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by tsukushi--juku
土筆塾主宰・土屋春雄のブログ

子どもの頃の遊び
                子どもの頃の遊び

 記憶が断片的で、系統だった文章は書けない。思いつくままに幾つか書き留めてみたい。
 まず私の生まれ育った集落について触れておきたい。私はよく「出身はどちらですか」と尋ねられるが、「伊豆の下田です」と答えると、ほとんどの人が「いいところですね」と言う。伊豆の下田、観光地というイメージが定着しているようだ。「いやぁ、下田と言っても街からは随分離れた僻地の様な山の中ですよ」私はいつもそう答えるのだ。
 下田の街から何キロ離れているだろうか。下田の隣、稲生沢村と言うのが私の育った村。中心は「蓮台寺」。温泉で知られているが、そこから、当時は途中全く人家のなかったくねくねとまがりくねった、舗装もされていない砂利道を、小一時間も登った、頂上に近いわずかな空間に、36軒、家がへばりつくように散在する集落だ。しかも隣村へ抜けるひらけた間道というものもなく、山間の田畑へ通うけもの道の様な山道があるだけで、ほとんど行き止まりに近かった。交通はすべて徒歩。時たま荷馬車やトラックが出荷した炭や薪、牛乳などを積みに登ってくる程度だった。
 田畑は、自給自足、田んぼは棚田と言えば格好良いが、段々田んぼと言う方がふさわしい。生業は何かと言われると答えに詰まる。炭を焼き、薪を切り、夏ミカンを作り、乳牛を飼う。私が幼少の頃はカイコも飼っていた。電話もなく、店も、病院もなかった。学校へは徒歩で小一時間。戦争中は、運動靴などはなかったから、わら草履をはいて通った。
 書き連ねればきりがないが、とにかく「こんな山の中に住み着いた祖先はどんな人たちだったのだろうか」と首をかしげたくなるような集落だ。(集落にある墓石などをたどると、「享保」とか「文化」などという文字を読み取ることができる。「室町時代ではないか」と伝えられてもいる。)
 さて、そんな集落に生まれ育ったのだから、遊ぶ場所はすべて自然の中。ベーゴマとかビーダマとかメンコ、オハジキといった、店で買ったもので遊ぶことも多かったが、自然の材料で遊ぶこともおおかった。メジロつけ、(鳥モチは買うこともあったが、自分でモチの木の皮をはいで作ったりもした)は遊びだったが、今ごろの季節では、栗拾い、アケビ採り、クルミ採り、椎の実拾いなどは遊びでもあり、食べ物探しでもあった。冬場は罠をかけて、ヒヨウトと呼んでいた小鳥を捕まえたが、これは家族のタンパク源でもあった。毛をむしり、内臓を取り、串焼きにして年越しそばのダシにしたりもした。
 どれひとつとっても、書き始めると次々と脈絡もなく思い浮かぶが、ここでは一つ、私の頭のてっぺんにある「傷」について書いてみたい。子どもの頃は「ハゲ」などとからかわれたものだ。
 何歳の頃かはっきりとは覚えていない。近くの段々田んぼで、ドロだんごを作って投げ合いの遊びをしていた時だ。たんぼのわきにある小さな沢に、後ろ向きで落ちた。頭から血が流れた。泣き声を聞きつけて田んぼわきの家から飛び出してきたおばぁさんが、フキの葉をもみ、傷口に当てて、手拭いでほほかぶりのように縛ってくれた。フキの葉のもみ汁が血止めに効くのかどうか分からないが、とにかくそのおばぁさんに手当てしてもらったことは覚えている。病院は蓮台寺まで下らないとないが、その後病院に行ったのかどうか記憶にない。とにかくその傷が「ハゲ」になって残っている。この段々田んぼではよく遊んだ。畦に手をついて下の田んぼへ一回転する遊びとか、何人かでそれぞれの股ぐらに首を突っ込んで作る「うま」に、走ってきて飛び乗る、「うま」がつぶれるまで何人も乗る。かなり荒っぽい遊びだ。騎馬戦などもした。今どきの、学校の運動会でやる騎馬戦のように、帽子を取って終わり、などと言う優しいものではない。騎馬に乗っている者が地面に落ちるまで徹底的に争う。守る方も、乗っている者が地面すれすれになっても、なかなか手を抜かない。だが、不思議とケガ人が出たという記憶はない。平地がほとんどない集落では田んぼは格好の遊び場だったわけだ。

