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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

近藤喜文さんのこと
 アニメ映画『耳をすませば』監督
近藤喜文さんのことなど

 7月9日テレビで、アニメ映画『耳をすませば』が上映される。何度もテレビで上映されたし、映画館でも上映されたから観た人も多いだろう。塾生の中にも、今もそしてかつてもフアンは多かった。
ところで『耳をすませば』の監督、近藤喜文さんと土筆塾とのつながりについては知らない人も多いだろう。この機会に少し書いてみたい。1998年1月22日の土筆通信NO532号に、近藤さんの訃報を伝える短い記事を載せている。まずそれを書き留めておく。

哀しいできごと

 土筆塾の卒業生の父親であり、よき仲間でもあった近藤喜文さんが亡くなった。
誠実な人であった。地域の運動にも熱心に取り組み、グリーンタウン(土筆塾の近くの大きな団地)にバス路線を引くことや、グリーンタウン夏祭りの企画や運営に取り組んでもくれた。惜しい人を亡くした。残念でならない。
当時の新聞は次のような死亡記事を掲載しています。

近藤喜文氏(こんどうよしふみ/アニメーション映画監督)21日午前4時25分、解離性大動脈瘤(りゆう)のため、都内の病院で死去。47歳。つやは22日午後6時から、告別式は23日午後1時から、いずれも東京都清瀬市中清戸1の524の1全龍寺で。喪主は妻浩子さん。自宅は清瀬市中清戸5の72の4の204.
新潟県出身。68年アニメのプロダクションに入社し、『巨人の星』「ど根性ガエル」をはじめ多くのテレビアニメの原画を描き、『赤毛のアン』『名探偵ホームズ』などのキャラクターデザイン、作画監督を担当。フリーを経てスタジオジブリに移り、高畑勲監督の『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』や、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』ほかの作品で作画監督などを務めました。95年、生き方にゆれる思春期の少女をきめ細かく描く『耳をすませば』で初監督。
1976年、日本共産党に入党。居住地の住民運動にも尽力しました。
(土筆通信NO532)

それだけでなく近藤さんとはいろいろな地域の活動で一緒だった。当時はグリーンタウンにはまだバスが通っていなかった。グリーンタウンに「バスを通そう」。地域でそうした運動を起こした人たちとともに熱心に運動を進めたことや、グリーンタウンの夏祭りで企画や運営に加わってもいた。私は『子どもの遊びコーナー』を引き受けて、ともに活動もしたものだ。我が家で開かれるいろいろな会議でもいつも一緒だった。物静かな誠実な人だったことも忘れられない。
近藤さんが描いた「ふとふり返えると」のスケッチ集、夏祭りのひとコマに、当時土筆塾に通っていた卒業生Kちゃんが登場したりもした。
近藤喜文さんがなくなってからも、現在に至るまで、奥さんはしょっちゅう行き来していて、家族ぐるみ我が家とは親しい間柄だ。我が家には「トトロ」などのぬいぐるみ、ジブリカレンダーを含めて「ジブリのグッズ」がたくさんある。いずれも奥さんからいただいたもので、近藤喜文さんの思い出が今も息づいている。
『耳をすませば』のテレビ上映に合わせて、近藤喜文さんのことを思い出し、奥さんに何か書いてくれないだろうかとお願いした。奥さんは快く引き受けてくれて次の原稿を届けてくれた。
 大人への扉を開けようとしている子どもたちへ

                             近藤浩子

 月島雫と天沢聖司が主人公の『耳をすませば』が公開されてから、かなり時間が経ちました。子供から大人へと成長する人生の通過点に立って、多くの子供たちは、初めて、戸惑ったり、悩んだり、自分の心に向き合ったことと思います。
 我が家の息子もちょうどその年頃でしたから、わが子を含め、その友達たちの様子もいとおしく見守っていました。
 ジブリの宮崎駿さんが、脚本と絵コンテを提供してくださり、喜文に監督の機会が生まれたのです。そして、度々テレビで放映されることもあって、作品のファンだといってくださる方がふえました。
 アニメーションは総合芸術といわれます。喜文の初監督を支えてくださったジブリのスタッフの力で、作品は完成しました。
 自分の進路を探り始めた雫と聖司のように、年齢は関係なく、失敗を恐れずに、自分の「心」を励まし、大人への扉を開けてください。

 PS ・作品の感想をいただいた中に、大人は勿論、ずい分堅いと思われる職業の方もいてちょっとびっくりしました。
 喜文に、「次の作品も観せて欲かった」と言いたい。繰言ですが、悔しい限りです。





 どういうわけか土筆塾とアニメ関係者とのつながりは強い。近藤喜文さんだけではない。アニメ映画『うしろの正面だーれ』『えっちゃんの戦争』『アンジェラスの鐘』など多くのアニメ映画を監督した虫プロダクションの、有原誠治さんの2人の子どもは小学3・4年から中学卒業まで土筆で育った卒業生だ。二人とも武蔵野美術大学に進み、兄貴は大学院を卒業後、アトリエを構えて本格的に画家の道に進んだ。働きながら描き続けているようだ。監督本人もわたしは親しい仲間で、ことあるごとに行動をともにしている。アニメ映画『とべないホタル』の原画を描いているKさんの息子・娘も土筆塾の卒業生で、兄貴のT君は今年の初め遊びに来てくれた。
先の近藤さんの『ふとふり返えると』に登場したKちゃんは、現在武蔵野美術大学に通っているが、今年の年賀状で次のような絵を送ってきた。プロを目指していくのだろう。
            (絵 省略)
by tsukushi--juku | 2010-07-07 20:57