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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

なつかしい手紙
   大工になったZ君からの手紙

 先生、こっちは元気でやっているよ。手紙もらったの、大分前だけど、なかなか忙しくて遅くなってしまいました。すみません。この間の選挙は共産党にしといたよ、ばっちり。太鼓はかなり順調。イベントでも時々メインをたたかせてもらったりして、楽しいよ。本業の大工のほうも順調。自分で言うのもおかしいけど、かなり腕は上がってきているよ。まだまだだけど……
最近は会社とは関係なくプライベートで仕事をもらったりしてて、休みなんてないくらい忙しいです。けどね、先生、最近よく思いますよ。毎日くたくたになるまで仕事して、休みになったら太鼓たたいたりプライベートの仕事をしたり友達と遊んだり、平日だってロクに寝ないでなんかやったりして、体が休まる時間なんてないけど、こうやって毎日必死に生きているって大切な事だと思うよ。今は若いから、今の生活はきついけれど楽しい。毎日が濃厚で、自分が成長しているのが分かるような気がします。後は彼女さえ良い人が見つかれば……。
とりあえず、こっちは今を無駄にしないで生きているよ。また先生に会いにいけたらなぁ。それまでお元気で。いつまでも笑っていてください。(O.Z)

こんな手紙だ。年賀状以来の手紙だ。
O君は土筆に通った三人兄姉の三番目。中学2年のとき父親の転勤で両親の実家がある北海道に越した。上二人は土筆を卒業だが、彼だけ中2でやめたということになる。彼は北海道の高校を出て、大工の道を選んだという報告は受けていた。「ほう、なかなかやるなぁ」僕はそう思って彼の歩みを楽しみにしていた。彼が土筆をやめる時残していった感想文は、次のようなものだった。

  ぼくを育ててくれた土筆塾

 ぼくが土筆塾に入ってもう7年になる。小学一年生からずっと入りたがっていた僕は、小学2年生から土筆の生徒になった。授業は作文。今でも僕は文章をやっているが大分自分の思っていること、考えている事が文章にできるようになったと思う。
最初に入った頃はただ単に〝近くで優しそうなおじさんが自分に勉強を教えてくれる〟そんな気持ちで塾に行った。僕は三年も四年も五年の時も作文を習った。
土屋先生が書いてくれる作文の感想と、野球のホームラン、三塁打などで表わす作文の評価がとても楽しみでならなかった。僕は三回に二回はホームランを取っていた。学校でみんなの作文なんかを見ると「幼稚だなぁ」なんて思ってしまうときがあった。
小学六年生になったとき、あるアクシデントが発生した。当時僕はサッカーをやっていて、作文の授業とサッカーの練習日が重なってしまったのだ。僕は今まで作文を習い続けていきなり辞めるのは嫌だったので、親にお願いして国語を習い始めた。そのときから僕は自分には土筆でなくてはいけない何かがある、と思い始めた。
中学生なった僕はやっと勉強に意識がいった。僕は英語も習い始めた。英語を教えてくれたのは米山先生だった。米山先生はぼくが〝英語バカ〟であるにもかかわらず、分かりやすく教えてくれた。米山先生がぼくに教えてくれたのは英語だけではなかった。人間と人間の間で必要なマナー、そしてギターもだ。休み時間に先生がギターをひいている姿がかっこよくてしょうがなかった。米山先生はぼくが見てきた人間とは全く違った人だった。この米山先生との出会いも土筆のおかげだ。
それからまた大きなアクシデントが発生した。何と、また文章の時間、僕は来られなくなった。僕は他の国語の時間も無理で、もう土筆を辞めなければならないのかと思ったのだ。中学二年にあがるときだった。そのことを米山先生に言うと、米山先生は土屋先生にそのことをすぐに言った。すると土屋先生は平然と
「他に、空いている時間は?」
僕はとっさに空いている時間を言った。すると先生は「じゃぁ、その時間においで」というのだ。
そのときから、もう一人の友達と二人だけで特別な授業を組んでやらせてもらった。しかし間もなくこの友達は土筆を辞めてしまい、ぼく一人になった。こうなるとぼく一人のために一時間、時間を増やす事になる。こんなことはできないと思い先生に言ってみると、意外な答えが返ってきた。
「いいよ、Z、一人でおいで」
とってもうれしかった。先生が僕のために時間を一時間くれるといってくれたのだ。こんな塾、他にはない。僕は土筆しかいけない、そう思った。「先生OOって漢字どう書くの?」僕の漢字の弱い事を先生は知っていて優しく教えてくれた。
こんな素晴らしい塾も、僕は今回親の転勤で辞めざるをえなくなってしまった。最後まで土筆で学びたかった。学力はもちろん、人間としてのマナーを身につけたり、自分の考えを素直に出せるようにしてくれたのも土筆塾だ。だからぼくを育ててくれたのは土筆塾だとぼくは考えている。
本当に、この七年間、ありがとう。

土筆塾卒業生あるいは、途中で引っ越していった元塾生には、いろいろな道を選んだ子どもたちが、今もずっとつながりを持ち続けている。前回の通信に少し触れたが医者になったもの、博士課程で勉学に励んでいるもの、参議院に勤務し予算委員会担当として政治の裏方をささえているもの。建築士になったもの。アメリカにわたって寿司店に勤めながら寿司職人を目指しているもの。Z君のように大工の道を選んだもの。介護士や看護師、などなど。その歩みは実に個性的だ。それでいい。人はそれぞれ自分の道を見つけ、歩き続ければいい。知識の習得はもちろんだが土筆塾はそうした子ども達の生き方に何らかの形で関われるように、生きる力につながるような援助をし続ける、それでいいのだ。僕はそう思っている。
by tsukushi--juku | 2009-10-18 20:20