 私は現在83歳と7カ月。だが足腰は健在だ。子どもの頃のこうした遊びが、足腰を丈夫にしたのかもしれない。
 昔をなつかしむわけではないが、スマホ片手にゲームに熱中する子どもたちを見ていると、私の方が豊かな子ども時代を過ごしたのかなと思う時がある。
 戦争中の暗い時代であり、貧しさと隣り合わせの時代だったが、遊びに限って言えば豊かな子ども時代と言えたのかもしれない。

 今回の通信、椎の実について書いていたら、子ども時代をあれこれ思い出してしまった。こんな記事でごかんべん願おう。(土筆通信NO/1459号より)
# by tsukushi--juku | 2017-11-06 15:44
核兵器禁止条約
                誰が被爆国日本の代表か?

 7月7日、ニューヨークの国連本部で開かれていた、核兵器を違法化する「核兵器禁止条約」が国連加盟国の3分2,122カ国の圧倒的多数の賛成で採決された。アメリカ、ロシアなど核保有国が反対、参加しなかったが、何と、アメリカの核の傘のもとにある日本が反対し参加しなかった。世界で唯一の被爆国である日本がだ。
 広島選出でもある、岸田外務大臣は当初は「交渉に積極的に参加し、唯一の被爆国として主張すべきはしっかり主張したい」などと語っていたが、アメリカに追従してこのざまだ。被爆地、広島、長崎市長はもとより、日本原水協、日本被団協などはもろ手を挙げて歓迎し「歴史的条約採決」を喜んだ。
 マスコミも報道していることでもあり、これ以上書くつもりはないが、マスコミが取り上げないことを一言加えておきたい。それは日本共産党志位和夫委員長を団長とする代表団が、この国連会議に参加したことだ。同会議のホワイト議長とあった志位和夫委員長は「被爆国である日本が、この条約に参加できるように力を尽くしたい」と述べ、ホワイト議長は「そう言うことになるように、期待しています」とかたい握手を交わしたという。志位委員長は「歴史的条約を力に、核兵器全面廃絶の実現を――核兵器禁止条約の採決を心から歓迎する」と声明を発表し、英文に翻訳されたこの声明文は、各国政府代表や、市民社会諸団体に配布されたという。「声明文」の中には次のような文言がある。
 「日本政府が、唯一の戦争被爆国の政府であるにもかかわらず、歴史的な核兵器禁止条約に背を向ける態度をとっていることは、内外の強い失望と批判を招いている」…
 安倍政権と日本共産党の志位委員長、一体どちらが被爆国日本の代表か?
だが、残念なことに、マスコミは共産党志位委員長が国連会議に出席したことも、各国代表と意見を交わしたことも、記者会見したことも、声明文を発表したことも、全く報道していない。
 核兵器禁止条約の採決は歴史的成果だ。そしてそれは世界の大きな流れだ。世界の潮流と共に日本の核廃絶に向かっての新たな戦いは、さらに大きく前進するに違いない。今後、日本政府がどのような姿勢ととるかが厳しく問われることになるだろう。

