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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

土筆通信から

 Mさんがこんな作文を書いた。
  最後まで共に
                       高3 M・H

 先日、母が知人から本を借りてきた。シンプルな表紙のついた厚みのある本だ。この本は近所に住む知人の女性が書いたもので、彼女の思いのたけを切切と綴った手記だ。なんとなく興味を持った私は、母が読み終わったあと、その本を貸してもらうことにした。
 その手記には日常の些細な変化や出来事に目を留めて、季節がゆっくりと移り変わっていく様が書き記されていた。詩的な趣のある短い文章でまとめられていて、とても読みやすい。すんなりと文章が心の中へ入ってくる。だが、それが逆に辛かった。この手記は、ただ単に四季の移ろいを綴ったものではない。彼女は昨年の春に夫を病で亡くしているのだ。四季の変化を見つめながらなき夫を思う気持ちが、文章を通して痛いほど伝わってくる。読んでいて何度も胸が詰まりそうになった。
 毎日、きちんと夫の遺影の前で手を合わせ、線香に火を灯す。そして、出しても一口も食べられることのない一人分の食事を供え続けているという。
 お盆の時には迎え火を焚いたそうだ。その後に「送り火は焚かなかった」と書いてあったのは、できることならお盆の間だけでなく、ずっとそばにいてほしいと思ったからだろうか。
 一文一文に、なき夫への想いが込められている。それを読んでいて何度も思ったのは「愛されていたんだな」ということ。文章の中に「ルビー婚式を迎えた」とあったので、半世紀近く連れ添ったことになる。それだけ長い年月を二人で過ごしても、結婚したての頃と変わらず愛情を持ち続けられているのはすごいことだ。
 いつだったか「熟年離婚が流行している」とメディアで取り上げられていた。家族内の殺人事件や虐待、暴力などが絶えないと聞く。なんとも悲しい世の中になったものだ。暗いニュースばかりが続いているが、それでもこうして幸福の内で生きているものもいる。
 大切な人生の伴侶を失ったことは耐え難い不幸であったに違いないが、それでも私はこの手記を書いた彼女が本当の意味で不幸に陥ったようには思えないのだ。どんなに辛くても、悲しくても、死んでしまった人は戻って来ない。それをしっかりと受け止めて、少しずつでも前へ歩んで行こうとする。これができるのは幸せだ。時々、なきたくなる日もあるそうだが、それも含めて幸せなのではないか。涙が溢れるほどに愛されていた彼女のご主人もきっと幸せだったに違いない。
 世の中、悪いことばかりと嘆かれるがこんなにも温かな夫婦もいる。すべてがすべて悪いことばかりではないのだ。こういった素敵な夫婦や家族が世の中に増えてくれたなら、明るいニュースも聞けるようになるかもしれない。


Mちゃんが書いている「彼女」、私も良く知っている。地域のいろいろな集まりで顔をあわせる。今年も4月、地域の人たちで催した『お花見の集い』でご一緒だった。花見の宴が盛り上がったころオカリナを吹いてくれた。Mさんが読んだこの本、我が家もいただいているが私はまだチラリとしか読んでいない。仮に読んでいたとしても麦倉さんのような文章は書けなかっただろう。それほど私の感性は磨耗しているといえるかもしれない。
 この本の中に『終戦の日』という文章がある。ちょっと紹介してみたい。

 南方のペリルー島で砕け散った勇さん/国鉄マン、車掌さんだった22歳/真珠湾攻撃の後長男をさずかり幸せの絶頂にいた長男幸男さん/貧乏な百姓の子だったが勉強はトップ自慢の息子/パイロットになり出撃 インド洋上にて戦死/幼い長男も後を追うように逝った/悲しい歴史の連続/九ヶ月の私も防空壕で泣いていた。祖母の母の父の悲しみは亡くなっても消えることはない/過去は忘れてはいけない/平和への祈りと行動改めて胸に刻む/繰り返しません過ちは 全世界に向けて!(中略)平和憲法を守ることは生きている人の義務かもしれない
 
 それぞれの人にはみなそれぞれの歩みがあり歴史がある。それはどの書物にもかかれない名もない庶民の確かな歴史だ。『自分史』などという大げさなものでなくてもいい。自分の生きてきた足跡を刻んで、後の世に残していく。それは大切なことだと思う。そうした文章力が育つことを願って土筆の作文・文章教室を続けて行きたい。
(土筆通信NO1127号の一部)
by tsukushi--juku | 2010-07-26 19:18