人から声をかけられた。なんと、かつての塾生だ。小学3、4年のころだったろうか。作文に通っていた子だ。やせっぽちでかわいい子だったが、堂々たるお母さんになっていて、4歳になるという娘を連れていた。声をかけられなかったら分からなかったろう。「えっ、OOかあ、懐かしい!太ったたなぁ」「先生それいわないで!もう、40歳のおばさんだよ」懐かしい懐かしいで、しばらく塾生だったころをしのんでおしゃべりした。「先生この子が大きくなるまで塾続けていてよ!」なんていっていた。
もう子どもがいるという卒業生Kさんのお母さん、「どうも結婚しそうもないんですよ」というS君のお母さん。
 大学生になっているO君のお母さん、小学2年生のころ塾生だった(その後沖縄に越していった)W君のお母さん。(今は親だけこの団地に戻ってきているらしい)今年卒業したHさんのお母さん、私立中学に合格して土筆を離れたAちゃんの家族全員、在塾生とそのお母さんたち。何人も何人も会った。
 保健学校といい、コミセンでの遊びといい、グリーンタウンでの出会いといい、地域で生きているとさまざまな人たちとのつながり、結びつきを感じる。声をかけられ声をかけあう人のつながりはいいものだ。人間関係が希薄になってきている昨今、人と人とのつながりや温かみを感じながら生きられる、それは幸せなことなのだ。
 いい夏だった。
by tsukushi--juku | 2010-09-03 22:24