   ちちをかえせ
   ははをかえせ
   としよりをかえせ
   こどもをかえせ
   わたしをかえせ
   わたしにつながる
   にんげんをかえせ
   にんげんの 
   にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを 
   へいわをかえせ 
(峠三吉「原爆詩集」序より)
                  (7月9日・記)
# by tsukushi--juku | 2017-07-16 13:57
東京都議選告示を前に
                    ある日の会話
*東京都議選の告示が近いね。
O石原、猪瀬、舛添と続いた自民党の都政がひっくり返って、小池都知事になって最初の都議選だから、都民の関心も高いのではないかな。
*世論調査などによると、小池都知事の支持率が随分高いようだけど、小池都知事が立ちあげた「都民ファーストの会」どれだけ伸びるのかな。
O小池都知事への支持が必ずしも「都民ファースト」への支持と言うことになるかどうかな。何せ「都民ファースト」はかなりの寄せ集めだしね。今までの
自民党議員や民進党の議員が小池都知事人気にあやかって、当選を狙って鞍替えしたと言うこともあるからね。この機会に都会議員になることを目的に集まってきた、候補者も多いみたいだね。
*僕もそれが気になっているんだ。問題はその人たちがどんな政治信条を持ち、どんな政策を掲げているかだね。
O自民党では当選が難しいと見た連中が、小池知事にすり寄って離党するとか、無所属になって小池さんの推薦を受けるとか、この連中の政治信条を疑わざるを得ないね。先の選挙で投票してくれた都民への裏切りということにもなるね。
*そうだな、この人たち当選できればどの党でもいいって感じだね。
Oこの節操のなさは、投票に当たっての一つの目安にしてもいいのではないかな。また風向きが変わると、別な党に鞍替えってことにもなりかねない。
*ところで、小池都知事「都民ファースト」と選挙協力を結んだ公明党をどう考えたらいいのかな。
Oぼくはね、幾つか問題があると思うな。大体この党は「風見鶏」的なところがあって、実に要領がいい。今まで3代にわたる自民党都政を、与党として支え、要領よくたちまわってきた責任にはほおかぶりだ。国政では今も自民党とともに、特定機密法、安保法制などなど、悪法を強行してきた。そして今また戦前の治安維持法と言う希代の悪法を強行しようとしている。憲法9条を改悪しようと暴走を続ける安倍内閣の協力者だ。都議選は国政とは違うなどと都合のいいこと並べているが全くのごまかし。国政では自民党と一つ。都政では自民党と決別。こんなおかしな理屈が通るわけないよ。こんなおかしな党、ご都合主義を恥ずかしいとは思わないのかな。
*そうだよな。こういうのを2枚舌と言うんだろうな。僕は不思議に思うんだが、公明党の支持母体、創価学会員は不思議に思わないのかね。
O一言付け加えておくけれど、創価学会は宗教団体、それが公明党の支持母体、公明党の下部組織になっているね。これは政教分離を定めた憲法に違反しているともいえる。宗教団体は、その施設には一切税金がかからないが、公明党の資金源が創価学会にあるとしたら、まさに一体、憲法にも違反しているとぼくは思う。ちょっと横道にそれたが、創価学会は、戦前は治安維持法のもと弾圧も受けた、戦後も平和主義を掲げて平和の党を自認し、公言もしてきた。学会員も信教の自由を大切にするなら、公明党の、国政、都政でのあり方に疑問を持つのが当然のはずだと思うよ。そうした疑問を持ち、公明党のあり方に反対している人も増えていると聞いているよ。僕が国会に勤務しているころ、二見さんと言う公明党の衆議院議員がいてね、公明党の副委員長までした人だが、この人は今の公明党のあり方を批判している。そして共産、民主、自由、社民と市民でつくる共闘組織に積極的に支持を表明しているよ。学会員の中にも良心に基づいて行動する人が増えてくるといいなと思っているよ。いずれにしても、国政と都政は別などと言う理屈は通らない。今回の小池「都民ファースト」との選挙協力は選挙目当てのすり寄り以外の何物でもないね。
*ところで、話を元に戻すけれど、小池都知事の支持率が高い、これは確かだよね。でも小池知事、そんなに凄いのかね。
O最近自民党に離党届を出して、自民党と対決姿勢を取ったが、小池さんの政治信条、わからないところも多いね。都政だから国政には意見を言わないと言うのであれば、これは無責任だ。例えば安倍政権が進めている戦前回帰の大暴走に対してどんな態度を取るのかな、どうもはっきりしない。国家秘密法、安保法制、共謀罪法案、それだけではない。憲法9条を残して第3項を設けて自衛隊の任務を書きこむとか、さらに、森友学園問題、加計学園問題、だれが見ても異常としか見えない政治の私物化。隠ぺいと威丈高な国会での態度。こうしたことには一切態度を表明していないね。加えて、かつて彼女は日本最大の改憲を進める右翼勢力『日本会議』の国会での別働隊『日本会議国会議員懇談会』の副会長をつとめていた人物だ。
都民ファーストを主張して、都知事になった。確かに都民の要求に基づいた政策を打ち出し、都政改革を進めている点では僕も評価するよ。でも例えば築地を豊洲に移転する問題でも、豊洲の安全の面での危険性を最初に取り上げたのは小池さんではない。問題を指摘し、独自の調査を繰り返し、都知事に問題提起し、都としての調査を迫り小池都知事を動かしたのは誰であったのか、百条委員会を開かせ追及の手を緩めることのなかった党はどこだったのか(その点ではぼくは共産党を高く評価しているけれど)。そうした積み上げの上に小池都知事がのっかってきたと言えると思うよ。これは確かに今までの自民党政治にはなかったことで評価できることは確かだけれど、僕は小池氏の政治信条と共に過大評価はしていないよ。まあ、よいことは良い、おかしいことはおかしい、是々非々と言うことかな。
*なんでも小池都知事がやったことと言うのは確かに疑問を感じていた。粘り強い日ごろからの草の根の市民運動、それと結びついた政党の活動が土台にあったことは分かる。そう言えば豊洲の「盛土されていなかった」問題の暴露と調査の姿は、共産党の調査と言うテレビ映像、マスコミ報道が多かったね。後から他の党も色々やったけど最初はほとんど共産党調査団提供の映像だったね。
O話が長くなったけれど要するに国政でも都政でも選挙で多数を取ることが何よりも大切なこと。マスコミの報道や小池人気にあやかって、「小池風」に乗る投票行動はしない方がいい。どこの党、どの候補者が、本当に都民の要求に応えるためにぶれることなく、誠実に、活動しているか、自分の生活と未来の子どもたち、未来の日本のためにどの党に伸びてほしいかをよく考え選挙に臨みたいね。都議会議員選挙の政策全般について話す力量はないけれど、大本になることだけでも話しておきたいね。長くなってごめんよ。
*自民党についても話したいね。
O自民党については別な機会に話そうよ。何せ、今回の自民党候補者の50人が『日本会議首都圏地方議員懇談会』所属だそうだからね。これは大変なことだよ。
                       (6月8日・記)
# by tsukushi--juku | 2017-06-09 21:52
クマガイソウとキエビネ
            我が家のクマガイソウとエビネが咲いた
 エビネもクマガイソウも、いずれも生まれ育った下田の山奥から持ち帰ったもの。クマガイソウは、伊豆の大島の我が別荘の敷地に植えていたものだが、かなり増えたので春休みに別荘に行った時、数株、清瀬に持ち帰ったものだがどうやら根づいたようだ。エビネはもう、十数年も清瀬の我が家で根づき毎年花を咲かせている。エビネはキエビネとジエビネがあるがジエビネも微妙に色や形が違って三種類ある。
 クマガイソウは日本固有のランで、絶滅危惧種だそうだ。
 私は故郷下田の山の中(下大沢)で高校卒業まで過ごした。神戸で過ごした十二年間は故郷に帰ることもめったになかったが、ここ清瀬に住むようになってからは、毎年何回かは故郷に帰る。生まれ育った下大沢は、へき地に近いような山の中だから、帰るたびに山歩きする。子どもの頃の、山間のだんだん田んぼや畑だったところ、炭やきをしたところ、その周辺の山野を歩き回るのだ。近年は、イノシシの足跡や、掘りかえした竹林のタケノコの残骸を見ることも多くなったが、昼の間はイノシシに出会う心配もないので、とにかく歩きまわる。山菜の季節は山菜摘みもするが、山野草を見つけるのも楽しみだ。今まで随分いろいろな山野草を見つけた。ササユリ、ヤマユリ、キンラン、ギンラン、ササハギンラン、サイハイラン、エビネ、キエビネ、そしてクマガイソウ。だが今我が家に生き残っているのはエビネ類と、大島経由で今年、我が家に持ち帰ったクマガイソウ。それにヤマユリだ。ホタルブクロもあるが、これは清瀬の米軍基地柵を乗り越えて、原っぱの片隅から採集してきたもの。
 何せ庭のない我が家。鉢植えにして育てたが、あまり手入れもしていないから、生き残ったのはこれだけということになる。
 我が家は妻も花が好きで、いろいろな西洋産の花をもらってくる。私はなかなか名前が覚えられない。日本の山野草の名前はすぐ覚えられるのだが、西洋産の花の名前を覚えるのは苦手だ。最近妻が「オーニソガラム」などという鉢植えの花を貰ってきたが、名前が覚えられなくて、いまだに名前を書いた紙を見ている始末だ。
 故郷を離れて六十五年にもなるが、私の中には子どもの頃生まれ育った下田・下大沢の山野が息づいている。年齢を重ねるにつれて故郷への思いは強くなると言ってもいい。「故郷」というのはそういうものなのだろう。
 六十六歳になる塾生Sさんが東日本大震災で被災した故郷、陸前高田に家を再建して移り住むという。彼女の気持ちがよくわかる。故郷というのはそういうものなのだ。
 我が家の、クマガイソウとエビネが咲いた。
# by tsukushi--juku | 2017-04-20 21:46
日本会議国会議員懇談会
         [参考のために]

         日本会議国会議員懇談会の中心的立場にいる議員(二〇一六年現在)

*特別顧問 安倍晋三(総理)、麻生太郎(副総理・財務相)、*顧問 谷垣禎一(自民党)
*会長 平沼赳夫(自民党)、*会長代行 中曽根弘文(自民党)
*副会長 下村博文(自民党)、菅 義偉(官房長官)、額賀福志郎(自民党)。高市早苗(総務相)、古屋圭二(自民党)、森 英介(自民党)、渡辺 周(自民党)、
*幹事長 衛藤せい一(自民党)
*副幹事長 勝俣孝明(自民党)、櫻田義孝(自民党)、清水貴之(日本維新の会)、山崎正昭(自民党)
*事務局長 萩生田光(内閣官房副長官)、*事務局次長 高鳥修一(自民党)、赤池誠章(自民党)
*政策審議会長 山谷えり子(自民党)、*政策審議副会長 古谷禎久(自民党)、有村治子(自民党)、磯崎陽輔(自民党)、稲田朋美(防衛相)
*幹事 木原誠二(自民党)、木原 稔(自民党)、岩屋 穀(自民党)、江藤     
拓(自民党)、奥野信亮(自民党)、橋本聖子(自民党)、平沢勝栄(自民党)、薗  浦健太(自民党)
*相談役 日本会議代表委員 尾辻秀久(自民党)
*相談役 石破 茂(自民党)

*閣僚になっている会員、金田勝年(法務相)、岸田文雄(外務相)、世耕弘成(経済産業相)、丸川珠代(東京オリンピック担当)、山本幸三(地方創世担当)加藤勝信(一億層活躍担当)山本幸一(環境相)、塩先恭久((厚生労働相)松野博一(文部科学相)山本有二(農水相)、野上浩太郎(官房副長官)

 *なお、森友学園問題で話題になっている鴻池祥肇議員も会員
# by tsukushi--juku | 2017-03-29 15:22